忌み子の眠る家・下
現世へ戻ってくると、俺は喧騒の只中にいた。迷い家入口近くのスクランブル交差点に戻されたらしい。
「さて……どうやって探そうかな」
青信号で動き出した人波に倣い、俺も思案しながら歩み出す。
迷い家を訪れた者は、裕福になるなどの幸せを授かるのだという。何度も行き来しては札と矢を持ち帰っている俺が幸せかどうかはさておき、そうした伝承は実際に残っていたりする。
逆に欲深い者は迷い家に辿り着くことはなく、訪れることはできないという。物欲や露悪さで客を寄り分けていたりするのだろうか。
物欲は死者より生者の方が露骨に出やすい。となると、迷い家に入った盗人は死霊か何かの類かもしれない。
そうなると、人間の目には探しようがない――俺のような特殊な例を除いては。
「とはいえこの人波……さて、うまく見つかると良いけど」
信号を渡り切り、俺は横断歩道を振り向いた。数え切れない人間たちが方々に歩き去っていく。
ひとつ深呼吸し集中して人混みに目を凝らすと、普段は見過ごしているようなものが視えてくる。
生きている人々の間を縫うように、死者がそこかしこに紛れていた。鼻から上を失くしたまま歩き去っていく者、落ちてしまった腕を拾い首を傾げる者、ぶつぶつと何かを呟きながら地に伏せる者。自我がなくなり黒い影の塊と化している者もいた。
俺は生まれた頃からそうしたものが視えるし触れられる。
厄介な体質だが、こうした一般の目には見つけられない人探しや物探しには有用だ。
「うーん、いないね……」
迷い家に盗みに入って今も逃げおおせているということは、比較的自我が残った状態の霊ということだろう。死んで間もないのかもしれない。まだ近くにいれば良いけど。
ふと商業ビルの入口に目を遣ったその時、扉の脇に立っていた狼男が目を伏せて去っていった。仮装に身を包んだ彼は、半分透けている。ハロウィン当日でもないのに、随分と気合の入った格好だ。
狼男の背を追い、商業ビルの裏へ向かう。狼男は俺が追ってきたのを見るや、慌てる素振りを見せて路地裏へ走り去っていった。逃げるような後ろめたいことがあるのか。
君はその格好で死んだのかな。それとも――誰かに見つかりたくなくてそんな格好してるのかな。
「やあ、ハッピーハロウィン……にはちょっと早いんじゃない?」
暗い路地を塞ぐように立つと、袋小路に飛び込んだ狼男は忌々しそうに舌打ちをした。
「くそ……っ!」
鋭い爪の生えた右ストレートが襲い掛かってくる。軌道の読みやすいそれを躱して彼の腕を掴むと、触れたところから砂が零れるようにさらさらと崩れ始めた。
「ひ……やめろ、来るな……!」
狼男は分かりやすく狼狽える。
苦し紛れに繰り出された左手も受け止め、右腕と同じように消してやった。
へえ、まだ危害を加える気力が残ってるんだ。そのまま野放しにはできないな。
「どうしてそんなに怯えているの? ねえ、仮装してまで何から逃げているの? もう死んでるのに。君でしょう? 迷い家で物取りなんかしたのは」
「お、俺は……っ!」
その震える様子に違和感を感じ、俺は小さく首を傾げた。
迷い家に戻り玄関を潜るや、溌剌とした声が出迎えた。
「お初にお目にかかりますわ御客さまっ!」
上がり框で三つ指立てて座しているのは塵助ではない。白髪おかっぱに赤い着物の少女だった。
「わたくしこの迷い家に住まう娘、
「やあ埃、昨日も来たんだ。矢と札ができるまで厄介になってるよ」
相変わらずの早口に気圧されつつ、手短に挨拶を済ませた。俺が出て行っている間に塵助と魂を入れ替えたらしい。同じ魂をやり取りしているとは思えないほど、この双子は正反対の性格をしている。
器量のいい彼女は子細を語らずとも伝わったようで、納得したようにぽんと手を打った。
「あらあらまあまあ、貴方様が塵助の書き置きにありました御客人ですのね。御札と破魔矢でお待たせしております」
「ああ、そのことなんだけど」
俺はいま思い付いたかのように声を上げた。ひとつ彼女に確かめなければならないことがある。
「賊に入られたんだろう。大丈夫だったかい?」
そう聞くや、埃は「そうなんですの!」と眉根を寄せた。
「それはそれは大変だったんですのよ、もう……聞いて下さいます? 一昨日の晩、御客人がいらっしゃったと思ってもてなしておりましたの。ですけど私が部屋に戻った途端に「金目の物を出せ」だなんて言うじゃありませんか。まーあこの殿方、死んでも尚そのような欲深いことを仰るのね、とこう、わたくしも頭に血が上ってしまいまして」
「で、大暴れしたのかな? 君が」
「ええ、お恥ずかしながら……まず波動で突き上げ天井にぶつけたあと、拳で叩きのめし部屋の中で二、三度ひっくり返してやっつけましたのよ。最後は泣いて逃げ帰っておりましたので胸がすく思いでしたわ。まったく、女子だからと舐めてかかると痛い目に遭うとはこのことでございますわね」
捕まえた狼男が震えながら語った顛末と一言一句変わらぬ真相を聞かされ、俺は額に手を当てた。
そう、あの男は確かに盗みを働こうとした。けれど手痛く返り討ちにされたのだ。現世に逃げ帰った男は、埃が自分を追ってきてはいないかと怯えて変装したんだそうだ。
「それを塵助に伝えたかい?」
「ええと……あ、書き置くのを忘れておりましたわね」
ぽん、と手を打ち、埃はうっかりしていたと言わんばかりにはにかんだ。
この子が魂を入れ替える前に起こったことの引き継ぎを忘れるのはいつものことだ。真っ白な書き置き帳を前に首を傾げる塵助の姿は、これまで何度も見たことがある。
きっと塵助は引き継ぎなしにあの部屋の有様を見て「賊に入られた」と思ったのだろう。
「君たちの道具はちゃんとあるかい?」
「ええもう、賊から取り返して隣の部屋の戸棚に……あら、もしや塵助の奴、ないないと騒いでおりましたか」
「そうだね……」
「なんとまあ……それは大変失礼つかまつりました……」
「……まあ無事見つかったのなら良いさ」
溜息を飲み込み、どっと疲れた俺は項垂れた。
それから三日が経ち、約束通りの品物が仕上がった。
暇乞いをする時に、俺は上着からあるものを取り出した。
「外の世界ではね、もうすぐハロウィンなんだ。妖怪の仮装をして夜を練り歩き、お菓子をねだる文化だね。これは二人で分けるといい」
それは二本のキャンディだった。ピンクと黄色の渦を巻いた手のひらサイズの棒飴に、埃は目を輝かせる。外の世界を知らない彼女にとっては珍しいのだろう。
「まあ……これはお菓子!? 良いんですの!? くんくん、仄かに甘い香りが……なんて綺麗……どんなお味がするんでしょう……ああ、塵助に隠して独り占めにしてしまいたいですわね」
「欲をかくとこの家にいられないんじゃないのかい?」
「ふふ、そうでした」
口元に手を当てて笑い、埃はキャンディを受け取った。与えられたお菓子に無邪気に喜ぶ様は、そこらの子どもと変わらない。
「世話になったね」
「またのご来訪をお待ちしております」
三つ指立てて頭を下げた埃に笑みかけて、俺は迷い家を後に背を向ける。
お帰し下さい、と頭の中で唱えると、すぐに見慣れたスクランブル交差点の前に戻された。夜は既に暗く黒く、繁華街の街灯りを包み込んでいる。
「「また」、ね……」
きっと埃も塵助も、数日もすれば俺が来たことなんて忘れてしまうのだろう。次に会っても「初めまして」から始まるのだ。いつものことながら、不思議な気分だ。
埃は今頃、見たこともなかったお菓子に舌鼓を打っているだろうか。
残された包み紙に首を傾げる塵助の姿を想像しながら、俺は青になったばかりの横断歩道に踏み出した。
見知らぬ夜はひとりの輩―レンタル霊媒師シリーズ拾遺集― 月見 夕 @tsukimi0518
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