Chapt.10 声を出して抗議すべき時もある
俺にとって日常は、何も無いことが好ましい。俺は特別に美味しいものをやたらと食べたいとは思わない。多少の好奇心はあるが、それを満足させるため見合わないリスクを冒すつもりもない。誰にも邪魔されずに寝て、食べて、出して、過ごすことができれば言うことはない。
そういう意味では、じいちゃんは好ましい。じいちゃんは、ほぼ半日、俺に背をむけて、机の前の椅子に座り、絵がちらちらする板を前に黒い板を指先で叩いている。このごろは朝の俺のトイレ清掃と食べ物を持ってくるのはじいちゃんの仕事である。さっさと終わらせて椅子に戻る。たぶんじいちゃんは、自分が今、興味を持っていること以外のことは、どうでもいいのではないかと思う。
他方、ばあちゃんは、俺に構いたがる。朝めし前に、どうしても俺をブラッシングしたがる。チャンスがあればベタベタと触りたがる。正直言ってうっとうしい。俺はばあちゃんのブラッシング攻撃を避けるために、ケージの中の段ボール箱の奥にべったり張り付くように逃げるのが習い癖になっていた。
ばあちゃんは、しばしばじいちゃんに不満を訴えているようだった。じいちゃんは面倒くさそうに聞いている。要するに、たいして興味が持てないのであろう。そうなると、ばあちゃんは独自判断で行動する。そして、ある日、とんでもない行動を起こした。
その日もばあちゃんは、俺をかなり強引にブラッシングした。そして“グッドアイデア”を思いついた。ばあちゃんは、俺が一日の大半を過ごしていた段ボール箱をケージから取り出して、代わりに上がオープンの箱を置いたのである。要はブラッシングがしやすい箱と取り換えたのだ。上が開いているので、俺は照明に晒され全周囲から丸見えでずっと緊張状態を強いられる。猫の本能を無視し、俺の気持ちを踏みにじるひどい仕打ちである。
馴染みの箱が無いことに気が付いた俺は驚愕した。俺は普段は鳴かない。猫は本来黙っているもので、始終ナーナーナゴナゴ鳴くような奴は、猫の本分を忘れ、人間に媚びる卑しい奴だというのが俺の持論だ。しかし、声を出して抗議すべき時もある。今がその時である。俺は抗議の声をあげようとしたが、気持ちが高ぶりすぎてまともに声が出ない。自分でも驚く「カーッカカ、クーククック」というような猫らしからぬ声になった。
俺が精一杯の抗議していることに、昼飯を食って戻ってきたじいちゃんが、まず気づいた。じいちゃんは、俺の懸命な抗議を「へぇー」という面持ちで、面白そうに観察し始めた。しばらく様子を見てばあちゃんに声をかけた。
「おーい、来てみろ。コージが変な鳴き方をしてるぞ」
ばあちゃんが、飛んできた。
「どうしたの!?コージ、あなた何かした?」
じいちゃんに矛先が向いた。
「飯を食って戻ったらこうなんだが……箱を代えたか?」
「ええ……そうか、それが嫌だったのね。ごめんねコージ」
ばあちゃんが、慌てて箱を取りに行ってる間、じいちゃんは黒い板を叩いてちらちらする絵を見ていた。
ばあちゃんが、箱を抱えて戻ってきた。じいちゃんが、上オープンの箱をケージから出して、俺のお気に入りの箱を元に戻した。俺は大急ぎで箱に入って、奥で丸くなった。
「ごめんね、コージ。泣いて訴えていたのね」
ばあちゃんが猫なで声で言うが、今の俺には響かない。じいちゃんがちらちらする絵を見ながら言った。
「今の鳴き方は、『逆くしゃみ』ってやつに近いかな。環境中の刺激物や異物への反応、急な環境変化、興奮した時……これだな。動画を撮っておけばよかった」
ばあちゃんは、じいちゃんを無視である。
「コージ、ごめんね。そうだ、おやつをあげよう。仲直りね」
ばあちゃんは、例のチューブ入りの猫が抗えないおやつを持ってきた。俺は本能に負けて食べてしまった。ただ、はじめに言ったが、俺は特別に美味しいものをやたらと食べたいとは思っていない。誰にも邪魔されずに寝て、食べて、出して、過ごすことができれば言うことはないのだ。
保護猫コージの日々〜クールな保護猫と不器用な老夫婦はうまくやって行けるのか〜 あやべまさし @Old_Kentauros
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