写真撮影




石蕗つわぶき。まったく困ったやつだのう)


 はぐさ星影ほしかげと星影を追う桜雨さくらあめを追いかけながら、いい加減で頭のねじを自ら十本ばかり引っこ抜いた常識知らずの科学者の知人である石蕗へ無駄と知っても苦言を呈したくなった。

 星影をおちょくってくれるな。

 常とは違うのだから。


(まったく。石蕗め。ちょちょいのちょいで治療できるものを。あれやこれやと星影をおちょくりまくるゆえ、星影の小さき堪忍袋が引き裂さかれて、己で妖魔を探しに行ったではないか。こんな夜に)


 莠が見上げた夜空には月は出ていなかった。

 今宵は朔の日。

 九尾の妖狐の力が限りなく小さくなる刻であった。


(人化もできずに狐の姿になる事しかできず。九尾の妖狐の力も使えず。人語が話せた事が救いであったが。つまり、絶体絶命と言っても過言ではない状態。はあ。妖魔め。悪足掻きをしおってに。星影をあのような。あのような、)


 可愛らしいポメラニアンの姿に変化させおって。




 ポメガバース。

 ポメガは疲れがピークに達したり体調が悪かったりストレスが溜まるとポメラニアン化する。

 ポメ化したポメガは周りがチヤホヤすると人間に戻る(戻らない時もある)。

 周りの人がいくらチヤホヤしても人間に戻らない時は、パートナーがチヤホヤすると即戻る。

 ポメガはパートナーの香りが大好きだから、たくさんパートナーの香りで包んであげるととてもリラックスして人間に戻る。




 ポメガバースだねえ。

 にたりにたりと、

 不気味に笑う石蕗は、朔により人化はできず狐の姿になったものの人語は話せる莠からの説明を受けては言ったのである。


『チミたちが追っていた妖魔が投げた煙玉。それは今、一部の妖魔の間で売り買いされている不思議玉だ。攻撃力はないが、一人一回に限り対戦相手の攻撃力を半減ないし無効化できる効果があるという。シシシ。星影クン。チミ。攻撃力はないって油断して煙玉に突っ込んだって。だめだねえ。そんな無謀な事をしたら。ああはいはい。そんなに睨んでも怖くないでちゅよう。あ~あ~あ~。こんなに震えて。ああ。そっか。チミは犬が嫌いだって言ってたっけ? そりゃあ嫌いな犬に自分が変化してしまったら震えるのも致し方ないってもんだよねえ。うんうん。でも安心したまえ。このポメガバースっていうのはね。プクク。チミの大好きな莠クンにこれでもかってチヤホヤされたら人間に戻れるんだよ。この煙玉の効力は、一人一回。つまり。人間に戻れた時点で、効力は切れるし、もう二度と煙玉を受けつける事はない。さあ! 星影クン。莠クンに思いっきりチヤホヤされたまえ! ボクチンはチミたちのくんずほだれつする愛くるしい姿を写真に収めておくから。さあ。さあさあさあさあさあっ!』




(星影がああ言われて素直にわしにチヤホヤされるわけがなかろう。元凶である妖魔を追うに決まっておる。しかも、嫌々ながらも預けていた桜雨をあっさりと研究室から出しおって。まったく。ああもう困ったちゃんばっかりじゃ!)


(絶対に赦さん。あの妖魔を倒しても俺は人間に戻れない。つまりは解決しない事は分かったが、絶対にあの妖魔は倒す。このポメラニアンの姿で倒してやる。倒す。倒す。倒す。だから、)


 桜雨、俺を離してくれ。




 桜雨の身体能力を侮っていたのか。

 ポメラニアン化してしまって身体能力が格段に落ちてしまったのか。

 桜雨が星影を追いかけ続けて三十分が経った頃である。

 桜雨はポメラニアン化した星影に並走したかと思えば、ふんわかふんわりとそれはそれは優しく抱きしめたのである。

 犬好きの人間からすれば腰が砕けてもおかしくない状況であったが、不本意にも犬嫌いの星影にとっては恐怖でしかなく。

 小さな震えは大きな震えへと移行。

 上下左右斜めに大きく震え続ける月影を、けれど、桜雨は優しく抱きしめ続けた。


「くぅんくぅんくぅ」

「………」


(っく。やはりだめか。所詮俺はポメラニアンもどき。同じ犬になったからと言って言葉が通じるわけじゃねえ。ああ。桜雨。やばい。心臓の動きもヤバイ。苦しい。俺はもう、ポメラニアンのまま死ぬのかもしれねえ。ああ。くそっ。くそっ。俺だって。俺は本当は犬が好きで。好きだったから、あいつに構ってたんだ。あいつが狂犬病に罹ってさえなければ。あいつの飼い主さえちゃんと予防接種していれば。俺があいつに近づかなければあいつは死なずに済んだかもしれない。何で。何で。こんな。嫌いにならねえといけねえんだよ。震えねえといけねえんだよ。俺だって。俺だって。本当は。桜雨に。ああくそっ。情けねえ。最悪だ)


 ボロボロボロボロ。

 ポメラニアン化してしまった星影の漆黒の瞳から、大粒の涙が球体のまま零れ落ち続けた。


(情けねえ情けねえ情けねえっ。あんで、涙なんか。うう、)


 ボロボロボロボロ。

 ポメラニアン化してしまった星影の漆黒の瞳から零れ落ち続ける大粒の涙を、桜雨は桃色の舌で優しく舐め続けた。


(うううううう。情けねえなさけねえ。情けねえっ)


 星影は涙を止めようと必死になって身体に力を込め続けた。

 けれど、意に反して、涙は零れ落ち続けた。


 ボロボロボロボロ。

 ボロボロボロボロ。

 ボロボロボロボロ。


 桜雨は一音すら鳴き声を発さなかった。

 ただ優しく星影を抱きしめて、涙を舐め続けた。

 ふわふわの毛が、やわらかい肉が、逞しい骨格が、熱い体温が、穏やかな息遣いが。

 桜雨の全部に包み込まれた星影は、涙を流す度に、少しずつ、すこしずつ、癒されていくような心地になった。

 トラウマの傷が、少しずつ、すこしずつ、癒されていくような心地になった。


(この感情はポメラニアン化している時だけのものかもしれない。人間に戻ったらまた、恐怖で震えちまうのかもしれない。だが、だからこそ。今は。今だけは、)


 ポメラニアン化した星影は身体の大きな震えを制御する事を辞めて、ただ、後ろから抱きしめてくれている桜雨に背中を強く押し当てては目を瞑った。


(死なないでくれ。なあ。桜雨。俺が近づいても、死なないでくれよ)






「くぅ。何故わしは今、スマホを持っていないのじゃ」


 九尾の妖狐の力は使えずとも、狐として元々身体能力が高かったのですぐに追いついていた莠はしかし、電柱の影からそっと桜雨と星影の様子を窺っており、星影が眠りに就いたところでそっと忍び足で近づいたのであった。


「桜雨。感謝する。星影を護ってくれた事。これからもよろしくのう。わしが星影も桜雨も護る。桜雨がわしも星影も護る。星影がわしと桜雨を護る。むふふ、最強のチーム………そうだのう。桜雨。立ち向かいたかったのじゃな。おまえも。桜雨を弄んだ妖魔に。わしも星影も、遠ざける事ばかりを考えておったが。無論。今もこれからもずっと、遠ざかっていてほしいが。おまえはずっとずっとずっと、妖魔退治に行くわしたちについてきていた。そうだのう………そうだのう。石蕗に相談して。うむ。やる時はやる研究者だから安心するのじゃ。うむ。うむ。そろりそろりと。歩んでいこうかのう。そろりそろり。のう。桜雨。星影。ついでに、石蕗も」

「ぬふふふふ。ついでは余計ではないかい?」


 ぬるりと、

 まるで莠の影から這い出るように現れた石蕗は、遅かったねと眉毛を剃った眉間に大きな山を作った。


「もう少し早ければ、ゴールデンレトリバーの桜雨クン、ポメラニアンの星影クン、狐の莠クンのもっふもふのトリオをこれでもかと写真に収められたのだがね」


 よいせっと。

 石蕗は人間に戻った星影を片腕でお姫様抱っこしては、もう片手にスマホを持って、自身と星影を写真に収めた。


「よし。では次は莠クンも桜雨クンも一緒に撮ろうね」

「石蕗。おまえ、星影に見せるでないぞ」

「むふふふふ」

「………まあ、よいか」


 ぎゅっと、

 石蕗の前に移動すると、狐の莠は後ろから桜雨を強く抱きしめた。


「いいねえ。ボクチンも抱きしめたいなあ」

「だめじゃ。わしの特権じゃ」

「致し方ないねえ。ボクチンは月影クンをぎゅっと抱きしめる事にしよう」


 カシャッ。

 石蕗はスマホのボタンを押したのであった。











 一年後。


「おし。じゃあ。撮るぞ」

「むふふ。男前に撮るのじゃぞ」

「アンッ」

「ぬふふふふ。ボクチンも一緒に撮りたいなあ」


 石蕗は呟きながら、スマホのボタンを押した。

 すれば、スマホの画面には満面の笑顔でこれでもかと顔をくっつけた星影、莠、桜雨、そして、ピースサインをした石蕗の片手が映っていたのであった。


「ぬふふふふ。じゃあ次はボクチンも交えて仲良しカルテットで。ほい。みんな仲良くもっふもふになろうねえ」

「「あっ」」


 石蕗が煙玉を地面に叩きつけた途端、石蕗はチワワ、星影はポメラニアン、莠は狐に変化したのであった。


(大丈夫。効果の持続時間は丸一日だ。さあさあさあ! もっふもふカルテットを撮りまくろうね!)











(2025.10.1)



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さくらあめ 藤泉都理 @fujitori

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