第7話 アカデミー教育課

「うちは組織だ。規律(いいつけ)で動いても、仲間の為には動かない」


 ダミアンの声は落ち着いているが、重みがあった。


「規律違反は、場合によっては仲間すら危険に晒す。自己判断で突っ走れば、取り返しのつかないことにもなりかねない」


 上目遣いに投げかけられた視線は鋭く、リチャードを貫いた。   


「特待生にはそれを教え込まなければならない」


 静かに冷たい空気が部屋を満たしていった。


 その言葉にリチャードは口元にいびつな笑みを浮かべた。


「守らない奴は切り捨てろと?」


 ダミアンは短くさえぎった。


「そうでなければ手をかける意味がない」


 リチャードの胸の奥が熱くなった。

 キムが不適合の危険分子として認識された瞬間だった。


(そうやって、お前たちは実戦科から何人切り捨てたんだ……!)


 苦々しく奥歯を噛んだ。だか、ダミアンの言うことは、組織の規律上ではまともだった。


「俺は、部屋主として学業を見てるだけですから」


 感情を抑えるように、リチャードは目を伏せて語った。


 ダミアンはゆっくりと息を吐き言葉を続けた。


「指導者としての責任を果たせないのなら、他の者と交代させる事もできる」


 その言葉に、伏せていたリチャードの目が上向き、ダミアンを睨みつけた。


「学園は組織内部の人員を育てる場所だ。捨て駒の奴を育てる場所じゃない」


 ダミアンは机の上で手を組んだまま告げた。


 その言葉を聞いた、リチャードの内側で何かが弾けた。


「あんた、それでよく生徒会長やってられたな」


 彼は非難の目をダミアンに向けて言い放った。だか、それにも動じずダミアンは続けた。


「内部情報に通じるものほど、機密情報を保有する。その為にも、組織に忠実でなければならない」


「仲間の為には動くのは意味がないと?」


 リチャードの目に苛立ちが浮かんだ。


「クソ喰らえだ」


 吐き捨てるようにダミアンに告げた。


「規律だけのためにあいつは動いてない」


 リチャードは事件の日のキムを思い出していた。


「仲間を守る信頼こそが組織を強くするんだ」


『誰も悲しまないから』その言葉の裏に、全力で仲間を守るキムの覚悟を感じていた。


「その部屋子を守るのが俺の仕事だ」


 彼の考えに同意した訳ではなかった。

 ただ、彼の考えの否定してはならないとは感じていた。


「では……部屋主は解消しないと?」


 静かにダミアンが念を押した。


 生徒の生活を守る生徒会──彼らはかつて、その信念で動いていたのだった。


「ああ」


 リチャードは短く答えた。

 返事を聞いたダミアンが椅子にもたれながら話を続けた。


「かつて、部屋子の為に部屋主を変える策を練ったり、片腕を作るために、俺の弟まで巻き込んだお前らしいな」


 皮肉とも懐かしさともつかない声が染みた。

 リチャードは少し見開いた目をダミアンと合わせた。


「お手並み拝見させてもらおう」


 不敵に笑うダミアンを尻目に、リチャードは軽く頭を下げた。それから、上目遣いに一言放った。


「後悔すんなよ」


 その言葉を残し、半身を返してドアを開けた。残暑の蒸しっとした空気が肌にまとわりつき、不快を高めていた。


 彼を見送ると、ダミアンはくるりと椅子を回し、背後のガラス窓から外を眺めた。


 窓の外、雨上がりの広葉樹の葉は目を細めるほどに眩く照らされていた。

 思わずうつむき、組んだ手を見つめた。

 そして──。


 込み上げてくる笑いに耐えられず肩が揺れた。

 組んだ手を拳にかえて、彼は小さなガッツポースを決めていた。


 彼の立場上、問題児のキムを守れとは言えなかった。かと言って、誰にキムを守らせるかにダミアンは頭を悩ませていたのだった。


 リチャードの性格ならそれを放っておけず、動くと踏んだ彼の策は、見事に当たったのだ。


 それを考えると込み上げてきた笑いを抑えきれず、くくくと肩を震わせていた。


 ◇


 その時だった。


 勢いよくドアが開き、リチャードが戻ってきた。


 一瞬、時間が止まったように感じた。


 急に吸い込んだ空気に、蒸せそうになる口を両手で押さえて堪えた。

 まさか、戻ってくるとは思っていなかった。


「ダミアン」


 呼ばれた名に、胸の奥がわずかに跳ねた。


 呼吸が乱れて、息を整える間もなく、かろうじて出した声は僅かに掠れた。


「……なんだ」


 椅子の背越しに、リチャードの気配を感じた。


 言葉はない。ただ、ため息のような呼吸が一つ。その短い沈黙に、何かを見透かされた気がした。


「お前の笑い上戸、いい加減直した方がいいぜ」


 軽く、けれど刺さるような声だった。

 ドアが閉まる音が響く。

 静寂の中、ほんの僅かに唇が緩んだ。


 ──やはり、気づいたか。


 ダミアンは、部屋を出る前の、何か言いたそうなリチャードの顔を思い出していた。


 悔しさも半面、察して貰えた安心感も加わりダミアンは椅子に埋もれたまま目を細め、再び眩しい葉を見つめた。


 ◇


 執務室の時計は静かに22時をまわっていた。報告書の束を片付け終えると、リチャードは深く椅子に沈み込んだ。


 窓の外では、夜風が樹々を撫でていた。

 学生寮の灯りがぽつりぽつりと消え、寮棟の端にはひとつだけ、まだ明かりが残っていた。

 ──あいつ、まだ寝ないのか。


 リチャードとキムの部屋。

 彼が今ごろ何をしているのか、容易に想像がついた。


 机の端には、ダミアンの提出した決済の済んだ報告書があった。


「コース逸脱:危険判断に問題あり──的確な救助対応」

 彼の判断で、“処分対象外”の印が押されていた。


 それを見て、思わず口の端が緩んだ。

 ──教育課が守るのは生徒だ。

 ダミアンの声が聞こえた気がした。


 静かにペンを置き、目を閉じると、浮かんだのは、今日のダミアンの表情だった。

 妥協と理解、そしてほんの一瞬の期待。


 部屋主を預かり、生徒会に所属したリチャードは、色々な生徒と出会った。

 その生徒を前線に送り出す学園組織。


 だからこそ、規律を守りながら、学生を居場所を守る。そのために教育課を自ら選んだリチャードだった。ただ、


 ──同じ考えでダミアンが先に来ていたことには驚きではあったのだが──。


 窓を開けると、夜の冷気が頬を打った。

 風に流された寮の消灯の鐘が耳に届いた。


 その音が消える頃、空には星がまたひとつと、滲むような光をまとい始めていた。


 リチャードは手を伸ばした。

 あの頃、仲間と五人で掲げた理想がまだそこにあるような気がした。


 けれど、掴もうとした指先は空を切った。


 ──今はただ、やるだけだ。


シー、強さとは誰かを守るためのものだ』


 拳を胸に当て、未だに心に残るその声に、微かに笑った。


「……はい、師父」


 声に出しても、誰に届くこともなかった。

 それでも、不思議と胸の奥は穏やかだった。


 窓の外の月光りが、徽章の残光のように揺れていた。



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