第6話 部屋子の言い分

 寮の廊下はすでに消灯の準備が始まっていた。部屋に戻ると、リチャードが席に座ったまま、険しい表情でキム見た。

 その目は少し苛立ちを含んでいるようにも見て取れた。


「今日は早いんですね」


 キムが制服を脱ぎながら話しかけると、リチャードは一言だけ告げた。


「報告はないのか?」


 その言葉にキムはきょとんとして向き直った。


「特にありません」


 その言葉にリチャードは理由もわからずイラッとなった。

 何も感じないのか、悪いと思わないのか、彼は心の中で悪態をつきながらようやく一言だけを発した。


「教官に殴られてか」


 リチャードの言葉に、キムがムッとした表情で見返した。


「規律を破ったことに関しての罰は受けました。あなたにまでとやかくいわれる筋合いはない」


 その様子をリチャードは静かに見定めた。

 目を逸らすキムには迷いがあった。それは、正しいことをやったという奢りではなさそうにも見えた。

 それでも、彼は自分の行動を肯定するように言った。


「最低限、二人で行動するのは鉄則です。現にディランはケガをして動けなかった」


「お前でなくても良いと言ってるんだ」


「……えっ?」


 静かに告げたリチャードにキムが少し目を見開いて尋ねた。


「お前は三年生だ。お前とネロとで教官を呼びに行けとリアムに言われ、彼が後を追う。四年ならそっちが順当だ」


 リチャードの指摘にキムは唇を噛んで黙り込んだ。


「それでリアムとディランが遭難しても、それはそれで良いと──」


 その言葉にキムがすぐに反論した。


「そんなことは考えてません」


「じゃあなぜ、自分なら大丈夫と思った? 自惚れるな」


 自惚れと言われた言葉に、キムが即座に反応した。彼の平手が振り下ろされる前に、リチャードは腕へ自分の腕を滑り込ませ、肘を軸にして躱した。


 いつもならここで終わらせるところだった。

 だが、その手は真横に空気を裂き、キムの頬を容赦なく打ち抜いた。


 パン!

 乾いた音が室内に響き渡り、キムの体はベッドの縁に叩きつけられた。その反動でベッドが少しずれる程の衝撃だった。


 刹那の沈黙が二人を包んだ。

 黙ったまま肘をつき起き上がろうとするキムに、リチャードは上から声を落とした。


「弱い奴には誰も守れない。守りたければ強くなれ」


 キムは何も言わず目も合わさなかった。ただ、手の甲で口を拭った。


 彼の行動が自惚れでないのなら──とリチャードは考えていた。


「その前に医局に行って冷やしてこい。そのままじゃ腫れるぞ」


 リチャードが何を言ってもキムは返事をしなかった。黙って部屋を出て行こうとしたキムに、リチャードは最後の一言をかけた。


「それとも、お前なら──」


 その声に、ドアを開いたキムの動きが止まった。


「誰も悲しまないからいいとでも?」


 背中に投げかけられた声に、キムは振り返らず、壁を拳でドンと強く叩いた。


「なんで……あんたがそんなこというんだよ」


 キムの声がかすれて震えた。リチャードは思わず目を見開いた。


「親だって……言わないんだ……!」


 そう言って彼はドアを閉めて出て行った。


 ──誰にも頼らないから、先に動くのか?


 ふうっと思わずため息が漏れた。


 リチャードは閉じたままのドアを見ながら、前に人事のセオから聞いた彼の生い立ちを思い出した。


『養子なんだけど、親との折り合いが悪くてここに来たんだ』


 だが、リチャードはその親すらいない養護施設の出身だった。正直、親との付き合い方でさえ知らなかった。


 彼は誰もいなくなった部屋で、一人で家具の位置を戻した。


 ◇


 暫くすると、キムがでかいシップを頬に張り付けて帰ってきた。その姿にリチャードは言葉を失った。


「……冷やせって言われた」


 キムはそう言ってチラリとリチャードを見た。


「普通、氷嚢ひょうのうかなんかで冷やすんじゃないのか」


 呆れていうリチャードを尻目に、机に座りながらキムが続けた。


「もう、あんたには迷惑かけない」


 その言葉はどこか振り切ったようにも聞こえた。


「そうしてくれ」


 リチャードの言葉に、キムが背中を向けたまま机の前に座った。

 その背中にリチャードが投げかけた。


「信じろとは言わない。だが、利用ぐらいはしてもいいんじゃないか」


 するとキムが肩越しに振り返り目を合わせた。そして、一言、


「部屋主の台詞には適さない」


 と言い、また背中を向けた。


 少し目を見開いたリチャードは、頬杖をついたまま、一言だけ返した。


「じゃあ世話をやかせるな」


 ◇


 三日後、リチャードはダミアンから呼び出しを受けた。

 入り口の肩書は“寮監督総長”となっていた。


 ダミアンが部屋をノックすると、中から低い声で応答があった。


「どうぞ」


 その声を待ってドアを上げて入った。


「リチャード司、入ります」


 リチャードは教育課の呼び出しを受け、ダミアンの前に立った。部屋の空気は静かで、緊張が重くのしかかった。


 ダミアンは静かに顔を上げ、おもむろに腕を組んだ。珍しく真顔な彼に、リチャードの胸の奥にわずかな緊張が走った。


「リチャード、今回の件だが…」


 ダミアンの声は冷静だが、目の奥に鋭さがあった。


「オフロード訓練での騒動。キムとディランの件ですか」


 リチャードが口を開いて尋ねると、ダミアンはひとつ息をついた。


「現場での安全管理や報告義務は、教官に従い、適切に行うことが前提だ。教育課に報告が上がり、問題になった」


 その言葉にリチャードはピクリと眉を寄せた。顔には苛立ちが現れ始めていた。


「授業内の対応を寮生活に持ち込むのは論外だろう」


 彼の答えにダミアンは静かに首を横に振った。


「彼は仲間の為に行動を起こした」


 リチャードは静かに彼を見返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る