紙魚たれた掛け軸【肆】
ある場所に寄って仕掛けをしてからアンテイクに戻った私は、眠る準備をはじめた。一件についての推測を覚書として残し。今回は店内で、鴨居に吊るして広げた掛け軸の前に布団を敷いて眠る。
枕の下には彼ら紙魚が好みそうな、繊維の粗い和紙を置いて──その先に、罠を成した。
この様子を見て、美也子さんが驚く。
「鷂くん、呪い解けたの?」
いえ。でも廻呪の方策は立ちました。ので、ちょっと夢の世界に行ってきます。
「また三日も寝る気」
たぶんそうなります。おそらく夢と現は時の流れがちがうのでしょうね。おまけに、あの紙魚たちは私たち所有者をなるべくあそこに引き留めようとします。結果、浦島太郎よろしく時間のずれが生じるのですよ。
引き留めようとする理由は……飽きでしょう。
「なにに飽きたっていうの」
毎日毎日同じ献立ではつまらないということです。ではおやすみなさい。
「あ、ちょっと。帰ってこれるんでしょうね。私なんにも手助けできないよ、寝ちゃったら」
食事でもつくって待っていてください。私は枕に頭を落とした。
────。
落っこちてきた意識は、予想通りに掛け軸の絵の中から店内を見ていた。眼前には、先ほど意識をなくした私が居る。美也子さんの姿は無い。夢を見ない存在は、やっぱり夢には出られないのか。
そうこう考えているうちに、背後のかさかさという音が増していく。
見れば。
私が頭の下に置いた枕の、布団とのあいだに挟んでおいた和紙が。みるみるうちに消えていく。
同時、私の中でもその存在は希薄になっていき、『そんなものなかった』との認識が心中に頭をもたげる。
おそらくそういうことだった。私が購入していた、と美也子さんの語る美人画は、この紙魚たちに夢のなかでたいらげられてしまった。同様に店主の『帳簿』も、この紙魚の掛け軸を購入したときの頁を食べられてしまった。
この紙魚が食した紙片は現世から消滅し、また所有者にとって記憶の中からさえも『なかった』ことになるのだろう。
またその食事に出かけられる範囲は広くはなく、ちょうどこの掛け軸の内側から見渡せる範囲まで。だから普段しまってある帳簿や、『絵に描いた餅』などのべつの紙製品は無事だった。たまたま飾った美人画だけが、彼らに食べられてしまったのだろう。とはいえ記憶に残っていないので、説明してる自分こそがもっとも納得いかず半信半疑な状態なのだが。
ともあれ、狭い範囲にしか出ることができず。食べられる紙も限られている。
私の頭上で文字通り身を粉にして紙吹雪を降らしているこの式神は彼らが飢えないように、あるいはここから出て行かないようにと据え付けられた代物と見えた。
だがその式神の献身には申し訳ないものの、毎日同じ食事では紙魚も飽きるに決まっている。
だから新しい
私が枕の下に置いた和紙はごちそうに見えたのだろう。食べ進めて、端から消えていって、やがて────紙魚たちはふっつりと、消えた。かさかさという、気配がしなくなった。
どうやら夢の世界でも罠はうまく機能したらしい。私の枕の下には、じつは和紙だけでなくあるものが置いてあった。『
二つの袋のうち片方に物品を入れると、対になっているもう片方の中に物が納まるといういわくつき。和紙の片端はこの袋の中に差し込んであったので、紙魚たちは食べ進めるうちに転がり込む。対になっているもう片方がどこにあるのかというと、歌舞伎座などに品を卸しているかつら屋の廃棄する髪溜めだ。さっき眠る前にこっそり置いてきた次第。
かつらの製作にも和紙は使うし、紙魚からするとあらゆる食が降ってくる愉快な場所だろう。それに掛け軸のなかに囚われて、次はいつ式神以外を食べられるかわからない……などという不安もなくなるはず。そもそも、向こうの居心地がよくて帰ってこないかもしれない。
そうなると掛け軸の絵面は紙吹雪が散るだけの無味乾燥なものになってしまうかもわからないが、致し方ない。完全に解呪してしまうよりは面白みが残ったと思うことにしよう。
これでいわくは残せたし、紙魚が私を夢に引き留めることもなくなったので、三日寝っぱなしも解消される。廻呪を成し得たことに私は満足した。
ところが。
ずず、と私の頭上から影が差す。
おや、と見上げると、例の巨大な式神が紙吹雪を降らすのをやめていた。
どころか、ずっと高いところで止まっていたのが、私に向かって徐々に近づいてきている。
人型の、顔のあたりに相当する部分に、影が落ちていてなんだか怒っているようにも見えた。
もしや紙魚を逃がしたことを怒っているのだろうか。やはりこの式神は彼らが『出て行かないように』据え付けられたものだったか。
とはいえ襲われるのはさすがに予想外で、私はあわてふためく。霊を見るなりできるとはいえ私は術師として大した腕が無い。夢の中に式を放ってこうも長い時を経てもなお術として機能するような式神の使い手に、かなうはずもない。
だんだん圧迫感を増して降ってくる式神の下から逃げ出そうとするが、あまりにも巨大すぎてまるで走った気がしない。このままでは押しつぶされてしまう。夢で死んだらどうなるのか? あまり考えたくないことだった。
と、そんな焦りを抱く私の前に。
ふらりと現れた人影が、あった。
美也子さん?
髪をマガレイトに結ったいつもの姿で掛け軸の中の世にやってきた彼女は私の呼びかけにも無言だった。しかし、なにも言わずに私の襟首をつかむと、びゅんと駆けだす。あっというまに式神の影の下からすべり出る。
私の背後ではずうん、と地鳴りがして大気の揺れが後ろ髪を震わす。恨めしそうにじたん、ばたん、と式神が跳ねているのを見るうち、私は世界が白んでくるのを感じた。
「あ。起きた」
……おはようございます。
節々の痛みを感じつつ起き上がった私は美也子さんにあいさつした。次いで、お礼を言う。
先ほど、というか夢の中ではありがとうございました。
すると美也子さんはまた、温めてあったボブリルをこちらに差し出しつつこてんと小首をかしげる。
「夢の中で私が出てきたの? 私、夢なんて見られないのに」
ええそうですよね。ですからまあ、ご本人ではないのだろうとは思っていましたが。なんだか助けられてしまったのですよ。
そう返しつつスープをすすると美也子さんは「助けられたなら、よかったよ。私も夢のなかの私に感謝だね」とつぶやいていた。
掛け軸の中を見やれば、紙魚がいなくなったのではもうすべきことがなくなった、ということなのか。紙吹雪も止まってしまい、ただ殺風景な絵面だけが広がっていた。
廻呪としてはあんまりうまくいかなかったな、と私はもうひと匙、口にスープを入れる。
#
三日寝て起きた日は横浜の市場が閉じる日であったが、こういう時は身を軽くして次に行きたい売り手が多少値を下げてでも品を放出することがある。
私はそうした品を狙うためにやってきたのだが、例の店主と目が合った。
「掛け軸、どうなった」
散々な目に遭いましたが、紙魚はいなくなって紙吹雪も止まって。ただの殺風景な構図になりました。
「へえ……うまいこと追い出せたんだな」
いや命からがらでした。あの式神に圧し潰されそうになって。
「そりゃ、またひどい悪夢だな。そういや俺もこの三日は、悪夢にうなされたぜ。せっかくその掛け軸手放せたんだから、枕高ぁくして眠ってたってのによ」
短く文章をまとめず相手の反応をうかがうこの人間らしいやりとりが面倒くさいなと思いつつ、私はほう、どんな夢でしょうと訊いて欲しいのだろう問いを投げてやる。
店主は少し恥ずかしそうに(なら言おうとするな)、言った。
「俺、人形恐怖症でな。品としても国産だろうが外つ国産だろうが、人形は扱わねえようにしてるんだ。で、恥ずかしながら……先日のあんたのツレのことが、どうにも、『人形みてえな美しさ』で、申し訳ないんだが俺にとっては怖くってよ。夢に、出たんだ。すぐにどっかに走って行っちまったけど」
それを聞いてああ、と私は納得した。
夢の中というのはどこかしらで他人の夢とも繋がっていると伝え聞く。おそらくこの店主の夢に出た美也子さんが、私を助けに来たのだ。自分では夢を見て助けられないからと、生霊を飛ばしたようなものだろう。
そこまで心配されている、思われているということにむずがゆさと居心地の悪さを感じつつ、私は店主にもう彼女は夢には出ないでしょう、と声をかけてやった。
なお、しばらくしてかつら屋からは「掃除しなくても髪溜めが片付いていてこわい」という奇妙な怪談が生まれたのだが、それはまた別の話である。
了
骨董扱処あんていく廻呪録 留龍隆 @tatsudatemakoto
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