第27話 最終話 スーベニア
秋の夕暮れ、旧日方邸を後にして帰路についていた私は、山道を下る途中で、ふと足元の山肌に目をやった。普段なら気にも留めない花が、見慣れぬ姿で一面に咲いている。淡く光を帯びたその花は“継ぎ花“と呼ばれる、どこか不思議な雰囲気を持つ花だった。
その中で、ひときわ輝く花があった。
マチコに似ている、とふと思い、その一輪を摘もうとした瞬間……
世界が歪んだ。めまいが押し寄せ、足元の景色が溶けていった。
頭の中が真っ白になり、足元がおぼつかなくなる。目の前が暗くなったかと思うと、次の瞬間、私はなぜか石室の床に立っていた。周囲を見回すと、無数の石壁が薄暗く光を帯び、あの不思議な空気が満ちていた。
心臓が早鐘のように打ち、手が震える。ここは……旧日方邸の石室?それとも、夢の中か。いや、現実に違いない。足元の冷たい石畳が、明確に私を現実に引き戻す。
石室の奥から、野太い声が響いた。「ホウリャ!ホウリャ!」
源八だ。目を凝らすと、彼が誰かを穴に突き落としている姿が見える。見覚えのある光景だ。これまで目撃してきた、無限に現れる宇佐美やショーン博士の光景を思い出す。だが、今目の前で突き落とされているのは……
まさか、“私“なのか。
「ああ、俺は何故またここに……?」
言葉を発する暇もなく、私の周囲には“私“が次々と現れ、石室は“私”で埋め尽くされつつあった。焦燥と恐怖が胸を締め付ける。私は必死で源八に問いかける。
「どういうことです?私は帰還したはずでは?」
源八の答えは冷たく、しかし確信に満ちていた。
「うるさい話しかけるな!」
その声の重みで、部屋の空気が圧迫される。源八は容赦なく“私“たちを穴に突き落とし続ける。無数の"私“が床に落ち、空気がざわめく。私は目を覆いたい衝動に駆られたが、どうすることもできない。
やがて、源八は私の目の前にやってきた。大男の手元には、光を反射して煌めく物体があった。人の目では到底捉えきれないほどの美しさ、完璧な形状……それはまるで自然界に存在してはいけないかのような、理想の球体だった。私の理性が揺さぶられ、心臓の鼓動が速まる。手を伸ばすと、無意識に指先が触れたくなる。
「ほらよ、土産だ!」
源八の一言。淡々と、しかし運命を告げるかのような響き。
その瞬間、石室全体の空気が変わった。無数に散らばっていた“私“の残像は、ひとつの重みとして胸にのしかかる。目の奥に、理解し難い恐怖と畏怖が広がり、意識の隅に黒い影が忍び寄る。それは、これから先に待つ不可避の未来を予感させた。
私はその場に立ちすくむしかなかった。美しい球体を手にしたことで確定したであろう、精神の異常、そして生命の危険。全てが言葉にならず、ただ心の奥底に刻まれるだけだった。時間が止まったように、石室は静寂に包まれる。誰も、何も、声を上げない。源八の背中が薄暗い石室の奥に消えてゆく。私の視界に残るのは、球体の完璧な輝きと、胸に重くのしかかる不穏な予感だけだった。
外界の音も光も、いまは届かない。石室は私の意識を包み込み、空気の重みは息をするたびに胸を圧迫する。心の奥底で、無数の“私”たちがざわめく。未来に何が待つのか、誰も教えてくれない。分かっているのはただ一つ、土産を手にした瞬間に平穏は終わりを告げたのだ。
源八の一言は、静寂の中に残響している。
「ほらよ、土産だ!……………
私はその響きに固まったまま、石室の冷たい床に立ち尽くす。視界の隅で、かすかな揺らめきが見えた。それは、やがて起こるであろう異変の影。何もできない私はただ、胸の奥でその予感を受け止めるしかなかった。
私はここで終わるのだ。
続・天の継ぎ花 モダン 完
続・天の継ぎ花 モダン ニギアカガネ @nigiakagane
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