朝顔を吹く
tamn
朝顔を吹く
眩しい青い空を背景に、白い入道雲が昨日見たよりも大きく成長していた。
うだるような暑さに
鬼と揶揄される吹奏楽部の顧問の指導により、さらに音楽はまた綺麗にまとまってきているような気がしているが、この暑さのせいで今日の指導が溶け落ちてしまいそうだった。
自販機から買ったばかりのサイダーをまた一口飲む。炭酸の刺激と冷たさが心地よい。
これを飲んだらさっさと帰ろう。なんて思いながらまた一口飲んでいる横で誰かがくる足音が聞こえた。
振り向き見れば同じクラスの
ちらりと隆は咲に視線を向けるが、すぐに自販機に目を向けながら鞄を漁り始めた。だがすぐに動きを止め、咲に目を向けた。
「河田ぁ、金貸してくれねぇ?」
「は? ふざけてんの?」
「財布忘れたんだって。頼むよ、な?」
隆の人懐っこい笑顔と両手を合わせて拝むような姿を目の前に、咲は仕方がないとは財布を取り出した。
容赦なく照りつける日差しから逃れるように小さな木陰をたどりながら、咲は何故だろうか、隆と共に自転車置き場まで共に歩いていた。
いや、別に不思議ではない。お互い後は帰るだけだし、方向も同じだ。けれども並ぶ理由が分からなかった。
何となくだが、この漂う空気感に慣れず、咲は隆を見ずに口を開いた。
「ってかさ。なんで学校にいるのよ」
「分かるだろ? 補習だよ、補習」
「あー、はいはい」
そう言えば、隆は赤点がどうの、補習がどうのと夏休みに入る前に騒いでいた
とは言え、別に成績がひどく悪いわけではない。ただ英語の授業の時だけ、いつもそうやって騒いでいた。
「補習って、英語?」
「そうそう。もぉさぁ、英語とか意味わかんねぇって」
「暗記よ、あんなの」
「暗記とか無理だって」
「他の教科は出来るのに?」
「それはそれ。これはこれ」
他の教科と一体何が違うのか分からず、咲は無意識に首を傾げた。その時にまた汗が首元を伝い落ちたのを感じた。
「あ、あのさ。校庭のさ、はしっこ。あれ河田だよな」
「は? 校庭のはしっこって……」
「ほら、練習してるじゃん。吹部の」
急に隆が焦るように話を変えてきた。少し言っている意味が分からずに咲は思わず足を止めて並ぶ隆を見上げる。
日向を歩いていた隆はこの強い日差しと暑さのせいで汗が絶え間なく流れ、ずいぶんと顔は赤くなっていた。帰る途中、熱中症で倒れなければ良いのだが、なんて思いながらもようやく隆の言っている意味に気づき、頷き返した。
「そうだけど?」
「暑くね?」
「場所がなかったのよ」
個人練習の為にあちらこちら校舎内を探してみるが、どこもかしこも人がいる。
もちろんもっと探せば場所はあるが、なんとなく外で練習をしているのは気持ちが良いからだ。トランペットの音色がこの夏空に響くのだ。暑いものは暑いが、この気持ちよさの為ならばこの暑さぐらい我慢出来て当然だ。
それを友達に何気なく言ったら、よく分からないという顔をされた。だからか、咲は隆もきっとそんな顔をするだろうと思い、素直に答えようとは思わなかった。
隆は大変だなぁと小さくぼやき、ふいに視線が逸れた。
何気なく咲は隆の視線の先を追えば、花壇に植えられた朝顔があった。
朝はどの朝顔も満開で丸く開いていたというのに、昼間になればどれもがしぼんでいた
「ラッパって、朝顔みたいだよな」
「ラッパじゃなくって、トランペット」
「あ、悪い」
よく間違えられるが、ラッパはラッパという楽器があるし、トランペットはトランペットだ。
咲が少し不機嫌気味に訂正し、さっさと自転車置き場へ足をまた進めた。隆は慌てたように謝りながら、また何故か隣に並んで来た。
「いや。あの形さ、朝顔を吹いているみたいじゃん。だから夏っぽいなって思ってさ」
「それならチューバとか、ホルンとか、いろいろあるでしょ」
「俺、ラッパ……じゃなくって、トランペットしか知らねぇし」
確かに形は似ているかもしれないが、それを言うならば他の金管楽器だって似たような形もたくさんある。が、やはり楽器に触れていない人からすれば、分かりやすいものだとトランペットがすぐに出てくるのだろう。
だからというわけではないが、咲は少しばかり胸を張ってしまいそうになった。
「でさ。河田っていつもそこで練習してるだろ? 補習の時、けっこう聞こえるんだよ」
「もしかして邪魔だった……?」
「いや、全然。むしろおかげで補習寝ないで受けれてる」
「目覚ましじゃないんだけど」
まさか人の練習を目覚まし代わりにしているとは思わず、咲は顔をしかめた。
その反応の何が面白かったのか、隆は口角を僅かにあげて眩しそうに目を細めた。
「河田のトランペットが目覚ましとか、すげぇ贅沢じゃん」
隆の言っている意味を咲はうまくかみ砕くことが出来なかった。
こいつは一体何を言っているのか。咲はただただ理解出来ず、暑さで頭の中が溶けてしまいそうになりながらも必死に言葉を返した。
「真面目に補習受けなさいよ」
「へーい」
欠片も真面目さの無い返事をする隆は、スラックスから自転車の鍵を取り出した。
いつの間にか、自転車置き場についていたことに遅れて気づいた咲は慌てて鞄のポケットから自転車の鍵を取り出した。
「あ、なぁ。明日もあそこで練習してんの?」
「さすがにこれ以上暑くなったら、中にいるつもりだけど」
「えー、まじで? せっかく楽しみにしてたってのにさ」
ちょうど自転車が一つ分開けて、咲と隆の自転車は並んでおいてあった。これまた何たる偶然か。
だから会話もそのまま何故か続いてしまい、隆から明日の事まで聞かれてしまった。
咲は答えを待つようにこちらを見る隆の期待が籠った視線に耐えきれず、つい根負けするように小さく息を吐きだした。
「朝の、涼しいうちなら外にいるかも、だけど」
「やった」
何が一体やった、なのか。
全く持って意味が分からずに咲はつい、まじまじと隆を見てしまった。
と、隆は自転車のハンドルを持っていたが、手を離してスラックスから自身のスマートフォンを手に取った。
「そういや連絡先教えてくれよ。河田」
「え、なんで」
「なんでって。別に良いだろ? 金借りたし」
そう言えばそうだ。こいつにジュースを奢ったのだ。たかが百五十円、されど百五十円。ちゃんと返してもらわなければならない。
咲は一つ頷き、手早く連絡先を教えれば、隆から「よろ」なんていうメッセージが届いた。
どう反応を返せば分からず、一先ずはよく使うウサギのスタンプを返し、隆を見やれば何故か満面の笑みを浮かべていた。
「じゃあ、また明日な! 河田!」
咲の視線に気づいた隆は何故か妙に焦ったようにスマートフォンを落としかけながらもちゃんとポケットにしまい、自転車に乗ってそそくさと咲を置いて帰って行ってしまった。
全く一体どういうわけか分からず、咲は一人残されたまま、隆の背中が見えなくなった方向を茫然と見つめていた。
また明日。
隆が言った言葉が頭の中で繰り返される。
夏休み中なのにまた明日だなんて、おかしいなぁと思いつつ、咲はそういえばと飲みかけのサイダーのペットボトルをを鞄から取り出した。
まだ半分以上残っているサイダーに口を付ければやはり温くて、せっかくの炭酸もだいぶ抜けてしまっていた。
「あっま」
口の中に残った甘味に咲は顔をしかめつつ、なんとなく今朝に撮った朝顔の写真を見る。綺麗だったし、周りに人もいなかったからなんとなく撮ったものだ。
それに自分の名前が咲なんていうものだから、ついつい花の写真を撮ることが習慣になってしまっていた。
咲はいくつか撮った写真の中から一枚を待ち受けに設定した。
綺麗な、夏空のような青い朝顔だ。
じっくりと待ち受けの写真を見た咲は満足げに一つ頷き、さて帰ろうとスマートフォンとまだ残っているサイダーを鞄にしまい、自転車に乗った。
何故か明日の事を考えると妙に楽しみに思えてしまうのは、また明日なんていう言葉のせいだろう。きっと。
眩しいくらいの夏の空の下、咲は力いっぱいにペダルをこぎ、そういうことだと強く強く思った。
朝顔を吹く tamn @kuzira03
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