第40話

「いやー、伝説のすき家事件。撮っといて正解やったよなぁ」

 神がフォークを片手に得意げに言った。


 先ほどの余韻を抱えつつ、私たちはソファ席でみんなでケーキをつつき合っていた。

 隣には、ついさっき恋人となった隼がいる。


「美味い!これ、俺が今まで食べた中で一番美味いわ」

 隼がケーキを頬張りながら、私に顔を向ける。


 私は思わず笑みがこぼれる。


「はいはい、早速イチャイチャかい。杏が作ったから美味しいだけじゃろ」

 ちーちゃんが呆れながらも笑って言った。


 そんな中、はっしは目を潤ませながら天を仰ぎ、ケーキを味わっている。

「親友の方が上……親友の方が上……」とブツブツつぶやいていた。


「それにしても、“すきやねん”を“すき家”と勘違いは、杏クオリティーの最たるものだね」

 翔子さんが笑いながら言う。


「その日ってさぁ、私が寺山のことで落ち込んでた日よね」

 ちーちゃんが思い出したように言った。


「そうそう!杏がちーからメール来て、牛丼半分以上残して途中で帰ったんよな」

 神が懐かしそうに言う。


「ああ……杏たんの残した牛肉、美味しかったなあ……」

 はっしがつぶやくと、隼がすかさず「きもいわ」と突っ込んだ。

 

「隼と杏のせいで完全に霞むんだけどさ」

 そう言いながらちーちゃんは左手を顔の横に持ってきた。


 薬指に、キラキラとしたものが光る。


「うっそ……! 山下くんにプロポーズされた??」

 私は叫ぶ。


「うん!」

 ちーちゃんは幸せそうに頷いた。


「すごい……! よかったね……!」

 私はまた泣きそうになった。


「ちー、よかったやん!! 翔子さん!俺も卒業したらすぐしますよ!!」

 神が高らかに宣言する。


「期待せずに待ってる」

 翔子さんはニッコリと笑った。


「うわあああん! ちーちゃんもかいなああ! おめでとううう!」

 はっしはもうジブリアニメレベルで大粒の涙を次々こぼしていた。


「ちょい、俺、すぐ戻る……!」

 突然、隼がそう言って店を後にした。


 ドアの向こうで、チリン、と鈴の音が響いた。


「どこ行ったんや、あいつ」

 神が不思議そうに言う。


「どうせ、さっきの杏たんとのハグをおかずに家のトイレでしこ……」

 と言いかけたはっしは、ちーちゃんにしばかれていた。


「もしかして、隼も指輪用意してたとか……?」

 翔子さんがニヤニヤとしながら言った。


「えっ……!? え!? 気が早くない?」

 私は焦る。


「まぁ、10年も片想いしてる純情野郎だから、指輪くらい用意しとるかもな」

 神がイチゴを食べながらケーキの残りを平らげた。


 ――指輪だとしたら……普通に嬉しい。


 数分後。息を切らした隼が帰ってきた。


「杏……これ……」

 隼がそう言いながら差し出したものは、指輪ではなかった。


 それは、少し年季の入った野口英世の千円札だった。


「これ……ちゃんと持っててくれたん……?」


「当たり前やろ。おばあちゃんの形見やん。お前はもう大丈夫って思ったから返す。それに、これからはずっと俺がそばにおるし。いつだって支えたるから」


 また涙が溢れて止まらない。今日は泣いてばかりだ。しかも嬉しくて。


「なんやねん! ずるいわ隼たん!!」

 はっしが泣きながら叫んでいるが、その声には愛がこもっていた。


「俺さ、この1000円のおかげで、ずっと杏のこと信じておれた。杏が青木さんと付き合い始めたときは、もう終わったなって思ったけど、この1000円を見たら、まだ俺と杏は繋がっとるって思えた。この日のために、おばあちゃんが残してくれたんやと思う」

 隼の瞳も、潤みきっていた。


「隼……」

 私はそのお札を受け取って胸に当てた。


 心が温かい。


 ――この日、この時のために、全てが繋がっているのだと思った。


 おばあちゃんが最期にくれたお小遣い。

 花火大会から走って病院に向かったとき。

 お母さんがこのお金を盗んだとき。

 隼に預かってほしいと頼んだとき。


 どんなに悲しいときも、どんなに絶望したときも、

 きっとそれはまだ過程で、またとても素晴らしい幸せな瞬間がやってくるのだ。


 そのために、私たちはどんなことが起きたって必死で生きていくしかないのだ。


 たとえこの先、今この最高に幸せな瞬間さえも、時間を巻き戻したいほどの後悔の時間になり得ることだってある。


 それは、どんな生き方や選択をしていても常にあるのだ。


 だけど、今私はとても幸せだ。


 こんなに愛しくて、こんなに信じられる人が私を心から好きだと言ってくれる。

 いつも笑わせてくれて、支えてくれる親友たちがそばにいてくれる。


 ――不確かな未来を恐れるのは、もうやめよう。


 今この瞬間の幸福を、一番大切に思おう。


「おーい! カラオケいこ! 睡蓮花で声枯らさしてくれ!」

 はっしが叫んだ。


「賛成!」

 みんなが口々に言う。


 そのまま私たちはカラオケに流れた。


 涙で頬は濡れたままでも、生き続けるしかない。


 ――幸せな瞬間のために。

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AN あした @n_358

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