第5話 余白の意味
生徒会室のテーブルの上に、書類が三枚。
〈学園祭 生放送 運用基準(試行)〉
〈技術的ブレイク 定義案〉
〈確認フロー(案)〉
西園寺が眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
「体裁として“原則無音禁止”は維持します。ただし現場判断で必要な技術的ブレイクは可。——その判断基準と手順を、放送部側で“文書”にして下さい」
榊颯真が手を挙げ、明るい声。
「OK。見栄え重視で行きつつ、止血用のガーゼは持っておくってことね」
「表現は自由ですが、はい」
ぼくは点検ノートを開き、走り書きのページを指で押さえた。
『三秒置くとザザッが消える』『BGM→一拍→アナウンス』『ジングルは鳴り切らせる』
古い字。誰かの手。
——根拠には、ならない。
「……まあ。作ります。短く、見れば使えるものを」
西園寺がうなずく。「期限は一週間後。先生にも回します」
扉の外、廊下を吹き抜ける風の音がした。
ぼくは一拍置いて立ち上がる。
「戻る」
*
放送室。
蛍光灯の唸りと、ヘッドホンの布擦れ。
ホワイトボードの上に、太字のタイトルを書いた。
〈技術的ブレイク 手順書(案)〉
症状:ノイズ/ハウリング/遅延/読めなくなる気配
合図:目線→三・二・一→——一拍
操作:BGM下げ/ミュート確認/フェーダー再立ち上げ
再開:頭子音を立てて一語目
記録:時刻・症状・対処を点検ノートへ
伊達実が覗き込む。「良き。理屈抜きで正しい気がする、のに理屈が後からちゃんと付いてくるやつ」
「必要だと思ってる」
ドアが開き、ほのかが台本を抱えて入ってきた。
「すみません、遅……——もう一回お願いします、練習」
「今は書類。見て」
ほのかはホワイトボードを読み、ゆっくりと息を吸う。
「……これ、私でも分かります。三・二・一、の合図は無音だけど、事故じゃない。“操作のための余白”」
「そう。読むための余白でもある」
彼女の視線が窓へ逃げて戻る。
「やってみます。私、2)と4)を練習します」
「じゃあ、二人で。合図は共有」
ぼくは指を立てる。
三、二——。
——一。
BGMのつまみをわずかに下げ、彼女の口元が“お”の形を作る。
「——本日のお昼の放送を始めます」
声が乗り、終端で一拍。
ジングルが鳴り切る。
ON AIRの赤が落ちると、颯真が顔を出した。
「手順書、いいじゃん。——ただ、紙で読ませるだけじゃ伝わんないから、動画も撮らない? “悪い例/直す例”で30秒ずつ」
伊達が指を鳴らす。「映え王の提案、珍しく地に足ついてる」
「はいはい。俺だってやるときはやるの」
ほのかが手を挙げる。
「私、悪い例やります。噛んで、焦って、呼吸が浅くなるやつ。——それから直す例に切り替えます」
「行ける?」
「行けます」
ぼくは頷き、ホワイトボードに一行足した。
6) 共有:30秒動画(悪い例⇄直す例)
*
放課後、視聴覚室。
スマホを横にして、伊達が三脚を立てる。
「いいか、まず“悪い例”。南條、焦って噛め。直人、無言挟まず強引に被せろ。——からの“直す例”で合図入れて復旧」
「了解」
「やってみます」
赤いランプはないのに、空気が少しだけ張る。
伊達の指が下がる。
——悪い例。
ほのかは二行目で噛み、さらに早口で突っ走り、声が薄くなる。
ぼくはBGMを保ったまま台本に被せ、言葉同士がぶつかってうるさい。
伊達が手で切る。「OK、カット。見事に悪い」
次。
「直す例、いく。合図は目線ね」
三、二——。
——一。
BGMを下げて、フェーダーを軽く触り、ほのかの口元に“お”。
「——本日のお昼の放送を始めます」
語尾が立ち、再開が滑らかに繋がる。
録り終えて、画面で見返す。
悪い例は息が苦しい。
直す例は呼吸が見える。
颯真が珍しく声を低くした。
「これ、効くわ。——西園寺、納得するやつ」
ほのかが小さく笑う。
「私、自分で見ても、怖くないです」
*
帰り道、外階段の踊り場。
夕方の風が、掲示の端を揺らす。
『運用基準(試行)』の紙の角が、カサ、と鳴るたび、一拍のように思える。
ほのかがペットボトルのお茶を差し出す。
「先輩、少しだけ、飲みます?」
「少しだけ」
ふたりで黙って、校庭の線を眺める。
遠くのボールの音。
誰かが笑う声。
うまく言葉にしないまま、同じ空気を吸う。
「……整えてから入ります」
ほのかが自分に言い聞かせるように呟いた。
ぼくはうなずく。
三、二——。
——一。
*
翌朝。
生徒会室。
西園寺が動画を見て、短く息をのんだ。
「——分かりました。これなら、“無言=事故”とは言い切れません。技術です」
颯真が笑って肩を叩く。「体裁と現場、両立できたね」
「ありがとうございます。手順書も添付で回してください」
ぼくはファイルの表紙に、太字で書いた。
〈技術的ブレイク:余白の意味〉
廊下に出ると、ほのかが待っていた。
「どうでした?」
「通った」
「やってみます。今日も」
校内に昼のチャイムが落ちるまで、まだ時間がある。
でも、言葉の前に置くものは、もう決まっている。
三、二——。
——一。
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