第6話 予選のステージ
県の文化会館。
ロビーに貼られたタイムテーブルの横で、出場校の名札が揺れていた。
視聴覚室の蛍光灯とは違う、舞台特有の乾いた匂い。
「受付、済ませた。持ち時間は三分」
榊颯真が戻ってきて、台本を配る。
「テンポはAベース。——ただし“技術的ブレイク”は、必要なら一拍だけ。直人、合図は共有で」
「うん」
ぼくはほのかの立ち位置にガムテで目印を貼り、マイクとの距離を拳一つ分で示す。
「台本、見ない。窓のかわりにライトを見る。——三、二——」
ほのかが小さくうなずいた。
「——一。やってみます」
*
袖の暗がりで、前の学校の声がモニターから流れてくる。
早口、元気。拍手。
舞台監督がこちらを振り向いた。「次、○○高校さん、準備お願いします」
ON AIRの赤はないが、出番前の空気は似ている。
ぼくはフェーダーの代わりに自分の呼吸をなでる。
三、二——。
舞台へ。
ライトの白が、校内とは違う輪郭でほのかの横顔を切り取った。
伊達実が袖で親指を立てる。
「本日のお昼の放送を——始めます」
一語目が、まっすぐ立った。
BGMの代わりに会場の静けさが敷かれ、その上を言葉が滑る。
句読点の手前に、目に見えない一拍。
焦らない。止まらない。
“余白”としての無言が、声に厚みを足していく。
告知の固有名詞の列で、一瞬だけ喉が揺れた。
ぼくは袖から視線を送る。
——三、二。
ほのかの肩がわずかに下がる。
「——一。……入場は十時から。以上、放送部でした」
拍手。
舞台の床が小さく返してくる音。
ほのかは深くお辞儀をして戻ってきた。
息は荒くない。
「行けた」
「行けた」
言葉は少なくていい。掌を軽く合わせるだけで、合図は伝わる。
*
結果が発表されるまでのロビー。
掲示板の前で人の輪がすこしずつ動く。
「入賞校:——○○高校」
紙に自校の名前を見つけた瞬間、颯真が口笛を鳴らした。
「よし。賞、拾った。南條、ナイス」
「ありがとうございます」
ほのかの声は小さいけれど、芯がある。
講評のプリントが配られる。
《発声明瞭。“呼吸の間”が落ち着きを生む。一方、無音は放送上リスクとなる場合があるため、番組意図と文脈に応じた運用を。》
颯真が読み上げて肩をすくめる。
「だよね、って感じ。映えはA、安定はB——の折衷。……でも、入賞」
「必要だと思ってる」
ぼくは短く言う。
「選ぶための資料と手順が、もうある」
伊達が講評の欄外を指で叩く。
「“番組意図”ってワード、いいフックだな。学祭の台本、ここに合わせて組み直そ」
ほのかがプリントを折り、胸ポケットにしまう。
「私、“一拍”を怖がらないでいられました。次も——やってみます」
*
帰校。放送室。
点検ノートの新しいページに、今日の日付を書いた。
『県予選:入賞。講評=呼吸の間◎/無音はリスク(文脈運用)。手順書・動画、有効』
颯真がホワイトボードに大きく丸を描く。
「学祭の設計:A八割、B二割から——『意図に応じて“技術的ブレイク”』に言い換え。西園寺にもそう言おう」
「共有」
ぼくは付箋を三枚、機材の横に並べた。
『意図:誰に何を届ける?』『合図:目線→三二一』『再開:頭子音』
ほのかがマイク前に立ち、台本を置く。
「本番じゃないですけど……もう一回、今日の“最初の一語”だけ」
「どうぞ」
三、二——。
——一。
「——本日のお昼の放送を」
声が、部屋の四角に静かに合う。
ジングルはないのに、終端はきれいだ。
「入賞、おめでとう」
颯真が手を差し出す。
ほのかは笑って握り返す。
伊達がカメラを向け、「はい、静かなピース」と茶化した。
赤ランプは消えたまま。
でも、放送室には音がある。
ヘッドホンの布擦れ、蛍光灯の唸り、紙の端が触れ合う微かな音。
その前に、いつもより短い——でも確かな、一拍。"
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