第6話 予選のステージ



県の文化会館。

ロビーに貼られたタイムテーブルの横で、出場校の名札が揺れていた。

視聴覚室の蛍光灯とは違う、舞台特有の乾いた匂い。


「受付、済ませた。持ち時間は三分」

榊颯真が戻ってきて、台本を配る。

「テンポはAベース。——ただし“技術的ブレイク”は、必要なら一拍だけ。直人、合図は共有で」


「うん」

ぼくはほのかの立ち位置にガムテで目印を貼り、マイクとの距離を拳一つ分で示す。

「台本、見ない。窓のかわりにライトを見る。——三、二——」


ほのかが小さくうなずいた。

「——一。やってみます」



袖の暗がりで、前の学校の声がモニターから流れてくる。

早口、元気。拍手。

舞台監督がこちらを振り向いた。「次、○○高校さん、準備お願いします」


ON AIRの赤はないが、出番前の空気は似ている。

ぼくはフェーダーの代わりに自分の呼吸をなでる。

三、二——。


舞台へ。

ライトの白が、校内とは違う輪郭でほのかの横顔を切り取った。

伊達実が袖で親指を立てる。


「本日のお昼の放送を——始めます」


一語目が、まっすぐ立った。

BGMの代わりに会場の静けさが敷かれ、その上を言葉が滑る。

句読点の手前に、目に見えない一拍。

焦らない。止まらない。

“余白”としての無言が、声に厚みを足していく。


告知の固有名詞の列で、一瞬だけ喉が揺れた。

ぼくは袖から視線を送る。

——三、二。

ほのかの肩がわずかに下がる。

「——一。……入場は十時から。以上、放送部でした」


拍手。

舞台の床が小さく返してくる音。

ほのかは深くお辞儀をして戻ってきた。

息は荒くない。


「行けた」

「行けた」

言葉は少なくていい。掌を軽く合わせるだけで、合図は伝わる。



結果が発表されるまでのロビー。

掲示板の前で人の輪がすこしずつ動く。

「入賞校:——○○高校」


紙に自校の名前を見つけた瞬間、颯真が口笛を鳴らした。

「よし。賞、拾った。南條、ナイス」


「ありがとうございます」

ほのかの声は小さいけれど、芯がある。


講評のプリントが配られる。

《発声明瞭。“呼吸の間”が落ち着きを生む。一方、無音は放送上リスクとなる場合があるため、番組意図と文脈に応じた運用を。》

颯真が読み上げて肩をすくめる。

「だよね、って感じ。映えはA、安定はB——の折衷。……でも、入賞」


「必要だと思ってる」

ぼくは短く言う。

「選ぶための資料と手順が、もうある」


伊達が講評の欄外を指で叩く。

「“番組意図”ってワード、いいフックだな。学祭の台本、ここに合わせて組み直そ」


ほのかがプリントを折り、胸ポケットにしまう。

「私、“一拍”を怖がらないでいられました。次も——やってみます」



帰校。放送室。

点検ノートの新しいページに、今日の日付を書いた。

『県予選:入賞。講評=呼吸の間◎/無音はリスク(文脈運用)。手順書・動画、有効』


颯真がホワイトボードに大きく丸を描く。

「学祭の設計:A八割、B二割から——『意図に応じて“技術的ブレイク”』に言い換え。西園寺にもそう言おう」


「共有」

ぼくは付箋を三枚、機材の横に並べた。

『意図:誰に何を届ける?』『合図:目線→三二一』『再開:頭子音』


ほのかがマイク前に立ち、台本を置く。

「本番じゃないですけど……もう一回、今日の“最初の一語”だけ」


「どうぞ」


三、二——。

——一。

「——本日のお昼の放送を」


声が、部屋の四角に静かに合う。

ジングルはないのに、終端はきれいだ。


「入賞、おめでとう」

颯真が手を差し出す。

ほのかは笑って握り返す。

伊達がカメラを向け、「はい、静かなピース」と茶化した。


赤ランプは消えたまま。

でも、放送室には音がある。

ヘッドホンの布擦れ、蛍光灯の唸り、紙の端が触れ合う微かな音。

その前に、いつもより短い——でも確かな、一拍。"

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