最終話 卒業式

「翔吾、私もう出るから、出かける時鍵よろしくね。」

「んー……。」


 囁くような夕月ゆきの声に目を覚ました。

目覚まし代わりにしているスマホを手探りして時間を確認する。


「……まだ5時じゃん。もう行くの?」

「美容院遅れちゃうから。」

「急ぐなら送ってやろうか。」

「いいよ、まだ寝てて。」

「ん。……向こうで会うの、楽しみにしてる。」


 夕月の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、暗い部屋の中で再び目を閉じた。


 次に目を開けた時、部屋の中はカーテンを通り抜ける朝日で明るくなっていた。

 スマホはアラーム画面のまま沈黙している。


 7時53分。


「……やべ。」


 寝起きの気だるさを楽しむ余裕は無かった。

 洗面所の鏡には髪色を黒く直した自分が映っている。

 別に、卒業式なんて、顔だけ出せばいいのだけれど。


「……確か、親来るって言ってたな」


 ちょっと考えて、いつもより丁寧に髭をあたった。




 赤い振袖に茄子紺なすこんの袴。足元はブーツで、髪は巻くところからプロにお願いした、ハーフアップのアレンジ。

 パールのネックレスは今日は襟の中で密かに体温と馴染んでいる。


 合流した友達と可愛いかわいいと褒め合って写真を撮りながら、夕月は首を巡らせた。

 翔吾はまだ会場に着いていないようだった。

 寝坊だろうか。

 手提げからスマホを取り出して見ても何の連絡もない。


「夕月。ほら。」


 ため息を吐いた時、リカが肩を叩いた。

 顔を上げると、見慣れた長身が会場に入って来るところだった。

 人混みを分けて男子学生の黒い塊に歩み寄りながら、彼もやはりきょろきょろと首を巡らせている。

 少しだけ手を振ると、やっと目が合った。

 ぱち、と1つ瞬きしてその頬が緩んだ。

 目を細めて、ひらっと手を上げて、彼のグループの友だちと言葉を交わす。

 気付いてくれた。多分一生に一度の盛装を目に留めて微笑んだ。


 それだけでいまだに心が満たされる。

 いつもの仲間と戯れている背中に見惚れていると、リカ達に小突かれた。


「もー、夕月ったら、旦那さんにうっとりしちゃって。」

「ち、違うって。旦那さんじゃないし……。」

「じゃあ、リカの彼氏に見惚れてた?」

「ああ、高山君もスーツ似合ってるよね。」

「でしょでしょー。」

「みんなで卒業出来て、良かったよね。」


 その時、式の開始を予告するアナウンスが流れる。

 それぞれのグループで固まって座ると、翔吾達の姿は見えなくなった。


 ──でも、同じ会場にいる。


 何より嬉しいのはその事実だった。

 翔吾は出会った時には既に卒業が危うかったし、夕月の方も心が折れそうになったことが何度もあった。


 夕月でさえうろ覚えの校歌を歌っても、彼の声は聞こえてはこないけれど。

 それでも、同じ場所に立っている。それだけで充分だった。

 式は淡々と進み、閉式が告げられる。大学職員と保護者の拍手に包まれて卒業生がバラバラと立ち上がっていく。

 賑やかな会場の出口に、両親が待っていた。


「夕月、卒業おめでとう。着物とっても可愛いわ。」

「ありがとう。お父さんも来てくれたんだね。」

「母さんが、どうしてもと言うからな。」


 元々可愛い物や華やかな物が好きな母は夕月の袴姿を満足そうに眺めている。

 父も母にかこつけて照れを隠しつつ今日は穏やかな顔をしていた。

 夕月は両親と言葉を交わしながら、さりげなく胸元を抑える。


 そこに隠れたパールの事をまだ家族には話していなかった。


 両親それぞれと写真を撮っていると、横から聞き慣れた声がした。


「3人で並んだらどうですか。俺撮りますよ。」

「君は……、」

「お久しぶりです。」


 途端に父が渋面を作る。振り向くと、鷹揚に笑いかける翔吾の姿があった。


「まぁ! お父さん折角だから撮って貰いましょうよ。」


 母ははしゃいだ様子で父を連れて夕月の隣に並んだ。


「ゆ、……ねぇ、スマホ貸して。」


 両親の前で呼び捨てることははばかられたらしい翔吾にスマホを手渡す。


「……このままでいいんですか?」


 迷った様子で何度かシャッター音を鳴らした翔吾が画面を向ける。

 夕月を挟んで並んだ母はにこにこしているが、反対隣の父は顰めっ面のまま写っていた。


「もう、貴方ったら、意地張らないで笑ったら良いのに。一生残るんですよ。」

「うるさい、元々この顔なんだ……!」


 カメラ越しとはいえ、娘の彼氏に微笑みかけることはどうしてもできないらしい。

 母に嗜められている父に夕月はため息を吐いた。


「はぁ……、いいよこのままで。待ってる人もいるし、もう行こ。」

「……ちょっと待て。」


 場所を空けようと踏み出しかけた夕月を、父が引き留める。顰めっ面のまま続けた。


「もう一枚だけ。……2人で並びなさい。」

「えっ」


 目を向けられて面食らったのは翔吾だった。


「そんなイメトレしてねぇ……。」

「……さっきの、わざわざ練習してきたの?」

「当たり前だろ……!」


「並んでる人がいるんだから、早くしなさい!」


 ひそひそと話していると、子どものような怒られ方をしてしまった。


「翔吾はちゃんと笑ってね。」

「……おう。」


 スマホが構えられた瞬間、大きな手が肩に回った。きゅっと引き寄せられる。


「おい。」


 父は低く唸ったが、そのまま撮ってくれたようだった。

 見せられた画面には、嬉しそうな夕月と幾分緊張した笑顔の翔吾が寄り添って写っている。


「ありがとうございます。」

「ありがと、お父さん。」

「……夕月の大事な日だから、今日だけ、特別だからな。」


 翔吾は父と一瞬視線を交わして頷いた。


「はい。」

 



 両親は振り返りながら人混みに消えて行く。

 その背に手を振ってから、夕月は傍に立つ翔吾を見上げた。


「ありがとう。会いに来てくれて。」

「……夕月と早く話したかったし。」

「嫌じゃなかった?」

「なんで。俺は平気だって、何度も言ったろ。」


 翔吾は夕月の頭に手を伸ばしかけて、一瞬考えてから肩に置いた。


「今日、可愛い。」

「でしょ?」

「髪の毛どうなってんの?この、花がついてるとこ。くるくるしてる。」

「おまかせだったから、わかんない。」

「明日もこの髪型にしてよ。」

「私1人じゃ無理だよ。」


 珍しくストレートに褒められて照れていると、翔吾が一歩離れた。


「この後すぐ予定ある?ちょっとここで待っててくれる?」

「うん、一旦帰って着替えるつもりだから。」


 待ってると頷くと、翔吾は足早にどこかに歩いて行った。

 少しして戻って来た彼は大きな花束を担ぐように持っていた。


 目を丸くした夕月に、ちょっと気取った様子で花束を差し出す。


「夕月、卒業おめでとう。」

「……ありがとう。」


 夕月は一瞬言葉を失って、そっと花束を抱きしめた。


「どうしたの?これ。」

「今朝受け取って、隠しといた。」

「すごい綺麗……。嬉しい。」

「今日の、世界一綺麗な夕月には負けるよ。」

「……それも練習したんでしょ。」

「……まぁな。」


 春の柔らかい日差しがセロハンに弾かれて、生花を眩しく輝かせる。


「翔吾も、卒業おめでとう。頑張ったよね。」

「夕月のおかげだよ。多分俺1人じゃ無理だった。」


 夕月は、髪に刺してあった大振りな花飾りを1つ抜き取って、翔吾の胸ポケットに挟んだ。


「お揃い。」

「……なぁ、キスして良い?」

「あとでね。」

「駄目。今がいい。」


 腰を屈める様に覗き込まれて、夕月は周囲を見回した。

 まだ大勢の卒業生やその関係者が「特別な日」を思い思いに楽しんでいる。


「みんなに見られる……。」

「良いだろ別に。」


 そう言って翔吾は躊躇いなく距離を詰めた。

 唇が触れたのは、ほんの一瞬。


 離れた唇が満足そうに吊り上がった。


「よし。」

「よし、じゃないし……。」

「ちゃんと目ぇつぶった癖に。」

「なんでいつもこういう時だけ押しが強いの?」

「明日から大人になるよ。」

「……いいよ、まだならなくて。」


 夕月は大きな手に指を絡めた。

 確かに今日はセレモニーではあるけれど、この瞬間、私達の内側の何かが違った訳じゃない。


 明日も昨日と同じ、何でもない日が続いていくのだ。


「行こ。」


 ピンクのスイートピーが揺れる。

 2人で並んで足を踏み出した。

 

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翔吾と夕月 月兎耳 @tukitoji0526

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