画家にハッピーエンド
@19090619
第1話「轢かれ損ない、死に損ない」
黄昏時。
国道沿いの歩道に、ワイシャツ姿の少年が立っていた。
少し癖がかった、緋色の髪に琥珀のような瞳。
鴨居玲。
手には缶コーヒー一本。
その目は、どこか遠くを見ていた。
そして、次の瞬間――
「うわっ、轢いた!!」
男の車の前を走っていた黒いセダンが、鴨居を真正面から撥ね飛ばした。
鴨居の体は宙を舞い、歩道の植え込みに突っ込む。
セダンは減速もせず、そのまま走り去った。
男は急ブレーキを踏み、車を飛び出す。
「おい! 大丈夫か!? 今の車、轢き逃げしやがったぞ!」
植え込みの中から、鴨居がひょっこり顔を出す。
ワイシャツは泥だらけ、額には血が滲んでいる。
だが、彼は缶コーヒーのふたを開けながら言った。
「……まあ、よくあることだし、しょうがない、しょうがない」
男は絶句した。
「いやいやいやいや、よくあることじゃねぇだろ!
今、お前、フッ飛んだぞ!?特撮映画みたいに!」
鴨居はふらつきながらも、立ち上がる。
「うん、でも死ななかったし。保険証もないし、警察も呼ばないで。
あと、身分証もないから、病院行っても意味ないし」
男は混乱しながらも、鴨居の腕を掴む。
「待て待て待て! お前、名前は? 家は? 親は? つーか幾つだ!?」
鴨居は数秒、血の着いた植え込みを見つめが、一言、
「……じゃ、俺、行くね」
そう言って、ワイシャツの裾を軽く払って、缶コーヒーを持ったまま――
走った。
いや、走ったというより、滑った。
地面を蹴る音もなく、まるで空気を切るように、
鴨居は国道沿いを超高速で駆け抜けていく。
「はあああああ!?待て待て待て待て!!」
男は、叫びながら車に乗っていたことも忘れ、追いかける。
ついさっき、目の前で轢かれたはずの少年が、
今、缶コーヒー片手に時速60キロほどの速度で逃げている。
「アイツ、轢かれたんだぞ!?
なんで走れる!?てか、なんで喋れる!?てか、なんで逃げる!?」
鴨居は振り返らない。
ただ、風に乗るように、歩道を滑走していく。
缶の中のコーヒーはこぼれていない。
ワイシャツの泥も、いつの間にか乾いている。
鴨居を追う、黒い髪を後ろに撫で付けた男。
男は負けず嫌いだった。
そして、世話焼きだった。
そして、足が速かった。
「芸術は爆発だっ!!」
一度止まってスニーカーの紐を結び直し、
男は全力疾走を再び始める。
車道を横切り、歩道を駆け、
自販機を避け、犬を飛び越え、
ついに――角を曲がったところで、
「もういいです、分かりましたっ!一回話合いましょうっ!」
鴨居が息があがりまくった岡本に観念したように声をかけた。
「うち、来てくださいよ。ボロいですけど路上よりはマシなはず」
「あぁぁ、はぁ、そうだな、じゃぁ、お言葉に甘えて...」
岡本は肩で息をしているが、鴨居は汗一つかいておらず、涼しげだ。
「そういえば、車、良かったんですか?」
「クルマ..あっ!!車っ!!やべぇっ!」
鴨居の住むアパートは岡本の車ですぐだった。
線路沿いの古びた木造アパート。
名前は「コーポ希望荘」。皮肉にも、希望はどこにも見当たらない。
外壁は日焼けして色褪せ、郵便受けは錆びて傾いている。
階段はギシギシと鳴り、手すりは片方が外れていた。
鴨居の部屋は、二階の一番奥。
ドアには「退去通知」の紙がセロテープで貼られている。
三日後には強制退去って言われてるんですよ、と鴨居は笑顔で言った。
中に入ると、空気が薄い。
家具はほとんどなく、畳の上に薄いマットレスが一枚。
その横に、缶コーヒーの空き缶が整然と並んでいる。
壁には何も貼られておらず、窓には新聞紙がガムテープで貼られている。
光を遮るためではなく、視線を遮るため。
外から見られるのが嫌なのではなく、自分が外を見たくないから。
「 ……いやぁ、まいりましたねぇ。近頃は景気が悪いってのなんの。
昨日なんか、近所の八百屋のキャベツが、まるで反抗期みたいな顔して並んでてさ。
「買うなら買えよ」って睨んでくるのよ。野菜にまでプレッシャーかけられる時代よ。
で、隣の魚屋の親父が言うには、景気が悪いと鯖がよく腐るんだって。
ほんとかね? 鯖にまで気を遣わせるなって話よ。
そうそう、昨日は町内会の回覧板が回ってこなくてね。
どうやら、隣の奥さんが「読むと気が滅入るから」って、漬物石の下に隠したらしいのよ。
漬物石よ? あれ、情報遮断の最終兵器よ。
俺なんか8割情報あれで仕入れてるって言うのにね。
で、その奥さん、最近は「人間関係は塩漬けが一番」って言っててさ。
旦那さんとはもう3年会話してないらしいけど、漬物は毎日混ぜてるんだって。 なんかもう、愛の形が発酵してるのよ。
…そんでぇ」
鴨居は身振り手振りをつけながら止めどなく、次々と言葉を紡ぐ。
「おい、お前..どうも余計なお喋りが多いぞ」
「あぁ、どうもすいません、年をとると話が長くなっていけない。
おば様達のお話にまで付き合ってたら、すっかり仲良くなちゃって、
今ではすっかり鴨ちゃん出ていかんでよって」
「だから何の話だ、というかお前の年でそんなんなら、俺は常に校長並だよ」
「あぁ、そうでした、名前は鴨居玲。家は…まぁご覧の通り。
理由は自殺未遂による、近隣住民への迷惑行為。」
「自殺....?」
鴨居は岡本の問いに答えずに続ける。
「親は……多分、いない。
1個自殺セットを頼んだら、1万個届いて、家賃も払えなくなった」
鴨居の目線の先は押し入れ。段ボールが積み重なっている。
中には、誤って買わされた「自殺セット」が1万個。
ロープ、睡眠薬風のラムネ、炭、謎の液体、そして説明書。
説明書には「ご使用は自己責任で」とだけ書かれている。
「お前、死にたいのか?」
鴨居は、缶を傾けながら答えた。
「はい。でも、死ねない。何度やっても。
だから、最近は“死にたい”ってより、“死に方を探してる”って感じ」
岡本は、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……第五列、って知ってるか?」
鴨居は首を傾げる。
「なんか、軍とか政府とか関係なく、
何でもやる会社でしょ? よく知らないなぁ」
岡本は笑った。
「まぁ、そんなもんか。俺、そこに勤めてる。
お前みたいな“死に損ない”が、案外役に立つかもしれない」
そういうと、岡本は語り出した。
「 正式名称、第五列株式会社。通称、第五列。
国家・企業・個人を問わず、依頼に応じて武力・諜報・破壊・護衛・暗殺などを請け負ってる。民間企業を装った武装集団だ。地下には訓練施設と兵器庫がある。まぁ、一般人で知ってるやつはまずいねぇがな。どうだ?面白そうだろ」
鴨居は、缶を置いて言った。
「初任給は手取り50万円以上で、
出社は午後3時以降、社員寮とかがあるなら」
「しゃ、社長に交渉してみるよ...といか、お前結局幾つだ?」
「56。」
「嘘付けっ!」岡本が叫ぶ。
慌ただしく、1日が過ぎていく。
鴨居の入社まであと2日。
画家にハッピーエンド @19090619
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