ただの良い部屋

青のり磯辺

晩夏よりの友人

 駅まで徒歩五分。築一年というもはや新品同然のマンション。しかも2LDK。

 なのに家賃月5,000円とかいう破格の神物件。だから入居した。

 もちろんこの部屋は言うまでもなく訳ありである。


 怪異が住み着いている。

 逆に言えば、怪異とシェアハウスが嫌じゃなければただのめっちゃ良い部屋だ。


「おはよう、シェアメイトさん。2025年の晩夏ですがどうですか」

「年々暑くなってない?」

「やっぱり怪異もそう思う?」


 窓辺に置かれた植木鉢の中身。背の伸びた向日葵。

 ただし枯れてる。


 これがこの部屋を神物件にしてくれた怪異の、愛称「シェアメイト」。

 呼び方は「同居人さん」とか「兄弟」とか、気分によって変えてるけど、こいつが起きてくる季節は相変わらず、“向日葵が顔を黒く染めてこうべを垂らすころ”みたいだった。


「えー、報告いたします。今年は異常気象により例年より暑く、俺が見たニュースだと向日葵は七月二十日には見頃を迎えており、えーまた、俺の独自調査では、同月の三十日には項垂れ始める株も出てきておりました。あと本日の日付は八月十九日です」

「うーん、ちょっと早起きしたかな」

「それとー、去年にエルニーニョだかラニーニャだかの現象が収束して、えーと、エルニーニョだかラニーニャだかどっちかの現象に寄った? 移った? らしく、冬は早く訪れるでしょうって予想されてる」

「ありゃあー」


 俺はこの同居向日葵(怪異)を結構気に入っている。楽しいし、なんだか特別感があるからだ。

 彼……多分彼で合ってるはず、は限りなく友好的で、ふんわりした喋り方をして、起きてる時間を適当に楽しんで眠りにつく。言っちゃなんだが、俺は彼と同居し始めてから、その年のその季節は一回こっきりしか来ないことを実感した。


「うーん、まあでも浜松だし……今年は一月くらいまでいける気がする!」

「一緒に年越せるといいな」

「今年こそ『年越しそば』をこの目に入れたいよ」

「目ぇどこだよ向日葵」

「黒いとこ」

「真下向いてんじゃねーか。どんぶり床に置いて食えって? 見苦しくても文句言うなよ」


 向日葵が項垂れる晩夏のころから、初雪が降るまで。

 それがこの怪異の活動期間だ。


「ふふふ。冗談だよ、ぼく怪異だもん。目なんてなくても全然見えてる。きみに彼女が出来たことももう知ってるんだから。おめでとう。いつか紹介してね」

「ありがとう。どこで見てたの? あとまだ付き合って三ヶ月経ってないから部屋には呼ばないよ。紹介はいつかね」

「やだなあ、怪異でもこれ見よがしに目の前にツーショット写真飾られてたら気付くよ。……紹介は今年中なの? 一緒にそば食べる?」

「今年中はどうかな……どうだろう……。彼女の気持ち次第かな……」


 俺の煮え切らない返事に「ふーん」とだけ返して、向日葵はウキウキと「ところであそこの白いでっかい機械なに? 去年はなかったよね?」と宣った。もうちょっと彼女の話を聞いてくれても良かったのに。


 しかし人と話すときはその人のことを見ないと失礼だ。なので、もはや風景とも同化している食洗機のことかな。と思って、紹介することにした。春ぐらいにレンタルしたから、向日葵が知らなくて当然の新顔を。フライパンや鍋は流石に入らないけど、男子大学生一人分の皿なら、三食分は一回でピカピカにしてくれる。


「おお、良いね。すごい便利。便利なのは良いこと」

「そぉすごい便利。でも手で洗うよりは元気な音が出てるかもしれない。ごめんね」

「お皿洗うのが彼の使命なんだから、ちょっと意気込んでるくらいが良いよ。可愛いじゃない」


 こういうところも、多分一緒にいて楽しいと思う理由の一つだ。彼は適当な感じに、大体のことを肯定的に受け止めてくれる。いつもなんだかニコニコしていて機嫌が良くて、話が面白く聞くのも上手。そんなの人間なら友達に引っ張りだこだ。怪異でも友達になりたいに決まっている。


 さて、そろそろ起きるかなと思って準備してはいたが、普通に今は昼で、俺はご飯中だった。カップ焼きそばはまだ三分の一ぐらい残っている。

 俺は温かいうちに全部食べたいからルームツアーはちょっと待っててくれと頼み、向日葵は承知した。


「きみが約束してくれるからぁ〜、ふんふ〜ん。見つけるよぼくが、どんな甘い夢も、振り切ってきみの、最善のはずの未来を〜。んんふふ〜ぅ!」


 この秋限定の友人は、向日葵が下を向くくらい——つまり夏が終わると目覚めて、初雪が降るころ——つまり冬のころに眠る。だから彼にとって、去年の秋と今年の秋は地続きにも等しい。長い眠りについている自覚はあるらしいけれど、その空白はいかんともし難い。


「それの作者新曲三つ出したよ。全部好きそうだったから『起きたら聞くリスト』に入れといた」

「ふふふふ〜ん!」


 ありがと〜う、かな。多分。


 今日のお昼ご飯のお供は、もはや懐かしいと称しても良い流行からちょっと遅れてる曲の鼻歌になった。カバーは同居人の怪異。たまに外れるリズムと帳尻合わせで早口になる歌詞がなんとも愛おしい。飽きるまでリピったはずなのに、歌い手が友達ってだけでなんだか新鮮な気分だ。






「そう言えばきみさ、玄関に金魚鉢置いた? 金運アップを狙ってるなら向日葵ぼくがいるからさ、あんな落ちそうな狭い靴箱の上じゃなくて、こっちのカウンターに置くといいよ」


 鼻から麺が出るかと思った。


「……なんで?」

「なんで?」


 なんで、に対してなんで? で返された。

 なぜ分からないのか分からないって感じだった。


「金魚鉢は金魚のお家でしょ? お家に誰も入ってないのが空き巣の狙い目なのって、怪異も人間もおんなじはずだよ、うっかりさん。そこは変わってないみたい」


 ——あんな下見しやすいとこじゃなくて、お家の奥に引っ込めといた方が安全だよ。それに、ここならぼくがずうっといるから、「入居者募集はやってません」って断っておいてあげる。


「それともシェアメイトを増やすつもりだった? それならごめんね、とっても効果的な募集方法だと思う。怪異がお墨付きをあげるよ!」


 ……ダイニングから玄関に繋がっている扉は、閉まっている。だからこのリビングから玄関まで見通すことは出来ない。なんてことは野暮か。怪異だもんな。

 だから、「なんで下駄箱の上に金魚鉢置いてるのを知ってんだよ」とか、「なんで金魚鉢の中に何にも入れてないの分かるんだよ」とかも、無粋なのだ。


「いや、金運アップもシェアメイトも今の所間に合ってるかな。流石に俺と向日葵さんで関係出来上がってるとこに、参加するってのも、……どうかなって。金魚鉢は引っ込めとくよ」


 食い気味に俺が答えるとそいつは、「素敵な配慮だね」と一言添えて「こんなに仲良しな先住民が居るとこに後から来るのって、ガッツがないとすごく辛いと思う……」なんてほざいた。


「ぼくもきみと、一人と一本の暮らしが落ち着いてるよ。もうしばらくは、一人と一本生活継続だね」


 駅まで徒歩五分。築一年というもはや新品同然のマンション。しかも2LDK。

 なのに家賃月5,000円とかいう破格の神物件。だから入居した。

 もちろんこの部屋は言うまでもなく訳ありである。


「……そうだな」


 怪異が住み着いている。

 逆に言えば、怪異とシェアハウスが嫌じゃなければただのめっちゃ良い部屋だ。


「ところで万が一彼女を年越しに誘えたらどうする? 彼氏の家にシェアハウスしてる怪異がいても大丈夫な人だと仮定して、お誘いにオッケーしてもらったと仮定を重ねて」

「任せて、ちゃんと真面目に挨拶するよ。『初めまして、彼氏さんとシェアハウスしてる向日葵です。枯れてるけど金運を下げるとか呪うとかできないから、安心して仲良くしてください』。どう? いや、ネガティブかな。『枯れてるけど金運アップの効果は健在です』の方がいっか」


 ——そうしたら、最近買ったお気に入りの家電の話と最近好きな音楽を聞く。きっと年越しそばまでに仲良くなるし、年が新しくなるときには『あけましておめでとう』も言うし、『今年度も彼とぼくをよろしくお願いします』って言うよ!


 俺とて、「やっぱこいつ怖いな」と思う。たまに。


「もしかしたら順調にお付き合いを重ねて、きみとゴールインするかもしれない。そんな人なら末長く仲良くしないと。ぼくが原因で破局するのは見たくないよ」


 たまたま一緒の部屋に住むことになっただけのくせして、俺の人生にくっついてきて家庭までシェアするつもりなところとか、そうだ。

 あと、年越しそばを見たいとか、俺以外の同居人はいらないとか、彼女を紹介してほしいとか、自分の要求を通そうとするときちょっと怪異っぽいとこ強調して脅してくるところとかもそうだ。


「まあ、仮の話だ。空想空想。まずお前、年越しパーティー参加すんなら年越しまでに雪降らないことが条件だろ」

「きみが年越し前に彼女さんを誘えたらぼくに紹介だけは出来る。年越しパーティーは……ちょっと先取りしちゃえばいいじゃない」

「ばっか、年越しにしないと年越しパーティーじゃねーだろ。そばパーティーだよそれ」


 まあだが、それでも嫌じゃないから大学院行っても引っ越ししてないわけで。


 駅近、新築、部屋広い、家賃安い、良い友達つき。

 結局、ただのいい部屋である。

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