第零章 詞継ノ初夢

第零話


 俺の先祖は〈詞継〉で、この世界を創ってる詞魂を持っていた。『帝皇日継ていおうのひつぎ』と『先代旧辞せんだいのくじ』と呼ばれる二つ。しかも、全集。だから、詞魂全書、っていうらしい。ともかく、何より重要なのは、それが、今は書物としては残っていない〈世界の始まりと終わり〉を現す一番重要な詞魂であること。…まぁ、幼い頃は、変な神がたくさん出てきて、訳のわからないことをする変な話、程度の認識だったが。

 この二つの詞魂全書は、書物がない。だから覚えるしかない。…つまり、俺は〈世界の始まりと終わり〉を知る〈救世主〉だ。

 だから、その詞魂を全部覚えさせられた。毎朝父が全集を語り、時間を惜しまずそれを覚え続けた。父から、この詞魂全書を心に刻め、と言われたし、一生忘れるな、と言われた。

 幼き俺は、それが何の役に立つのか知らず、学び舎になんて行かずに、その詞魂をひたすら暗記し続けた。

 

 十歳の時、だったかな。

 俺の部屋にはちょっと大きめな障子があったから、いつもその障子を開けて外を眺めていた。というよりも、その障子でしか外が知れなかった。世界は、俺が知る詞魂全書の馬鹿長い話と比べ物にならないくらい小さいと思っていた。


 世界窓の外からは、いつも楽しそうな声が聞こえていた。

 三人ほどの少年。その様子を窓から遠く見ていた。

「…いつか、俺もあの輪に入れるのかな」

 そんなことを考えながら、詞魂を記誦していた。

 ある日、いえで暗誦の練習をしていたら、窓を軽く叩く音がした。驚いて外を見ると、いつも見るあの少年達が手を振っていた。

「お前、いっつも舎の中だよな。オレたちと遊ぼうぜ!」

 その頃は親以外と話したことなんてなかったし、まずそいつらが俺の存在を知っていたことに驚いた。

「え、えっと…」

 俺は、その時誰もいなかったことから、戸惑いながらも外に出た。

「お前、なんていうの?」

「…えっ…」

 初めて話した、同世代の子供。俺はそれが初体験で、会話するのもやっとなくらい緊張していた。

 だが、彼らは未熟な俺に優しく接してくれた。それが、当時の俺にとってはとてもないことで、嬉しかったんだと思う。

「あ、阿礼あれ稗田ひえだの阿礼。」

「阿礼…超かっこいいじゃん!」

 彼らの目がキラキラと光り、とても嬉しくなった。家にこもって詞魂と記憶のにらめっこをしている俺なんかでも、友達ができた。その喜びでいっぱいだった。

 その日から、俺は彼らと遊んだ。石投げ、木登り、川遊び…どれも運動不足な俺には初体験のことだったからすごく嬉しかったのを覚えている。喜怒哀楽。それを学んだ。

 そして、一番大事なことを知った。この世界はあの小さな窓だけじゃない、ってことを。

 村に行けば人がたくさんいて、朝廷っていう偉い人がいるところがあることも知った。…その頃俺は、この世界をもっと見たい、そう思っていたのだ。

 

 でも、ある日。

 いつものように親がいない間にこっそりと舎を抜け出し遊びに行こうとしていた矢先、誰かが舎に来ていたようだ。声が聞こえた。俺は耳を澄ませて聴くことにした。決して盗み聞きではない。

 「阿礼は、うちに代々伝わる詞魂全書を全て暗記しているのです。この舎の…いえ、この世界の、最後の希望と言っても良いくらいですよ。」

 …父の声。いつもは全く褒めないし、あんな高い声じゃない。気持ち悪い。客が来たから自分をよく見せようとでも思ったのか。残念、お前はどう足掻いたって、子供に詞魂を語り続け暗記させているただの毒親だ。

「そうですか。ぜひ息子さんと話してみたいものですねぇ。」

 声の主は、若い男だ。驚く様子もなく、やけに落ち着いていた。

 俺は自分の部屋からこっそりと戸口を覗いてみた。

 そこには、ニコニコと笑う父と、真っ黒な衣を羽織る男の姿があった。…その怪しい男が、さっきの声の主だろう。顔は衣で隠してあり、至る所にジャラジャラと石や玉がついている。腰に刺さってるのは…筆?ともかく、位の低い俺にとっては詞魂でしか知らないものばかりだった。


 俺はいつの間にかその男を凝視していたようだ。次の瞬間、彼と目が合った。

 頭巾から見えた眼は、竹のように深い緑色で美しかった。俺は隠れるのも忘れて、その男に魅入ってしまったのだ。そして、彼は微笑みながらこっちに近づいた。

「こんにちは、あなたが…稗田阿礼さんですか?」

 彼は頭を隠していた衣を取った。俺は驚いて声が出なかった。…なぜなら、彼の髪は白髪だったからだ。

『先代旧辞』で語られるような、神のような白髪。当時の俺はまたもや彼に釘付けになっていたらしい。

「お、おーい……うーん、そんなに僕のことが気になりますか…?」

 相当気になったんだろうな。何せ、彼の言葉にも気づかないくらいだったのだから。

「阿礼!」

 心を我に帰らせたのは、父だった。いつもよりも大きな声だった。お客様が来ているというのに、自分の本当の姿を見せびらかしていた。

「…すみません」

 俺は謝ることしかできなかった。強制で。そのあと自分の部屋に戻されてしまった。惜しいことをしたと思ったが、もう遅かった。


 俺は自分の部屋で、密かに聞こえる声を聞いていた。聞いたところ、その白髪の男は詞魂を書に書き写す〈筆録司〉であり、詞継を支える者だった。

 普通、詞魂を持つ詞継にはそれを記す筆録司が必要であり、筆録司が書く書がなければ詞魂の力は発揮されない。二人で一人…そういうわけだ。

 ――だが、俺は違う。俺が持つ二つの詞魂は、筆にすると世界が滅びる…そのため詞継一人で背負わなくては行けないわけだ。世界の歴史と運命を。

 …俺だって成長したら詞継にならなければいけない、一人は嫌だ、筆録司が欲しい、そう考えていたのは、その頃だったかな。


 あの日以来、障子と部屋の戸が閉められた。俺は外が見れなくなった。もうあいつらと遊ぶことも、話を聞くこともできなくなった。

 その時、俺は自ら悟った。

 俺が最初に見た〈夢〉っていうのは世界を救う英雄になることでも、詞魂を覚え続けることでもない。

 ただ、この広い世界に出て、風を感じて、昔のように遊んで、まだ知らない世界を見たい――それだけだったんだよ。

 それが、のちに抗えない運命によって詞継となり、各地の十二の詞魂にもう一度光を灯す、稗田阿礼の初めての夢だった。

 

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