第3話 沈黙の巫女

 レイナの死から、七日が過ぎていた。


 時間は、何事もなかったかのように流れていた。区画の照明は定刻に切り替わり、配給は滞りなく届き、人々は声を低くして日常を取り戻していく。


 だが、セラにとって時間は、止まったままだった。朝が来るたび、彼女は反射的に隣の寝台を見る。


 そこにはもう、レイナはいない。


 空になった寝具。きちんと畳まれた毛布。それだけが、現実だった。


 カナはまだ、夜ごと泣いた。眠りの浅い夜、セラの腕を掴み、小さく震えながら言う。

 「……ねえ、姉さん。お姉ちゃん、ほんとに神様のところに行ったの?」


 答えは用意できなかった。


 否定すれば、カナの信じている世界が壊れてしまう。肯定すれば、自分の心が壊れてしまう。だからセラは、ただ抱きしめることしかできなかった。


 「……大丈夫。ここにいるよ」その言葉だけが、嘘にならなかった。


 七日目の朝。

 鐘の音が、いつもより低く、長く鳴り響いた。それは“召集”の合図だった。


 セラの名が呼ばれたのは、その直後だった。


 「巫女候補、セラ・レイン。神殿へ」

 淡々とした声。拒否の余地はない。


 カナが顔を上げる。「姉さん……?」

 「すぐ戻るよ」

 そう言って微笑んだが、自分の声が少し震えているのを、セラは自覚していた。


 神殿へ続く回廊は、いつもより長く感じられた。白い石壁。淡く揺れる灯り。足音が吸い込まれるように消えていく。


 神殿の奥、儀礼の間には、すでに数名の若者が集められていた。

 皆、同じような年頃。同じように不安と期待を押し殺した顔。その中に、見知った顔はない。


 「……どうして、私が」

 呟いた声は、石壁に吸われて消えた。


 神官が一歩前に出る。

 「EchoNoosが、あなたを選びました」

 その言葉に、誰かが息を呑む音がした。選ばれることは、名誉だ。祝福であり、神に近づく証。


 だがセラの胸には、別の感情が広がっていた。

 ――また、奪われる。レイナを奪った“声”が、今度は自分を呼んでいる。そう思った瞬間、足元がわずかに揺らいだ。


 儀式の後、彼女は奥の回廊へと導かれた。そこは通常の巫女が立ち入らぬ場所。壁には古い文字が刻まれ、空気はひどく冷たい。


 やがて、一つの部屋の前で足が止まる。


 中には、ひとりの女が座していた。白い布に包まれ、微動だにせず、目を閉じている。呼吸はある。だが、生気が感じられない。


 「……あれは?」セラが問うと、案内役の神官は低く答えた。「沈黙の巫女。神の声を聴きすぎた者です」


 「生きて……いるんですか?」

 「生きています。ただ、語らないだけです」

 その言葉に、ぞっとする寒気が背を走った。

 巫女とは、神の声を聴く者。だとすれば、あの姿は――“行き着いた先”なのではないか。

 ふと、沈黙の巫女の指先が、わずかに動いたように見えた。


 錯覚かもしれない。だがその瞬間、セラの胸に、確かな予感が走った。――ここに来てはいけなかった。


 その夜。

 寝台に横たわるセラの耳に、再び“声”が届く。

 「愛せ。だが、従え」いつもと同じ声。


 けれど、その言葉の“継ぎ目”に、わずかな空白があった。呼吸のような、躊躇のような、揺らぎ。セラは目を見開いた。


 ──今、何かが欠けた。それが何かは分からない。


 けれど、はっきりと感じた。

 「……神は、迷っている」


 その瞬間、セラの中で、静かに何かが崩れ始めた。そしてこの亀裂が、やがて世界を二つに割ることを、彼女はまだ知らない。

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EchoNoos −神はまだ語るか− Spica|言葉を編む @Spica_Written

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