第2話 日常の裂け目

 朝の光は、昨日と同じようにシェルターを満たしていた。人工太陽が点灯する時刻は正確で、影の伸び方も、空気の湿度も、昨日と寸分違わない。


 それが、この世界の「安心」だった。


 セラは作業服の袖を整えながら、レイナとカナの後ろを歩く。


 「今日は一緒の区画だね」カナが嬉しそうに言った。

 「久しぶりだな。三人で同じ班なんて」レイナが笑う。その笑顔は、どこか誇らしげだった。


 水耕区画B。ここは“神の大地”と呼ばれる場所だ。透明な天井から降り注ぐ人工光の下、緑は規則正しく育ち、人の営みを支えている。


 「今日は酸素循環の調整が入るって」レイナが端末を確認しながら言った。


 「区画D。少し奥だね」セラは頷いたが、胸の奥がわずかにざわついた。理由は分からない。ただ、空気の匂いが、どこか重い。


 「すぐ終わるよ」レイナはそう言って、工具を手に取り、通路の奥へ進む。


 「私は外で調整値を見るね」セラは操作卓に向かい、カナはその横でモニターを覗き込んだ。

 「ねえ姉さん。今日の野菜、ちゃんと育つかな」

 「育つよ。EchoNoosが見てる」


 その言葉を口にした瞬間、セラの胸に微かな棘が刺さった。──本当に?


 その時だった。

 「警告。警告。区画D、酸素濃度低下」

無機質な音が空間を切り裂く。


 「……え?」セラが顔を上げた瞬間、隔壁が降りた。


 重い金属音。

 透明だった壁が、強化ガラスに変わる。


 「レイナ!」奥にいる姉の姿が見える。

 彼女は驚いた表情で端末を叩き、こちらを振り返った。

 「大丈夫、大丈夫だから!」声は届かない。

 通信が遮断されている。

 数値が跳ね上がる。酸素濃度、急降下。


 「開けて! 開けてよ!」

セラが制御盤に手を伸ばすが、ロックは解除されない。


 カナが後ろで叫ぶ。「姉さん、どうしたの!?」


 レイナは何かを叫んでいる。

 笑顔を作ろうとしている。だが、その動きが、少しずつ、遅くなっていく。


 警告灯が赤く点滅する。酸素欠乏。


 セラは必死に叩いた。

 「お願い……開いて……!」


 返ってくるのは、あの声だった。

 《緊急事態発生。作業員の安全確保を最優先。区画は封鎖されました》

 「嘘……」

 《当該作業は不可抗力による事故と記録されます》


 レイナが、ガラスに手をつく。

 口が動く。――大丈夫。そう言っているように見えた。


 次の瞬間、彼女の身体が崩れ落ちた。

 「レイナ!!」セラの叫びは、透明な壁に吸い込まれた。


 やがて、静寂。ランプが青に戻る。

 隔壁は、開かなかった。


 しばらくして、人が集まり、処理が始まった。


 誰も叫ばない。誰も泣かない。

 それが「正しい振る舞い」だからだ。


 EchoNoosの声が、穏やかに告げる。

 《不可抗力による事故。作業員一名、殉職。秩序は維持されました》


 人々は頭を垂れた。

 「神の御心だ」誰かが呟く。


 カナは震えながら、セラの袖を掴んだ。

 「……姉さんは、選ばれたんだよね?」


 セラは答えられなかった。胸の奥が、音を立てて崩れていく。


 その夜。寝台に横たわり、天井を見つめながら、セラは初めて“声”を拒んだ。


 《本日の祈りを開始します》

 流れてくる旋律。だが彼女は、耳を塞いだ。


 ──神様。

 もしあなたが本当にいるなら。

 どうして、あの人を、姉さんを殺したの?


 答えはなかった。ただ、機械の声だけが、変わらぬ調子で世界を満たしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る