マニ・ファクチュア―永久祈関―

D野佐浦錠

マニ・ファクチュア―永久祈関―


 来円らいえんが自らの知る世界とは全く異なる世界に来たのだと知ったとき考えたのは、この世界においても仏の加護はあるのか、ということだった。

 現世のうちにあるならば、たとえ宇宙船で地球を遠く離れようが仏の加護を信じることはできた。徳広難窮。名為無尽。無尽之徳包含曰蔵。仏の功徳はどこまでも尽きることがなく、宇宙の果てであってもそれは変わりのないはずであった。

 しかし、来円が経験したそれは明らかに、世界そのものの断絶だった。

ことわりそのものが全く異なる、かつて自分がいたそれとは全く異なる世界においてさえ、仏の加護はあり得るのだろうか――それが来円に去来した問いである。

 

 来円のかつての世界での最後の記憶は、月面での寺院建設工事の最中の不慮の事故だった。

 工学系の知見を買われ、現場で意匠の確認を行っていた来円は、不注意によって発生した鋼材の崩落事故に巻き込まれてしまったのである。

 月の重力は地球の六分の一程度とはいえ、崩れた鋼材の山は来円が自力で脱出することが不可能な重量を備えており、更に悪いことに崩落を被った際に宇宙服に穴が開いていた。

 瞬く間に酸素量が低下し、意識が薄れていく。

 人の一生とはかくも因果なものである、というのが来円が意識を失う前に最後に考えたことだった。



 目を覚ますと、来円は菩提樹の木陰に横たわっていた。

 蒸せるような草の香りはどこの国のものとも知れず、来円は宇宙服の内側に来ていた法衣を身に着けており、身体に痛みや傷はなかった。

 自分は月面で命を落としたはずではなかったか。つまりここは死後の世界、冥土であるということなのか。

 しかし、想像していた冥土とはあまりにも様子が違った。

 草原の中に立つ一本の菩提樹からは力強い生命力が感じられ、周りの草々についても瑞々しい活力があった。そして、来円自身の呼吸、心拍、五感。肉体の反応はあくまでも自分が実地に生きているということを主張している。

 敬虔な仏教徒であった来円にして、ここが冥土だとはあまりにも信じ難い状況だった。


 やがて来円は、菩提樹の前を通りがかった若く美しい女性と出会う。

麻のような素材で作られた、見慣れない様式の衣服を身に纏っていた。栗色の長い髪に、青緑色の瞳。どこの人種に相当するのかも推定できなかった。

「旅の方……いえ、もしやあなたは異世界からの迷い人では?」

 と女性が鈴のような声で来円に問うた。


 日本語で話しかけられたことにまず驚き――否、どこか全自動完全同期翻訳リンガルシンクロニゼーションのような趣きがあった――それから「異世界」という単語が来円の気を引いた。


「あなたは」

 と言いかけて、喉がからからでそれ以上声が出ないことに来円は気付く。

「いけない」

 と女性は木製の質素な器を取り出すと、少しの間、俯いて瞑目した。それは来円の良く知る、何か大いなるものに対する祈りの姿であった。

 驚いたことに、器の中に透明な水が満ちた。それは空中から自然に発生したかのように見えた。

 水は美味だった。丁重に感謝を述べる来円に、女性は気にしなくて良い、と微笑む。


 介抱を受けながら、来円はシアナと名乗った女性から説明を受けた。

 どうやらここは、来円の知る、地球を含む世界とは全く別の世界であるらしい。

 来円が目覚めた草原には、ごく稀に「異世界からの迷い人」が訪れるのだそうだ。

 その機序は不明であるが、かつて別の世界で命を落としたはずが、この菩提樹の陰で目を覚ましていた、という人物の物語がいくつも残されているのだという。

 この菩提樹もまた、この世界に自然に存在する種類の植物ではなく、異世界から訪れたものと伝わるのだそうであった。


 シアナに同道しつつ聞いた話から、この世界についての概ねの輪郭は掴めてきた。

 文明水準としては地球の産業革命以前といったところで、生活様式や政治形態はかつての欧州のそれに比較的似ていた。国王を盟主とする王国がいくつか隣接していて、政治的には安定しているものの有事への備えは怠っておらず、剣や槍を扱う武芸者や、強い力を持つ祈祷師は重宝されるのだという。


 来円が最も驚愕したのは、この世界における不思議な法則だった。

 それは一言で言えば、「祈りが力になる」ということである。

 シアナが来円に水を恵んだ際の現象も、これによるものだった。

 祈る、という行為がもたらす力によって、大気中の水分を集めて凝縮させていたのである。

 これはその力の使い方のほんの一端に過ぎず、この世界では、火を起こしたり、荷物を運んだり、建造物を構築したりすることに、この祈りの力を日常的に使っているのだという。

 自然、人間同士の戦闘行為にもこの力は用いられ、戦争ともなれば祈祷師の集団が大規模で破壊的な現象を発生させることもあるらしかった。


 この世界の人々は何に祈っているのか、と来円はシアナに問うた。

「何に?」

 とシアナは不思議そうな顔を浮かべた。

「私たちはただ祈ります。ずっと昔からそうして生きてきました」

 来円にとっては驚くべきことに、この世界の人々は祈る対象というものを持たなかった。

 この世界で、仏の加護はあるのか。

 仏を信じ、祈るということに意味はあるのか。

 それが、来円に訪れた問いかけであった。


 世界の方は、来円にすぐに答えた。

 来円が仏に向けて祈りの気持ちを整え、念仏を唱えると、たちまちのうちに烈火が走り、巨岩が動き、川を流れる水が裂けたのである。

 それはこの世界の水準でみても一個人の祈りが起こす現象としては極めて大きいものであったらしく、シアナは来円を王宮に大祈祷師として推薦すると色めき立った。

 来円の知る限り、祈りとは概ね個人的で、密やかな行いだった。人々の連帯を促し、心を一つに重ねる媒介としての役割を果たすことはあったものの、社会の中で実際に何かを動かすということはなかった。

 この世界における「祈り」の概念は、それとは一線を画していた。


 祈りが力になる、ということは。

 それが直ちに、即物的に見返りをもたらすということであり、なおかつ、それを定量的に評価できるということだった。

 そうであるからこそ、この世界はを必要としないのだった。

 この世界では、汎神論パンセイズムが支配的であり、また客観的事実であった。


 この世界においても、仏の加護はあり得るのか、という問いに来円は立ち返る。

 熟慮を重ねた末に、来円はそれは「ある」のだと自らの意志をもって決定付けた。

 仏は一切衆生を救うものであり、それはこの世界において観念的な水準レベルではなく実地に実現されている。その事実は仏の加護があることの証明であると来円は考え、そうであると決めた。同じ事実から全く逆の結論を導出することも論理的には可能であったがために、ここでは来円の意志が仏の加護の実存を決定付けたということになる。


 来円は王宮に大祈祷師として迎えられ、仏の教えを異世界の民に広めることに腐心した。

 またその祈りの力を買われ、国内外の重要な会議の場や、ときにはより鉄火場めいた現場に同席することとなった。

 来円の祈り一つで、その気になれば議事堂が丸ごと吹き飛ぶような竜巻を発生させることもできた。来円という一人の僧侶の存在が、議論の場を成立させるための抑止力として機能していた。

 祈りが見返りを与えない世界に生まれ育ち、それでも丹念に磨かれた来円の信仰心の強さは、異世界の大祈祷師をも凌駕していたのである。

 仏への祈りが武力として行使されること、祈りの力が戦争の道具となることについて、来円としても複雑な思いはあった。

 だが来円の知る人間の歴史においても、宗教と戦争が結び付かなかった例を探す方が難しいというくらいであった。戦国時代における仏教のあり方などを持ち出すまでもなく、それが自然の成り行きであるという実際的な考えをも、来円はまた持っていた。

 善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや。

 仏は誰も彼もを見境なく救う。罪や欲、分別の有無や善悪などには関知しない。それが来円の信じる仏のあり方であった。


 来円は浄土真宗の徒ではあったが、古今の教えを横断的に学び、柔軟に採り入れるという姿勢を持っていた。

 この世界の法則を知ってから、来円が取り組み続けていたのが、「マニ車」によるエネルギー供給機関の開発であった。

 マニ車とは、チベット仏教において用いられる仏具であり、回転する筒の中に経典を納めたものである。これを時計回りに回転させると、回転させた分だけの経文を唱えたのと同じ功徳が積まれるとされている。識字率が極めて低かった時代に、経文を読めない民草にも仏による救いが及ぶよう考案された仏具であった。


 この世界に祈りの対象となる偶像は存在しないものの、いくつかの種類の決められた祈りの手順といったものはあった。呪文を唱えたり、礼やハンドサインのような一定の所作を行ったり、祈りの言葉を書き起こした紙を火にくべたりといったものである。

 これら一定の手順に従うことで、この世界の人々は内心の祈りの気持ちの強さに依らず、比較的安定した出力で物理的結果を得ることができていた。


 したがって、この世界に仏教の教えが広まりつつある現状、マニ車を回すことによって功徳を積み、エネルギーを供給するということは可能であると考えられた。

 この機関には、簡易的な機構であり、マニ車本体の大小に融通が利き、出力の調整が極めて容易であるといった利点があった。


 これらのメリットを踏まえ、来円はマニ車機関の開発を王室に奏上した。国王以下、王室は大いに賛同し、潤沢な予算と権限が来円に与えられた。かくしてマニ車機関の開発が始まる。

 来円には工学の知見もあったため、機関の設計には来円自身が大きく携わった。来円自身が記した経文による試作一号機は、予想以上に安定した出力を発揮し、王宮の風呂を沸かしたり、料理や茶を淹れるのに使われたりと大好評を博した。


 マニ車機関の開発はその後も順調に進み、仏教の教えとともに王国内に大いに広まっていった。

 多くの家庭には調理用のマニ車が一家に一台といった形で広まっていき、都市のエネルギー供給を支える巨大マニ車の建設工事計画が進行した。やがて、既存の水車や風車にマニ車機関と同様の機構を後付けする技術も生み出され、功徳は自動的に積まれるものとなった。

 かつての世界よりもずっと多くのエネルギーを安定して扱えるようになり、この世界の人々の暮らしは豊かになった。

 たとえば雨乞いは、これまで何名もの祈祷師が夜通し祈り続けるといった方法で行われていたが、必要に応じてマニ車機関を十分な量回転させることで代替できるようになり、農業のための気候操作は専門性から解放され、農作物の生産効率が向上した。市井の人々の炊事や洗濯といった家事の負担も低減された。もともとこの世界には見事な水道網が敷かれていたのだが、水車と連動するマニ車機関の実装により配水効率と水質が格段に向上した。


 こうして来円はマニ車機関開発の功績で大祈祷師として確固たる地位を築いたのであるが、このとき既に、来円には更なる展望があった。

 この世界では、「祈りが物理的な現象を起こす力となり」、なおかつ「それを定量的に評価することができる」。そして、「マニ車を回転させることで、その祈りの儀式的機構によってエネルギーを取り出すことができる」。

 これらの条件から、一つの仮説が立つ。

 もし、

 ――更なる回転は更なるエネルギーを生み、永久機関、いやさ「」が完成するのではないか。

 来円はこのアイディアに興奮していた。

 工学の徒として、絶対に不可能と考えられていた領域にこの異世界で足を踏み入れることになる、という興奮。そして、その実現こそが仏による衆生への無限の救済を意味することとなるのではないか、との思いがあった。


 しかしこの時点で、「永久祈関」の実現までの道のりはいまだ遠いものと思われた。

 自分自身を回転させるマニ車機関の試作品は、確かにそれ自体の祈りによって自身を回転させるエネルギーを生じることができた。

祈りそれ自体が新たな祈りを生むことは、ある種、大乗仏教的な「空」の思想にも通じると思え、来円にとっては象徴的な出来事であった。しかし、この時点ではエネルギーの収支が釣り合わず――最初の祈りによって生じる新たな回転は最初の回転よりも小さいものとなり、回転はやがて減衰して停止した――直ちに永久祈関の実現とはならなかったのである。


 この問題を解決するために必要なのは、地道な技術水準の向上に他ならなかった。

 すなわち、マニ車本体の軽量化、各部品からなる駆動系の効率化、そしてマニ車一基あたりになるべく大量の経文を記入できる印刷技術の高度化である。

 来円は残りの生涯をこの永久祈関の開発に捧げ、二十余年にわたりマニ車機関の改良に血道を上げたが、その完成を見ることは叶わずこの世を去った。


 来円の没後、弟子たちがその研究を引き継いだ。来円の遺した言葉は「来円抄らいえんしょう」として記録され、この世界の歴史上でも重要な書物となった。

 来円が没してから実に十二年後、ついに重要な転換点が訪れた。

 エネルギー収支がプラスとなり、止まることなく回転し続けるマニ車機関の試作品の製作に成功したのである。この瞬間こそが、永久祈関の完成の瞬間であった。


 永久祈関が実現してからの技術革新は速かった。「来円抄」には、永久祈関ができた場合に実現できる色々な機構や社会制度のアイディアが記されていたのである。

 従来ではマニ車機関をもってしても莫大な量の祈りを必要とした、山岳トンネル建設などの大規模土木工事も、永久祈関を前提とすれば現実的だった。

 個別の発明品として白眉であったのは、車輪に永久祈関式のマニ車を搭載した四輪、あるいは二輪の自動車、いわゆる「マニ車車マニ・カー」である。この自動車は燃料や他の動力源を一切必要とせず、どこまでも走り続けることができた。マニ車車マニ・カーは世界の物流網を完全に革命し、マニ車車マニ・カーの通行のための舗装路が急速に整備された。その舗装作業にはまた、鉄輪に永久祈関式のマニ車を内蔵した「マニ車締固め機マニ・ロードローラー」が用いられた。

 極端な話、市井の一市民が永久祈関によって理論上無限のリソースを手にできるとなっては、既得権益による抑圧を前提とした王族の政治は徐々に機能しなくなっていった。王宮の権威は形骸化し、政治的意思決定のプロセスは徐々に共和制に近いものへと移行していった。

 そうして市民の地位が向上し、なおかつ重要なのは無限エネルギーの使い方の工夫であるという世の中になったことで、新自由主義に酷似した資本主義経済が自然発生したのだった。


 来円の没後、二百年が経過した。

 永久祈関によって支えられる社会は栄華を極めていた。

 高層建築が立ち並ぶ絢爛な都市が成立し、電灯の発明と永久祈関が組み合わされた結果、都市では常に明かりが煌々と灯り続けることとなり、人々は時刻を忘れて経済活動に勤しんだ。この時代の都市に生まれた若者は、夜という概念を持たなかった。

 高層階どうしを行き来する、マニ車式回転翼機マニ・コプターが広く使われ、物流の効率化はますます進んでいた。電子回路や通信網の技術も飛躍的に発達し、生産を支えるエネルギーは永久祈関が無限に供給するため、資源が尽きぬ限りはどこまでも経済を回転させることができたのだった。来円がこの経済的循環をも仏の救いであると見なしたかどうかは、いまや知る術がない。


 この時代に社会問題となっていたのが、惑星規模の温暖化であった。

 マニ車車マニ・カーマニ車式回転翼機マニ・コプターは温室効果ガスを発生させたりはしなかったものの、そもそも永久祈関が生み出すエネルギー収支がプラスである以上、惑星全体に熱が溜まっていくのは道理であった。

 「祈りが力になる」という世界の法則には実は人類にとっての不都合があり、「負の祈り」というものを想定し得ない以上、祈りによってエネルギーを生み出すことはできても減らすことはできない。すなわち、マニ車機関等を用いて惑星を直接冷やすことはできないのである。


 驚くべきことに、二百年前の書物である「来円抄」にはこの事態が予測されており、その対策の案までもが記されていた。

 それはこの時代の人類にとっても極めて大胆な発想だった。

 地上の数ヶ所に巨大なマニ車機関を設置し、それらの生み出す莫大な運動エネルギーの精緻な相互作用により、惑星の公転軌道を少しだけ外側にずらすというのである。


 「来円星遷ライエン・シフト」と呼ばれたこの計画は、この世界でも空前となる、歴史上最大のプロジェクトだった。

 激しい議論の末にこの計画の実施が決定され、世界最大規模の巨大マニ車機関が建造された。

 実際に公転軌道をずらすためには、この機関を僅か数時間起動するだけで良かった。一度惑星が適切な軌道に乗ったならば、あとは自然に恒星との引力によってバランスし、永久祈関の出力によって細かい軌道の調整が随時行われ続けるという計算だった。


 果たして機関は起動され――

 永久祈関によって駆動する機械やシステムは、もとより出力のオーバーフローをある程度許容できるように設計されているのが常ではあった。

 しかし、このとき世界中の祈りが集中したために、機関のオーバーフローは許容値を超えた。その結果、惑星の公転軌道は想定よりも更に外側にずれ、恒星との距離が計算外に広がってしまったのだった。

 これより惑星は寒冷化を始め、人々は暖房なしでは厳しい寒さに晒される世界で生きることとなる。

 また、祈りの力の暴走に直面した人々は、体内のナノ・マニ車機関によって祈りの起こりを観測され、許容値を超えた祈りは規制されるという厳格な仕組みを構築した。

 かくして、この世界は「星の冬」と呼ばれる長い受難の時代を迎えるのである。(了)

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