第7話 ユカリとの出会い
中学に入学して、私は美術部に入った。人と話すのは苦手だったけれど、一人で絵を描いている時間は、唯一、色の洪水から逃れられる安らぎの時だったからだ。キャンバスに向かっている間だけは、自分の内側に集中できた。
ユカリと出会ったのは、そんな美術室でのことだった。
彼女は、いつも楽しそうに絵を描く子だった。長い黒髪をポニーテールに揺らし、制服の袖をまくって、夢中でパレットに絵の具を広げている。その周りには、いつも穏やかで、温かい光が漂っていた。
初めて言葉を交わしたのは、静物デッサンの時間だった。私が描いていたリンゴの陰影の付け方に悩んでいると、彼女が後ろからひょっこり顔を覗き込んできた。
「ハルちゃんの絵、すごいね。ここの光の感じ、本物みたい」
突然話しかけられて、私はびくりと肩を震わせた。けれど、ユカリの体から放たれているのは、警戒するような色ではなかった。それは、桜の花びらのような、淡く、透き通った桃色の光だった。その粒子はとても細かく、シャボン玉のようにふわりと宙を舞い、見ているだけで心が和らいでいく。それは、純粋な好奇心と、親愛の情が混じり合った、とても心地の良い色だった。
「ありがとう……。でも、ここの影が、うまくいかなくて」
私がぽつりと呟くと、ユカリは「わかるー!」と言って屈託なく笑った。そして、「私なんて、全然立体感出ないんだよ」と自分のイーゼルを指差す。彼女の周りの淡桃色の光が、その言葉と一緒に、ぽわん、と少しだけ大きく膨らんだ。
それから、私たちはよく話すようになった。好きな画家のこと、新しい絵の具のこと、構図の取り方のこと。ユカリは、私がどれだけ無口でも、根気強く話しかけてくれた。彼女と話していると、いつも美術室に差し込む西日のように、心が温かくなるのを感じた。彼女から放たれる淡桃色の粒子は、金色のように激しくなく、赤のように攻撃的でもない。それはまるで、上質な羽毛布団のように、私の心を優しく、そして確かに包み込んでくれるようだった。
ある日、私がこっそり描いていた空想の風景画を、彼女が見つけたことがあった。誰にも見せるつもりのなかった、私の内面を描いたスケッチブック。慌てて隠そうとする私を、ユカリは「見せて!」と言って止めた。
「すごい……。ハルちゃんの世界って、こんなに綺麗なんだ。この青色、どうやって作ったの?悲しい色なのに、なんだかすごく優しい」
ユカリは、目をきらきらさせながら言った。その瞬間、彼女の体から、今までで一番濃い淡桃色の光が、花が開くようにふわりと広がった。それは、私の絵に対する、嘘偽りのない賞賛と共感の色だった。
嬉しかった。初めて、自分の見ている世界を、誰かに肯定してもらえたような気がした。この能力は呪いなんかじゃないのかもしれない。この子となら、この色の見えない壁を越えて、繋がることができるかもしれない。
美術室の、絵の具とテレピン油の匂いが混じり合った空気の中で、ユカリの隣で絵を描く時間は、私にとってかけがえのない宝物になっていった。彼女の放つ淡桃色の光は、私の孤独な世界に差し込んだ、最初の確かな光だった。
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