第2章 呪いの色

第5話 運動会の笑顔

あの夏の熱が引いてから、私の世界はすっかり様変わりしてしまった。まるで、今までモノクロだと思っていた映画が、突然、誰にも見えない色で彩られ始めたかのように。初めのうちは、人の感情が色となって見えることにひどく怯え、できるだけ人混みを避けて過ごしていた。けれど、人間の順応性とは不思議なもので、いつしか私は、この奇妙な視覚を日常の一部として受け入れ始めていた。それは、常にノイズの混じるラジオを聞き続けるような、諦めに似た慣れだったかもしれない。


悲しみの藍は、今でも時折、胸を重くさせる。けれど、母が見せてくれた金色の光のように、温かい色もこの世界には存在することを知った。私は、まだ名前も知らない無数の色が存在する、この新しい世界の法則を、まるで手探りで石を拾い集める子供のように、一つひとつ学んでいくことになった。




小学五年生の秋、運動会の日の空は、突き抜けるように青かった。乾いた風が運動場の砂埃を巻き上げ、応援団の叩く太鼓の音が、心臓のあたりで低く響いていた。クラスカラーの赤いハチマキをきつく締め、私は自分の出番を待ちながら、トラックを駆けていく生徒たちの姿を眩しそうに目で追っていた。


その瞬間は、クラス対抗リレーのアンカーが、テープを切る寸前に訪れた。


最終走者のタカシくんが、必死の形相で走ってくる。すぐ後ろには、白組のアンカーが迫っていた。観客席の保護者たちや、応援席の生徒たちから、割れんばかりの歓声が上がる。がんばれ、という声の波。その声援の一つひとつが、目に見える形となって、タカシくんの背中を押しているかのようだった。


そして、彼が胸で白いテープを切った、まさにその時。


世界が、黄金の光で爆発した。


生徒たちから、保護者たちから、先生たちから、一斉に噴き出した金色の粒子が、まるで太陽のフレアのように運動場全体を包み込んだのだ。それは、母が見せてくれた穏やかな光とは比べ物にならないほど、強く、激しく、そして圧倒的な量の「喜び」の色だった。


一つひとつのピクセルが、炭酸が弾ける微かな音が聞こえる、蜂蜜の味がする金色となって空に舞い上がる。それは砂埃と混じり合い、きらきらと輝く金の靄となって、青空を背景に乱舞した。見ているだけで、自分の体まで軽くなって、空に浮かんでいけそうなほどの高揚感。あの重苦しい藍色とは正反対の、どこまでも軽く、温かく、そして人を幸せにする光。


抱き合って喜ぶクラスメイトたちの周りには、特に濃い金色のオーラが立ち上っている。涙を流しながら息子の名前を呼ぶタカシくんのお母さんからは、金色の粒子が間欠泉のように噴き出していた。


私は、その光景にただただ圧倒されていた。すごい。喜びって、こんなにも眩しくて、力強い色なんだ。それは、誰か一人だけのものではなく、その場にいるみんなの心が共鳴し合って生まれる、巨大な光の集合体だった。その黄金の雨の中にいると、不思議と藍色の悲しみを見た時のような頭痛は起こらなかった。ただ、胸がいっぱいで、少しだけ泣きたくなるような、そんな不思議な感覚に包まれるだけだった。


この日、私は初めて、感情の色が持つ力の、もう一つの側面を知った。色は、人を絶望させるだけじゃない。こんなにも、生きる力を与えてくれるものなんだ。運動場の片隅で、私は一人、誰にも見えない黄金の雨に打たれながら、この世界の複雑さと美しさに、静かに打ち震えていた。

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