最終話 魔の街

 一週間後、七七子は歌舞伎町を歩いていた。十二月の半ばなので、歌舞伎町の飲み屋やホストクラブにも、クリスマスを感じさせる飾りつけやイベントの告知が貼りだされていた。気の早いことにサンタやトナカイのコスプレをしている客引きもいる。


「痛たた…」


 まだ歩くと胸の辺りが痛んだ。やはり肋骨にヒビが入っており、全治一カ月と言われていた。他にも全身に打撲や裂傷が数多くあり、二日前まで入院していた。

 七七子の隣には祖母のアキがいた。七七子と同じくらい背が高いアキは、トレンチコートを羽織り、ヒールを履いて堂々と繁華街を闊歩した。田舎にいる祖母の姿しか知らなかったが、意外とこういう場所にいても違和感がない。


「どう、おばあちゃん」

「んだな。こごは普通でねな」

「やっぱり、悪魔の気配が残ってる?」

「気配というよりも、悪魔がこの街を作ったと思った方がいいべな」

「どういうこと?」


 その時、客引きがアキに声をかけたが、アキの鋭い眼光に睨まれ、すぐに引き下がった。

 話しているうちに、悪魔の腕が眠っていた雑居ビルに辿り着いた。


「このビルのごど、調べでみだ。これは1970年代に中国人が建てだビルだな。その中国人が持ち込んだんだが、もっと以前がらこの街さあったんだがはわがんねばって、とにかぐ海外から悪魔の腕はやってきた。んで、中国人がこのビル建でだ時に、隠し場所としてその地下室を作ったんだべ」

「なんで、悪魔の腕なんかを地下に隠したんだろう」

「強力な呪物は、魔を祓ったり商売繁盛をもたらすお守りになるって考え方もあるがらな。中国人にはそういう考えの人も多いんでねが」


 二人は雑居ビルに足を踏み入れた。階段を下りながら、アキは話を続ける。


「悪魔の腕は仮死状態ではあったんだども、その強力な力は、少しずつ地下から漏れで街さ広がっていった。アスモデウスは人の欲望どご操るんだべ? この街で、人が過剰に欲望さ忠実になんのは、間違いなぐ悪魔の影響だべな。悪魔に育てられで、この街は大きぐなってきたんだ」

「じゃあ、歌舞伎町はこれからもっと普通の街に変わっていくのかな」

「どうだべな。それはオレさもわがんね。何にしても、『夢の薬』がバラまかれだのがこの街でねくていがった。被害は学校の比ではねがったべな」


 機械室の床の扉を開け、梯子を下り、狭い通路の先の鋼鉄の扉を開ける。鍵は開けっ放しになっている。

 地下室はあの日のままだった。悪魔こそいないが、悪魔がとり憑いていた男の遺体と、畑中乃亜の遺体が残されている。乃亜の潰れた遺体は、天井からはがれて床に落ちていた。

 予想はしていたが、強い腐敗臭がした。思わず鼻を押さえる。アキが平気そうな顔をしているのが七七子は信じられなかった。

 悪魔の気配も、完全に消えたわけではない。何せ、何十年もここにあったのだから無理もない話だ。


「この人たち、どうするの?」

「オレの知り合いさ頼んで、回収して貰う。然るべき処置をしてから、遺族さ返す」

「そっか。よかった」


 足元に愛果が使っていたリュックが残されていた。その近くに、シャチのキーホルダーが落ちている。

 七七子はそれを拾って目の前に掲げた。


「あの子、シャチが好きだったのかな」

「ご遺体は回収するども、他のもんは持って帰ってはなんねど」

「わかってるよ」


 七七子はそう言って、床にキーホルダーを投げた。


「近々、こごは封印する。二度と誰も入れねぐしねばね」


 七七子とアキは地下室を出て歌舞伎町を歩いた。駅に向かいながら、七七子はおずおずとアキに訊ねる。


「ねえ、私が未熟なのは十分わかったよ。だからさ、やっぱおばあちゃんに修行をつけてもらいたいんだけど……」

「駄目だな」


 アキは全く悩むことなく即答した。


「なんでよ! こんなボロボロになりながらすごく強い悪魔を祓った孫のこと、ちょっとは認めたらどうなの?」

「オレはおめを認めね。危なっかしすぎる。話はこれで終わりだ」

「はあ!? 終わってないんですけど?」


 大声で言い争う七七子とアキの声は、日本一の繁華街の喧騒のなかでもよく通っていた。

 変わり者を見慣れているはずの歌舞伎町の住人達にとっても、そのやかましい二人は、妙な存在感があった。人々はその姿を、雑踏に隠れて見えなくなるまで見つめていた。


                 ***


 悪臭と瘴気が漂う地下室に、誰も気がついていない、壁のコンクリートが一部剥がれてできた穴がある。その穴は棚に隠れていて、ぱっと見では存在がわからない。何度も出入りしていた乃亜も気づいていなかった。

 その穴のなかの空間は、ビルが建てられた際に意図的に壁のなかに作られたもので、経年劣化により壁が剥がれ、露わになったのだった。

 穴のなかに、細長い木箱が隠されていた。埃を被ったその木箱は、漢字が書かれた札で封印されていた。

 一切光の届かない地下室のなか、木箱の内側を爪で掻く音が、誰にも知られることなく響いていた。

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さみしい夜にのむ薬 @hoshiroku

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