戦前X年

脳幹 まこと

Count up or Count down


「有働タイムズ」という番組の中で、台湾有事と与那国島に関する話が取り上げられていた。晴れている時は台湾の大地が肉眼で確認できるほどの距離にある島には、レーダー施設が建ち、米軍の計画では更に兵力を増設するようだ。

 もし、中国が強硬手段を採用した場合、戦闘は不可避のものとなる。そうなった時――有事に備え、即日で島民を避難させる計画があるそうだ。一応、避難しきれないパターンを想定し、地下シェルター付きの施設も築く予定らしい。


 与那国島は太平洋戦争で空襲を受けている。

https://shimanosanpo.com/churajima01/yonaguni00/rekishinen_06.htm


 その際、島民は「ガマ」と呼ばれる洞窟に避難をした。蝙蝠が飛び交う暗い穴倉の中、轟音を聴きながらひたすら身を固めるしかなかったとのことだ。大変なストレスだったことは、想像するまでもないだろう。

 米軍の高名な戦略家は、台湾有事で仮に戦闘となった際は「天然のシェルターに逃げ込むことも有効だろう」と述べている。


 その言葉を聞いた時、私の心はあきらかに冷え込んだ。


――そりゃあ、アナタはいいでしょうね。


 次の瞬間には、更に冷え込んだ。


――ああ、ワタシもね。


 番組が終わって、私は少し塞ぎこんだ。

「他人事のように語るな」と、安全圏から怒ったことに。


 悲惨の象徴である「戦争」に――これだけ現実味を帯びてもまだ実感を覚えないことに。



「戦争は他の手段をもってする政治の延長である」とクラウゼヴィッツの「戦争論」は語っている。

 戦争とは国の事業であり、計画である。

 例えば戦争という非常事態は、国民から政府への支持率を上げるのだという。国内の不満を国外に当てることで解決を図る。一致団結して一つの目標にぶつかるのだ。種火が群がった巨大な火の玉のように。

 ヒューマニズムで装甲コーティングされた組織は強い。ナポレオンの軍隊が解放を目的とした義憤に燃える人々で構成されていたことは知られる。士気の高さによって他国にない勢いを持つに至った。


 まさか戦争と呼ばれるものがごく一部の暴君、あるいは狂人、あるいは金にがめつい悪代官的な存在によって勃発すると思ってはいまい。大義のためなら、事件を捏造することも、逆に隠蔽することもある。デマを流すことだってあるし、それが事実に代わる・・・ことだってある。

 傲慢な官僚組織が原因とも限らない。当時の社会情勢が推し進めることもある。いわゆる選択の結果・・・・・だ。

 かのアドルフ・ヒトラーも国民の支持を受けて政権を勝ち取った。当然プロパガンダもあったのだが、国民は「ヒトラーなら困窮を打破してくれる」という期待をもって彼に投票した。


 悪人を断定し、縛り上げたい理由は、それが一番気分がいいからだ。考えなくていい。善の立場から悪を断じる時ほど、気分が良いことはない。

 仮に悪党を1000人殺したといって、許せないと思う人はいるか? 素性も知らぬ悪党の命を自分達の命と同様にいつくしめるか?

 戦時中はそういったニュースが平然と「朗報」として流される。なぜか? 士気高揚のためだ。人間性に訴えかける。そして「人間の定義」が出来上がる。外れた者を非国民(非人間)にする強固な枠だ。


 戦争という極限状態において、加害者と被害者、ミクロとマクロは錯綜さくそうする。

 焼け野原にするか、焼け野原にされるか。その中で後者を選ぶ人物は皆無だろう。使命感、または愛のために、突き進む。

 人間は人間性のためなら、人道から外れた事をいくらでもできる生き物なのだ。


 そして知らない人は「すべての後」で善悪を判断する。

 統計上では、人命はただの数字になる。



「戦後80年」という言葉。あるいは、それより前に起こった日清戦争、日露戦争。それより更に前の時代にあった――たとえば戦国時代など。


 数々の道を通って、私は現代日本で生きている。


 戦争は多くのマンガやアニメでドラマを生むために用いられることくらいしか知らない。

 織田信長は教科書か、ゲームの中でしか知らない。


 三浦雅士みうらまさしの著書「幻のもうひとり」に「悲惨とは距離の問題である」という一文がある。

 餓えに苦しむ子供、瓦礫まみれとなった市街地――戦争写真は悲惨を写し、見る人の心を強く揺さぶる。それは、被写体と距離がある・・・・・からだという。近くにあるが、ゼロではない。その時に「悲惨だ」という感情が生じる。決してこんなことが起こってはいけないと思う。


 写真は「複製コピー」を可能にした。不特定多数に同一の情報、パッケージを与えた。マスメディア。新聞もテレビもインターネットも、いずれも同じ性質を持っている。

 個人の体験にとどまっていたそれは、複製されることで周知の事実となった。身内の死を経ずして、死を知ることが出来るようになった。

 私の見るすべてが事実だとしても、だが、それは一枚の幕越しの知識である。


 先ほど、戦争に対して実感がないと述べたが、まったくの無関係ではない。

 コンピュータやインターネットが元々戦争を有利にするために作られた発明だということくらい、今となっては常識だ。

 私は戦利品・・・で生活をし、この文章を執筆している。タイムラインに流れるキャラクターにとうとみを感じてる間にだって、紛争は行われていて、飢餓に苦しむ人々がいる。

 

 血みどろの道の上に安寧を築いているのだ。


 その上に血の雨が降りかかろうと、何ら不思議ではない。



 当時ガマに避難されていた女性は、インタビューに対し「(ガマを)使わずに済むことを祈るしかない」と仰っていた。

 中国は台湾を自分のものだと主張してやまない。過去、アイヌや琉球王国を併合したあくる日の日本のように。


 私の不安は、結局は一点に集約された。


 どんな経緯があって、今、どんなことが起こっているのか。そして何が企図きとされているのか。


 戦後が積み重なっているカウントアップのか、それとも、戦前がすり減っているカウントダウンのか。


 戦時は一体、いつになるのか。


 おそらくそれは、突然・・だ。


 知らない人からすれば、何事だって突然に起きるのだから。

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