第14話 痛みの果てに

二人が家の前にたどり着くと、そこには見慣れた後ろ姿――つばさが立っていた。


「つばさママ?」


「あ、愛里、千鶴!ちょうど良かった」


どこか焦った様子のつばさが振り返る。


「さっきね、お客さんがくれたのよ、立派な鯛とお酒。だから、今晩はみんなでご飯しようと思って、秀ちゃんを迎えに来たんだけど…」


「……いないの?」


「うん。いくら呼んでも、返事がないの。鍵もかかってるし」


愛里の胸が、ドクンと音を立てた。


「……っ、どこに居るの?秀くん……」


その時、鋭い痛みが全身に走った。


「うっ……!」


身体を折り曲げてうずくまる。


「痛い!! 痛いっ、痛い!!」


「愛里?!」


驚いた千鶴が咄嗟に腕を伸ばす。つばさも慌てて駆け寄る。


「ど、どうしたの?愛里!どこが痛いの?頭?お腹?!」


だが、愛里は答えない。ただ震えながら泣き叫ぶ。


「やだぁ!! やめて! 痛い!! 殺さないでぇ!!」

その目は何かを見ている――しかし、ここには存在しない何かを。


「落ち着いて、愛里!大丈夫、何処にも怪我してないから!お母さんがここにいるから!」


千鶴は愛里を必死に抱きしめ、撫でるように背をさするが、叫びは止まない。


つばさは血の気を失った顔で、ただ立ち尽くしていた。



中学校の屋上では、惨劇が繰り広げられていた。秀は仰向けに倒され、すでに両肩を深く斬りつけられている。流れ出した血がコンクリの上に不規則な模様を描いていた。


その上に、璃子が馬乗りになっていた。


「………驚いた」


細く笑みを浮かべながら、璃子はナイフを弄ぶ。


「叫ばないのね。すっごく痛いはずなのに。拍子抜けするわ。もっと苦しんでよ。両手両足の爪を剥ぐ?後は…そうね、その左眼も、潰してやろうかしら?」


眉毛の下辺りを、ナイフでなぞる。


冷たい感触に、ぴくりと秀の眉が動く。


「それとも、心臓を抉る?……ううん、それじゃすぐ死んじゃうか。つまんないわね。クスクス……」


「……心臓は……半端な力じゃ……無理だ」


「……え?」


璃子が目を細めたその時、秀が震える手でシャツの前をゆっくりと開く。


さらけ出した胸元には、無数の深く爛れた傷痕。皮膚の下に残る醜い瘢痕。それらが彼の“懺悔”の証だった。


「ハサミや、ナイフで、抉り出そうとしたんだ…自分で……。退院まで2年かかった理由だよ……馬鹿だろ……? 病院で、そんなことしても余計に拘束されるだけなのにな……」

「……なによ、それ……」


璃子の瞳が見開かれる。


「なによそれ! なによそれ!!」


脳裏に走る、過去の記憶。鏡の前で、那由多の写真を見つめながら、自分の腕に刃を立てていた日のこと。血に濡れた洗面台。冷たい床。


――結局、私も、何も出来なかった。


「反省してるフリして……命乞いしてんじゃねえよ!! 宮下ぁ!!前から大っ嫌いだったんだ!」


璃子が絶叫し、ナイフを振り上げた。


「お前は今日、ここで死ぬの!! 一緒に地獄へ道連れよ!!」


「っ!!」


心臓部めがけてナイフが振り下ろされた——その瞬間、璃子の胸元から、何かがするりと落ちた。


ガキンッ!!


金属か何か硬い物にナイフが弾かれたような音が響いた。


「……ッ!?」


璃子の動きが止まる。


秀の胸元に落ちた小さな布地。地面にコロリと転がったのは、御守りだった。


それは、那由多が昔、彼女に渡したもの。


「……なんで……」


璃子は手に取り、震える指でその布地を握りしめる。


「まさか……堀田くんが……宮下くんを守ったの……?」


璃子の声はかすれていた。

手のひらの御守りを見つめたまま、力が抜けたように項垂れる。


「そんな……私は今まで……なんのために……」


血塗れの秀を前に、璃子はふらふらと立ち上がり、フェンスの方へ歩き出した。


「結城!!」


秀が声を張り上げる。


彼女の背に、返事はない。ただ、まるで夢遊病者のように、一直線に屋上の縁へ向かっていく。


「初めから、こうすればよかった……」


フェンスを掴み、ゆっくりと登る璃子。


「もう行くね、堀田くん……見つけてくれたら、嬉しいな……」


「結城!!!!」


広げた両手。傾く身体——

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