第12話 あの場所へ

「はい、次の方どうぞ〜」


軽快な声が診察室から聞こえ、愛里は母に車椅子を押してもらいながら、いつものように診察室に入った。


ここは、愛里のかかりつけの病院「黒崎医院」街の小さな診療所だ。


診察台の前でカルテをめくっていたのは、30代後半、白衣の下にVネックのTシャツを着た黒崎医師。細身で爽やかなその姿は、どことなく“王子様”のようだと、愛里が幼い頃に言っていたことを千鶴はまだ覚えている。


「やあ、愛里ちゃん。千鶴さんもお疲れさま。……ん?」


カルテを閉じた黒崎が、ふと愛里の顔をじっと見た。

「なんかさ、愛里ちゃん、様子変わった?顔つきっていうか…うーん、なんて言うんだろう、ちょっと大人っぽくなった?」


「え〜?そうですか〜?ふふふ〜」


千鶴がニヤリと笑いながら愛里の顔を覗き込む。


「愛里?何かあったの?お母さんに隠しごとしてる?」


「ちょっ…お母さん!な、なにもないっ!!知らないっ!!」


耳まで真っ赤にしながらそっぽを向く愛里。その反応に、診察室はふわっと笑いに包まれた。


「あれ?そゆこと??おいおい、なんだよ〜。ショックだな〜!てっきり愛里ちゃんは大きくなったら、先生のお嫁さんになってくれると思ってたのにな〜!」


「もう!黒崎先生まで!やだぁ!」


笑いながら照れる愛里。その頬の赤みは、どこかくすぐったいような甘さを含んでいた。



白い日差しの中、秀と璃子は並んで歩いていた。堤防の上を、璃子は軽やかに、時折バランスを取りながら歩く。まるで、過去と未来の境目をなぞるように。


「ふ〜ん、宮下くん、昏睡状態から覚めても退院まで2年かかったんだ。大変だったね」


「まあな。……結城は?どうしてたんだ?今、仕事してるのか?それとも進学したのか?」


璃子は足を止めず、前を見たまま、ぽつりと答える。


「そうね……な〜んにも……ただ、生きてた、かな…」


その言葉に、秀は一瞬だけ眉をひそめる。けれど、詮索はしない。彼女が言わないことには理由がある。何より、こうして昔のように、同級生として他愛のない会話を交わせることが不思議と心地良かった。

「ねえ!もう少し、付き合ってよ。今日お休みなんでしょ?」


璃子が振り向き、無邪気に笑う。その笑顔は、どこか危うさをはらんでいるようにも見えた。


「どこ行くんだ?」


「学校!!うふふ……」


璃子はくるりと一回転して、堤防の上を先に歩き出す。

その背中を見つめる秀の胸に、微かに波立つような、予感めいたものが揺れた。

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