不老不死は一瞬を夢見る

三ツ谷おん

不老不死は一瞬を夢見る

「はぁ……退屈。いっそのこと隕石でも降ってきちゃえばいいのに」


 昨日と少しも変わらぬ景色を眺めながら、私は日課のようにそう呟いた。


 地球は滅んだ。人類がこの星に見切りをつけて宇宙へと旅立っていったのは、もう何千年前の事だっただろうか。かつて栄華を極めた地球の姿は、今はもうどこにもない。行き過ぎた文明の発展で動植物は死滅し、人間がいなくなった事で建造物も崩壊した。地球は、宇宙のどの惑星よりも荒廃した星になった。


 私は不老不死だが、人間たちと一緒に宇宙に移住するチャンスが無かった訳では無い。でも、何かが引っかかった。ここで、誰かの帰りを待っているような。それが誰だったかさえ思い出せないけれど、誰かを待っているという事だけは実感があった。

 待っている誰かの顔も名前も思い出せないくらいだ。その約束を交わしたのは相当昔だっただろう。それでも私は、この星を離れることができなかった。顔も名前も忘れてしまった誰かと一緒に見た、あの一瞬が忘れられなかったから。


「今日こそは、何か起こらないかしら」


 いつものように、荒廃した世界を眺めながら目的もなく歩き回る。

 いくら不老不死といえども、心は人間とほぼ同じだ。何の目的もなく何もしなければ、いずれは狂気の底に沈んで廃人になってしまう。……いや、そうなってしまったほうが楽かもしれない。これ以上待っていたって何も変わるはずがない。分かっているのに、全てを投げ出すのが怖い。大切な誰かと過ごした記憶……それさえも時間の流れと共に失われつつあるけれど……それだけは失いたくなかった。その記憶だけが、今も私を私たらしめている。


 意味も目的もなく歩きまわっていた時だった。空に覆いかぶさったスモッグの隙間から、太陽の光が漏れ出てきた。天から架かった一筋の光は、ここから少し離れた一点を照らしている。


 太陽の光が差し込んでくるなんて何百年ぶりだろうか。時間は余るほどあるんだし、たまには太陽の光を浴びてみるのも悪くないかもしれない。そう思って、光の指す場所まで行ってみることにした。


 一時間くらい歩いて、その場所に着いた。数百年振りの陽射しは、とても暖かく感じた。

 人間がいなくなってからの長い間で、この星はほとんど歩き尽くした。だから知らない物なんてないと思っていたけれど、そこには意外な光景が広がっていた。


 ロボットが動いている。数百年前に見に来たときには少しも動かなかったのに、今はそれが立ち上がってこちらを見ている。太陽の光が指したことでバッテリーが作動したのかしら?


「あ……どうも」

「すごい、このロボット喋るわ。もう相当昔の物のはずなのに……」

「うぅ、何だかすごく長い間寝ていたような……って、何ですかこれ!? 緑が全然ない。この辺りは自然豊かだったはずなのに……」

「……あなたもしかして、地球が滅んだこと知らないの?」


 何も知らなそうだったので、ロボットにとうの昔に地球は滅んだ事を教えてあげる。それを聞いたロボットは驚きで飛び上がった。ロボットってこんなに感情的だったかしら。


「なるほど、つまり僕は地球が滅んでから今までの間、ずっとバッテリー切れで眠ってた訳ですか……。ご親切にありがとうございます。ところで、あなたはどうしてそんな地球で生きていられてるんですか?」

「それは私が不老不死だからよ。他の地球人と一緒に地球を離れる事もできたんだけど……この星を捨てたくはなかったから」

「不老不死、凄いですね! お名前は何ていうんですか?」

「……忘れたわ。もう何千年も自己紹介なんてしてないからね。ところで、あなたの方は?」

「……すいません、僕も長い眠りで忘れてしまったみたいです。僕は普通の機械じゃなくて、人間の記憶と意識を宿したアンドロイドなんです。だから人間だった頃の記憶もあるはずなんですけど……それも忘れちゃいましたね。ってことは僕達、名前忘れちゃった人同士って事になりますね!」


 ロボット改めアンドロイド君は笑った。記憶が無いのにこんな風に笑える彼のことが、少し羨ましい。


「……ねぇ、アンドロイド君。あなたはどうして、記憶が無いのにそんな風に笑えるの? 昔のことを覚えていないって、辛くない?」

「それは確かに辛いですよ。僕には何か、アンドロイドになってまでやりたかった事があったような気がするんですけど……それすら思い出せませんから。でも、僕はこうして今を生きています。心の底から楽しいと思えることに、過去は関係ありませんよ。今の中に僕達はいる、それだけでいいじゃないですか」


 アンドロイド君はそう言いながら、スモッグで覆われた空を見上げた。私にとっては見飽きた空。けれども、今起きたばかりの彼にとっては新鮮な空。昔と比べて大分濁ったこの空気も、彼にとっては初めて感じる空気。滅びたこの世界を新鮮に楽しむ彼の姿は、とても楽しそうに見えた。


「……確かにそうかもね。今こうやってあなたと話せて、私も少し楽しいかも」

「そうですか? それなら僕も嬉しいです」


 私達は仰向けになって、スモッグまみれの空を見上げた。改めて見てみるとこの空も、スモッグの濃度に波があったりして少し面白い。


「そういえば、不老不死さんはどうして地球に残ったんですか? 姿形は普通の人間なんですから、宇宙でも他の人たちに紛れて暮らせたんじゃないですか?」

「……それはね、ここが私にとって大切な星だから。もうずっと昔の事なんだけど、前に一回だけ人を好きになった事があるの。辛い思いをするだけだから、そういう感情を向けるのはやめようって心に誓ってたのに。時の流れは残酷で、今では顔すらも思い出せなくなっちゃったんだけど……ただ一つ、その人と見た花火だけはハッキリと覚えてるの。まだ綺麗だったこの星の空に、一瞬だけ咲いた華。永遠を生きる不老不死なのに、その一瞬だけがずっと頭から離れないんだ」

「花火……良いですよね。僕も昔、花火で感動してたような気がします。おぼろげながら、そんな記憶が残ってますね。……またいつか、花火見れないかなぁ」


 アンドロイド君がそう呟いた時だった。花火、その単語に反応するように、アンドロイド君のお腹のシャッターが開いた。


「えっ、ここ開くの!?」

「あなたも知らなかったのね!?」


 アンドロイド君がそこに手を突っ込むと、中から一つの袋が出てきた。何重にも袋が重ねられているようで、一つずつ取り出していくと、一番奥から出てきたのは線香花火だった。


「なんでこんなに都合よく線香花火が……?」

「僕もよく分からないですけど……昔の僕の願いは遠い未来で線香花火をすることだったんでしょうか? このシャッターの中、長期保存ができるように色んな技術が詰め込まれてるみたいですし……」


 人の記憶と意識をそのまま機械に移植できるくらいの技術があれば、そんな事もできるのかもしれない。でも、そこまでしてどうして……?


「不老不死さん、折角ですしやりません? 花火」

「えっ……? 良いの? だって、そんなに大切に保管されてたんでしょ? それを私なんかとやっちゃって、本当に大丈夫?」

「良いんですよ。理由は分からないけど……昔の僕はこうやって花火を遺してくれた訳ですから。だったらそれに応えるのが、記憶をなくした僕にできるせめてもの事です」

「それなら良いんだけど……火はどうするのよ? この世界にもう火を起こせる道具なんて残ってないわよ?」

「簡単な事ですよ。無いなら作れば良いんです!」


 そう言いながら、彼は袋に一緒に入っていた火起こしセットを取り出した。線香花火もろとも、火起こしセットも使える状態で保存されていたみたいだ。


「本当に、滅亡後の世界で花火をやるためだけの準備ね……」

「よっし、火起こしますよ!」


 アンドロイド君は枝を擦り合わせて火を起こそうとする。けれども、やはりずっと動いていなかった機械の体は上手く動かないのか、中々火は起きない。


「ハァ、ハァ……難しいですね……」

「無理しないで良いわよ。代わるわ」


 アンドロイド君から枝を譲り受け、火を起こそうと試みる。

 やってみて分かった。めちゃくちゃ辛い。もう何千年も激しい運動をしていなかったので、体中が悲鳴を上げている。それでも、今の私は幸福だ。何千年振りに、何かの目的のために一生懸命になれている。こうして再び目的を手に入れたのが嬉しくて、思わず笑みがこぼれる。


 そしてついに、火が着いた。小さいけれど、彼と私の手で、地球に数千年振りの火が灯った。


「やりましたね! 不老不死さん!」

「あとは線香花火を楽しむだけね。火が消えないうちにやっちゃいましょ」


 二人で線香花火を手にとって、火を付ける。パチパチという音と共に、小さな華は弾けだした。


 ほのかに思い出す。夜空に咲いた花火を見た後、あの感動をもう一度味わいたくて、彼と一緒にこうやって線香花火を見たんだ。空に咲いた花火にはとても及ばなかったけれど、手元で確かに弾ける火花と、それに照らされた彼の笑顔がたまらなく愛おしかった。


 今もまた、手元の火花は己の使命を全うするかのように一生懸命に輝いている。そしてその光に照らされたアンドロイド君の顔が、昔の彼と一瞬だけ重なって見えた。


「……綺麗ですね」

「本当に……。この一瞬のために、私はこの数千年間孤独に耐えてたのかもね」


 私達は少しも目を逸らすことなく、線香花火が燃え尽きるその時まで見守り続けた。瞳に焼き付いたその一瞬は、孤独に耐えてきた数千年よりも遥かに長く思えた。


 やがて線香花火はその役目を全うし、灰となって消え去った。けれども私の瞼には、しっかりと数千年ぶりの輝きが刻み込まれていた。


「あっという間に終わっちゃいましたね」

「えぇ……でも何だか、ずっと昔に失くしてしまったものを取り戻したみたい」


 線香花火が燃え尽きた後も、私達はしばらくそこに座ったままだった。


 どれくらい経っただろうか。ふと、アンドロイド君の今後のことが気になったので聞いてみることにした。


「ねぇ。昔のあなたがやりたかっただろう線香花火は終わっちゃったけど……これからあなたはどうするつもりなの?」

「そうですね……とは言っても、特に何も無いんですよね。人も誰も残ってないみたいですし。……でも強いて言うなら、僕は不老不死さんと一緒にいたいです」

「私と、一緒に……」


 何千年か振りにかけられたその言葉に、私の頭は硬直してしまった。


 確かにこの少しの間、アンドロイド君と一緒にいて楽しかった。でも、彼はアンドロイド、私は不老不死。いくら彼が長い時に耐えられるアンドロイドだとしても、形ある以上いつかは別れの時が来てしまう。人がいなくなったこの星で、たった一人の彼との別れはあまりにも辛すぎる。


「……アンドロイド君。その気持はとっても嬉しいわ。でも、ごめん。あなたと一緒にいることはできない」

「それってやっぱり……いつか別れの時が来ちゃうからですか?」

「……その通りよ。私はもう、誰かと別れる事だけはしたくないの」


 僕を待っていてほしい。そう言っていなくなってしまった彼の面影を思い出す。私はいつだって残される側だ。これ以上辛い思いをするのは、もう嫌だ。


「不老不死さん……いつか来る別れを恐れる気持ちは分かります。でも僕、さっき気付いたんですよ。人の命って、線香花火みたいだなぁって」

「……線香花火?」

「不老不死さんからしたら、人間はもちろん……それより長い時間を生きれるアンドロイドの僕でさえも、その一生は線香花火のように一瞬なのかもしれません。でも、僕らはその一瞬の中で懸命に輝いています。いつか僕があなたを残していなくなってしまったとしても、僕はあなたの記憶から離れない位に輝いてみせます! 離れてしまっても側にいれる位に!」


 顔も名前も忘れてしまった、大好きな彼。そんな彼と見た花火。もうどこにもないけれど、まだ私の心の中には確かにいる。彼もそんな風に、いなくなってしまった後も側にいてくれるのかな。


「……でも、時の流れは残酷なの。どんなに忘れたくない記憶でも、永遠を生きているうちに失われていってしまう。あなたと一緒にいても、その時間をいつかは忘れてしまう。……やっぱりそれは辛いわ」

「……ぼ、僕がいますよ! 僕に搭載されてる機能、日常の色んな瞬間をデータとして保存しておけるんです。いつか不老不死さんが忘れてしまったとしても、僕が覚えてます。僕が不老不死さんの記憶になります! 僕達二人で、失くしてしまった『過去』をもう一度創っていきましょうよ!」


 彼に言われて気がついた。過去は創れる。永い時を生きていれば、今はいつかは過去になる。その過去が、いつかは私を私たらしめてくれる。

 記憶は人の存在証明だ。今の私はそれをほとんど失ってしまっているけれど、それは彼だって同じことだ。二人でお互いの過去を創り上げていく。……そういうのも、悪くないかもね。


「……ふふ。ありがと、アンドロイド君。私、君と生きてみたいかも」

「そう言ってもらえて嬉しいです。きっと昔の僕も、遙か先の未来でこうやって不老不死さんと一緒にいられる事を喜んでると思います」


 アンドロイド君の顔を見つめる。その機械の顔が、優しく微笑んでいるような気がした。


「それじゃあ早速、私の拠点まで案内してあげる。大昔に栄えてた場所でね……一年くらいは退屈しないと思うわよ?」

「本当に? 早く連れてってくださいよ!」


 無邪気にはしゃぐアンドロイド君の手を取り、いつもの場所へと走り出す。彼の手からは、とても懐かしい物を感じた。


 この星が変わることは、多分もう無いだろう。でも、これからの私の命は、今少しだけ変わった。彼といれば、しばらくは退屈しないはずだ。これからは彼と、沢山の一瞬を積み上げていく。


 終わってしまったこの星で、私の命は数千年ぶりに輝いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不老不死は一瞬を夢見る 三ツ谷おん @onn38315

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ