ラムネ瓶とチキンラーメンと、未来の彼方。

 あれから、十年の月日が流れた。

 歳を重ね、僕は二十一歳になった。


 夏の暑さはより一層増し、窒息しそうなじめじめした空気は、あの蝉さえも黙らせんとする程の熱量を持っていた。

 そのせいか、周りは拷問のような熱気とは裏腹に、蝉が少ない分、妙に静けさを感じた。


 蝉が黙っている今なら少しは涼めるかと思い、僕は公園のベンチに座って、あの日と同じようにラムネを飲もうとしていた。


 僕は、あれから進学し、大学生になった。


 一流大学に入れたわけではないが、それなりのいい大学に入る事ができた。

 あの時の彼女に恥じないように、全力で頑張ったつもりだ。


 今は夏季休業で、すっかりだらけきってしまっているが。


 そんな自分を皮肉に思いながら、ラムネのビニールを破り、玉押しでビー玉を押し込む。


 ――カラン。

 

 あの時、あの子が現れた時と同じ音を奏でた。

 たちまち、ラムネが無数の泡をあげ、いつもと同じように、僕を誘惑した。


「ふっ、これこれ」


 僕はたまらず、くいっとラムネをのどに流し込む。

 炭酸が口、喉、胃を次々と刺激していく。


「ぷはぁ~っ」


 半分ほどラムネを飲んでしまった辺りで、息が苦しくなり、勢いよく瓶を口から離す。

 

 ――カラン。


「ごきげんよう、白樺歩さん」


 突然、美しい女性の声を掛けられた。

 声を掛けられた方へ向きなおすと、そこには。


「――ああ」


 そこには、ある女性が立っていた。

 ネイビーのワンピースに、大きくて白い帽子、ベージュの日傘。

 非常に大人っぽく、気品のある女性だった。

 体つきも、胸がとても大きいが、下品さなどは全く感じなかった。


 僕は、その女性に見覚えがあった。


「ああ、久しぶり。――桜庭阿澄さん」


 あの日、最後に耳元で囁いてもらった、フルネーム。


 その名前を、やっと呼べた。


「ふふっ。ええ、お久しぶりです、歩さん……名前、憶えていてくださったんですね」


「ああ。一時も忘れたことはないよ――阿澄ちゃん」


「――っ」


 阿澄ちゃんは、口元を軽く隠しながら視線を外した。

 微かに耳が赤くなっていたような気がするが、直ぐにこちらに向きなおした。


「んんっ、ほ、他に何か言う事はないのでしょうか?」


「ん?ああ、ごめん、気が利かなかった」


 そうして、彼女の姿を上から下まで眺める。

 

「その服、似合ってるよ。とても大人っぽくて、今の君にぴったりだと思う」


「んふっ」


「それに、所作というか、佇まいもより丁寧になっているよね。昔はぎこちなかったところもあったけど、今は正に見本になるくらいの綺麗な大人の所作だ」


「ふふっ」


 ……僕が称賛の言葉を掛けるたびに、彼女の口から少しずつ声が漏れている。


「――はっ、ンンッ。……ええ、お褒め頂き光栄でございます」


 また直ぐに持ち直した。

 この子、面白いな。


「しかし、よく僕がここにいると分かったね。探偵でも雇ったの?」


 僕が今日この公園にいることは、特に誰にも知らせていない。


「それは……」


 阿澄ちゃんは、こちらへゆっくり近づき、僕の目の前まできた。

 そして、恥ずかしそうに自分の髪の端をいじった。

 

「……なんとなく、ここにいる気がしましたの」


「……そっか」


 僕は、あの日と同じ場所で、丁度十年前のあの日を思い返し。

 そんな時に彼女もまた、あの時の事を思い出していた。


 普段はこんなことを考えないが、正に運命的な再会ではないか。

 柄にもなく、感動に打ち震えたくなった。


「それで、歩さん。私、」


 ――ぐうぅぅぅぅぅうぅぅう……。


 僕のお腹ではない所から、腹の音が鳴った。


「あ~、そういえばまだ昼飯食ってないんだった、ぼーっとしてたからなぁ」


 ――ガサッ。


 「ううう、うぅ……ごめんなさい……」

 

 何故か(?)彼女は、日傘を落とし、両手で顔を覆っていた。


 表情は覗えないが、明らかに耳が真っ赤になっていた。

 

「……安心したよ。全くの別人になったわけじゃないらしい」


「もうっ」


 彼女は、先ほどまでの気品差が嘘のように、両手をブンブン振りながら、頬を膨らませていた。

 今でも、愛らしいところはまだまだ残っているらしい。


「なあ、阿澄ちゃん」


「……はい?」


 少し落ち着きを取り戻した阿澄ちゃんが、軽く首を傾げる。


「もし時間があるなら、一緒にウチでランチでもどう?」


「まあ、よろしいんですか?」


「うん、今日も人はいないし。ただ……」


「ただ?」


「その、食材買ってないから、ラムネとチキンラーメンしか無いんだけど……」


「――まあ」


 彼女は、呆れたような、安堵したような、不思議な表情で僕を見た。


「ふっ、ふふふ。いいですよ、一緒にチキンラーメンでもなんでも食べましょう」


「ほらまあ、思い出の味?だし?」


「いいんです、私にとっても思い出ですし。それに……」


「それに?」


 言いかけて、彼女は下に落とした日傘を拾って土を払い、バッグにしまった。

 そして。


「えいっ」


「おっと」


 彼女は、腕を組んできた。


「それに、お話したいことが、たくさんあるんですっ」


 大人になってなお、阿澄ちゃんは無邪気にそう言った。


「……ああ、僕もだよ。じゃあ、行こうか、阿澄ちゃん」


「はい!歩さん!」


 ――カラン。


 手に持ったままのラムネのビー玉が、音を奏でた。

 あの夏と同じように。


 ただ、蝉たちの微かな鳴き声も、窒息しそうなじめじめした空気も、今は感じなかった。


 今感じるのは、腕から伝わる、お互いの鼓動だけ。

 僕たちは、お互いを感じながら、あの日一緒にチキンラーメンを食べた思い出に歩いていった。


 僕たちのあの夏は、あれからずっとこの先まで続いている。

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ラムネ瓶とチキンラーメンの彼方。 砂嵐番偽 @kirisasame

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