破裂しそうな思い
神連木葵生
遺言宅配便
僕は数日後に死ぬらしい。
これは確実にくる未来。
夢の中で何度も抗っても、死から逃れる事は叶わない。
僕が死ぬことは必然の未来。
だからこそ、その必然の未来を知ることにより特別な権利を得た。
・未来の自分の死を確信した方を対象にした、死後の所有物配送サービスです。
・手紙、声、物品、何でも配達させて頂きます。
・お代は魂のカケラ一つで、どんな物でも、どんな時でも。
・何か心残りはございませんか?
「破裂しそうな思い」
僕は明日、交通事故で死ぬらしい。らしいと言ってもそれは確実に来る事実。変える事の出来ない運命。
それを死ぬ前に気付いてしまった。予知夢という形で。
だけど、とある理由で僕には何の恐怖も悔しさも無い。
逆に楽しみなくらいだ。
事前の死を気付いたおかげでこの権利を得た。
こんな楽しみがあるなら、魂のカケラぐらいくれてやる。
自分の死にワクワクするなんて、今とても不思議な気持ちだ。
早くその時が来ればいいと思うくらいには楽しみだ。
例えそれが僕が死ぬ日であっても。
コンコン。
誰かが部屋のドアを叩くが、耳をそばだてて無言を貫く。
時刻は深夜を巡っている。家人は寝ている時間だ。誰も訪れることは無いに等しい。無いに等しいが念のため、ここは一つ黙っておく。
そんな時間に起きている自分も自分だが、明日に向けて作っておく必要のあるものがあったのだ。
とは言ってもほとんど最終調整だけだが。
ドアを背に作業を続けていたが、声は無視を許さない。
「夜分に失礼します」
失礼に思うなら帰ってほしいと普段なら思うが、この時ばかりは笑顔で振り返る。
「いらっしゃい。待ってたよ」
上機嫌でそちらを見ると、黒のコートを着て灰色の髪を伸ばした男がいた。
その胸には場違いな赤い薔薇が差してあった。
男は会釈をしながら鍵のかかったはずの扉を開けている。
見慣れた我が家に対して、異世界じみた光景が入り混じる。
3日前の男との出会いもまた嘘のように感じる。
「遺言宅配便でございます」
振り向くとそこに「黒いナニカ」がいたと思った。
ヌッと立つ黒づくめの男に現実味がなさすぎて、今が夢の中ではないかと思ったほどだ。
「え、誰?」
思わずその時は作業の手を止めて聞いた。
「遺言、配達、便でございます」
句読点を強調して男は繰り返しながら、ピッと一枚の名刺を出した。
それを恐る恐る受け取りながら、名刺と男を見比べる。
深紅の紙に黒字で確かに遺言宅配便と書かれている。
慣れ親しんだ文字であるようで、違う文字にも見える不思議な文字だった。
名刺を裏にして読み進めてみると、数日後の自分の死を知りえる人間に訪れる、特別なサービスらしい。
品物は手紙、声、物品何でも扱えるとある。そしてそのお代は得体の知れない魂の一カケラ。
全くふざけている。ふざけてはいるが僕が求めるものにピタリと合っている。
これだ! これが欲しかった! このために作業しているのだから!
「なにかご用命はあり」
「あるよある! めっちゃある!」
男の言葉を食い気味に反応したのは申し訳ないが仕方ない。
そのときの僕の興奮ったらなかったのを覚えている。
そして今日も同じように声を掛けられた。
「遺言宅配便でございます」
振りむくと男は懐から、丸めた茶色い筒を取り出していた。
「配達の契約の件だっけ?」
「えぇ、はい」
今時は物珍しいというか、初めて見る羊皮紙らしい紙を男から受け取る。
その契約書は名刺と同じく不思議なもので、パッと見た感じは訳の解らないどこの言葉でも無いような言葉で書いてある。
なのに、読もうと集中すると僕の馴染んだ言語に変わっていた。
一通り読んだものの、やっぱりその内容に現実感が湧かない。
それはそうだろう。
僕はまだ15歳。年齢的に、初めて契約書というものに触れたし、なにより『死後の配達に支障があったとしても、その契約破棄は受け付けない』とか並んでいるのだから。
死んだ後にどうやって契約破棄をしろと言うのか。
もしかして死後に幽霊にでもなって、言い出すことが出来るのだろうか。
怪しい文言を見ながら、静かに僕の隣で佇む黒の男に視線をやった。
彼が自分を元は死神だったと言い、どうやったのか無断で家に上がり、この怪しげな契約書を見せてきた。
怪しさはこれ以上ないほどだったが、僕にとっては渡りに船だった。
それにこんなオカルトを信じるかどうかなんて、自分が見る予知夢を信じるかどうかみたいなものだ。
自分を信じないのであれば、この面白いサービスも信じないことになる。
けれど、どうしても僕は死後に届けて欲しいものがあったから。
正直いうと少し焦っていたのだ。
僕の死ぬ日まで迫ってきていたし、その荷物はおそらく、いや必ず途中で止められてしまうような物であったから。
だというのに、この黒づくめの男はそんなことはお構いなしに目的の場所まで運んでくれるという。
「で、配送サービスのデメリットって何? 魂のカケラ無いと何か起こるの?」
聞いてみると、黒づくめの男は一つ指を立てた。
「魂のカケラの影響は来世に起こります。
そもそも魂のカケラは魂の全体の百分の一とかなので影響はめったに出ません。
ですが、来世で少し運が悪くなったり、前世で使えてた能力が弱かったり、カケラを取り出した時の痛みを不意に思い出したり、影響が出ないわけでもありません。
どうしますか? 辞めておく事もできますが……」
その上げられた黒づくめの男の指をわしっとつかむ。
「それくらいの事なら頼むに決まってるよ! よろしくね!」
魂のカケラの受け渡しには小さな箱が用意された。
金属で出来た小さな箱。幼児が描く家の絵のように立方体があり、その上にまた子供の描く屋根のように四角錐が乗っている。壁面などに彫られている細工はアンティークのように細やかだった。
四角錐のてっぺんにある尖りは針のようになっており、そこに指を当てて血を一滴欲しいと言われた。
カケラを渡すのはいいとして、痛みの方は嫌だったが、悲願ともいうべき願いが叶うとあらば我慢するしかない。
ぷつりと指を小さな尖りに刺すと、真っ赤なルビーのような血が溜まり、アンティークゴールドの尖りに吸収されていった。
そしてコロンと小さな音とともに、親指の先ほどの赤く透き通った塊が立方体から転げ出した。
「これがお代の魂のカケラです。キチンと受け取りました」
男はその魂のカケラという赤い小さな塊をつまみ上げる。
痛みを感じた指を見てみると傷はなかった。指先で触ってみても凹凸はない。きっとこれもオカルトなんだろう。
「本当にこの箱、ちゃんと運んでくれるの?」
羊皮紙にサインを終えて聞いてみると、黒づくめの男はぬるりと動くように頷く。
「はい。中身の様子はこちらは、一切気にいたしません」
黒づくめの男の胸にある薔薇、その場違いで柔らかな花弁がそっと揺れる。
「それはナイス! 僕もどうやって送ろうか迷ってたんだ」
指をパチンと鳴らした。
「ですが、ソレを送ってしまって宜しいのですか?」
物静かそうな物腰にしては割と黒づくめの男はズケズケと言ってくる。
「ああ、だってこれは復讐……僕を置いていった復讐なんだから」
それが果たされるなら、こんな楽しい事はないだろう?
それが果たされるなら、魂の一カケラなんて安いだろう?
僕の家は両親と僕の三人暮らしで、当たり前のように父がとても厳しかった。
対照的に母は優しかったが、父の意見が第一の人だった。
僕が殴られ蹴られようが、母が蹴られ殴られようが、父は自分は正しいと言い切る人で、母も自分が悪いと言い切る人だった。
小学校に行くようになり、夢で見たことが数日後に同じように、起こることを知るようになる。
うれしくなって両親にその『予知夢』の話もしようものなら、両親そろって言葉や暴力で否定してくるようになった。
その後はもう何も言わないことにした。そうしてもしなくても蹴られ殴られるのだけど。
だから小さい頃は家にいるより学校に居る方が良かった。
学校も僕が『夢』で未来を当てる事を知ると、友人知人だった子たちが僕を遠巻きにする事が増えた。
その日たまたま見た『夢』でゴタゴタを避けようとしたら、一緒にいじめられっ子を助けてしまった。
だからと言って、いじめられっ子の代わりにイジメの対象になるような事はなかったが、尚更遠巻きにされる事となった。
それからは極力『夢』で見ても、何も手を出さないようにした。その流れを変えられるとしても。
だから僕にとって『予知夢』はあっても無くても変わらないようなものだった。
学校すらも居るところがなくなった。
そんな僕が逃げ場にしていた場所が以前はあった。
少し年上の隣人がいる家だけが安心できる場だった。
そのお姉さんは僕の事情を知ってか知らずか、よく快く隣家に上げてくれた。
夏の休みともなれば朝から夕方まで僕は入り浸っていた。
お姉さんは僕の知らない草花や花言葉を教えてくれていた。
入り浸っている間は父や母や、学校のことを忘れられていた。
安息の場はいつまでも続くと思っていたのに。
「何でも送れるんでしょ?」
僕の質問に男は無表情に頷く。
「はい。あなた様の所有のものでしたら何でも」
言って丁寧に軽く礼をする。
「じゃあ、この箱の中身も?」
箱を渡してみるが、あわてて開けさせないように手で止めた。
「……失礼……あぁ、開けると動く仕組みですか。大丈夫です。お送りできます」
上に下にと箱を見て、どう見通したのかそう言い放つ。
「え? 良いの? マジで? これだよ?」
『普通』の配達業ならこれはダメだと突っぱねられる中身だというのに。
「えぇ、良いか悪いかの判断はあなた様自身のものです。私はただご依頼を遂行するだけですから」
男は一切の訝しげる様子もなく言う。
「あ、そ。お役所仕事みたいだね」
面白くもなく呟くと、また手で礼をする黒づくめの男。
「ルールは滑らかに流れてこそのルールです。私情は無用ですから」
まぁ、そのルールがなければ、僕も権利を得ていないから、ここは納得するしかない。
「ふぅん。……あ、受け渡しの時、僕って見届けられるの?」
この見届けられるかが一番の大事なのだ。
「えぇっと、亡くなられてから直ぐにのご依頼でしたね……、でしたら目の前でご覧になる事も出来ますよ。お相手にはあなた様は見えませんから」
見えないのも当たり前だろう。おそらく体から離れて幽霊になっているのだから。
「良いね。開けた時が一番見たかったんだ。たーのーしーみー」
そう。これを一番の楽しみに箱の中身を作って来たんだ。
「それはそれは」
黒づくめの男の愛想のない言い方にも気にしない。
そして、
――ドンッ!
鈍い音を立て、何メートルか跳ね飛んで動かなくなる、細くやわな身体。
「即死?」
現場は少年の家の近くで起きた。フロントが赤く汚れた白い乗用車から、顔面蒼白な運転手が出てきた。
「脳は既に。身体の方はあと一時間程度ですね」
分厚い黒い手帳をパタンと閉じ、黒づくめの男が『さぁ行きましょう』と促した。
男のその片手には白い箱を抱えている。
少年はほくそ笑む。
ようやく完成した彼女の為のプレゼントだ。
ニコニコとした死んだはずの少年と黒づくめの男は、騒ぎながら集まってくる野次馬たちをすり抜けて、その場を後にした。
「スゴイ苦労したんだぜ。それ作るのに」
少年は視線だけを箱に向ける。
「……へぇ。やっぱり専門知識とか要りますもんね」
黒づくめの男も視線だけを片手に持った箱に向けた。
「アングラにキットとか売ってたりするけどさ、自分で一から足が付かないように集めるのが、また味があるというか……」
少年は人差し指を立ててクルクルと回してみせる。
「釘とか鉄の玉とかありますね? 殺傷重視ですか?」
男がどうそれを察知したのか少年は聞きはしないが、きっと元死神の能力でわかるのだろう。オカルトとは便利なものである。
「うん。吹き飛んで死ぬより、苦痛重視ね」
ニコニコというが、男は全くの無表情だった。
「おやおや。それほど憎いんですか?」
男が感情的に言うほど顔は、感情が動いてるようにも見えなかったが。
「……微妙……一番、情があるから、かな」
言葉と共に足元にあった小石を蹴るが、当たり前のように透けて空振りした。
「はぁ、その方も不運ですね」
別に恨みなんて無い。
いや、家族、友人、全てを憎むうちの一人に過ぎない。
昔の思い出。
ただ最後に目が合っただけの事。
そこから僕は全てを憎むようになった。
こっちの気持ちなんか知らないくせに、勉強しろ、良い高校、良い大学に入れ、どこそこの子は……遊ぶ時間があるなら……うるさいだけの親。
そんな親の文句を言い合って、実の所は足を引っ張り合うだけの友人。
身になりもしない、つまらないテープレコーダーを聞くような授業。
その憎しみの中の一つ。
「どうせひっそり死ぬなら、派手な事して、誰もの記憶に残るような感じが良くない?」
少年は手を広げてくるくると全身で回る。朝の通学時にこんな事をしても誰にもぶつかる事はない。
「まぁ、嫌ってほど記憶に残るでしょうね」
抑揚のないその言葉は興味が無さげだ。
「マスコミとか大騒ぎでさ『何故このような悲劇が起きたのでしょうか!?』とか『あの子はキチンと挨拶の出来る子だったのに』とか『社会が産み出す、歪みを持つ子供達』とかさー」
報道の人気を掻っ攫うことができるだろう。
「誰が悪いとか熱く議論されるでしょうね」
黒づくめの男の視線は前にしか向いていない。
「そんぐらい僕で騒がれてみたいね」
少年は腕を頭の後ろで組み、後ろ歩きに彼の隣を歩く。
「そしてそのスタートになるのが彼女ですか?」
珍しく男の視線が物言いたげにこちらに投げかけられた。
「……そー」
それを振り払うように少年は視線を天に放り投げた。
二人は早朝の静かな保育園の前に着く。
規模はさほど大きくはないが、子供たちが行きたがるような、メルヘンな形をしている。
学生服の少年と全身黒づくめの男のツーショットは、そんな保育園には若干不似合いだったが、それを見咎めて意見する人の影すらなかった。
その可愛らしい保育園の奥で、女性が動いているのが見える。
一つにまとめた髪にエプロン姿からして、その保育園の保育士であろう。
「よっし、今日もガンバルぞー!!」
腕まくりをして、建物の窓の端から端までのカーテンを開けていく。
数多くの窓を開け、園内の風を通していった。
園内の庭に出、上機嫌でポケットから鍵を出して門を開けようとしたその時、
「あの」
「ひゃっ!!」
誰も居ないと思っていた所から声を掛けられ、思わず鍵を取り落として高い音がする。
「ハ、ハィぃ!?」
見上げると黒づくめの男が落ちた鍵を拾い上げていた。
「失礼しました」
と、鍵を渡され、女性はコチラこそと頭を下げた。
「あなた様に贈り物なのですが……」
男からずぃと目の前に出された、一抱えほどの白い正方形の箱。
女性は素直に受け取りそうになって、ピタリと手を止める。
「私……宛てですか? どちら様から……?」
チラリと箱を見るが、上部にも、側面にも、宛名のようなものは見当たらない。
「ハイ。あなた様にとの事なのですが、送り主様の名は覚えていらっしゃるでしょうか……
お引越しなさる5年ほど前の、隣りの家の少年なのですが……」
男にゆっくりとしゃべられ、相づちを打つ内にさりげなく箱が手渡されていた。
「引越しの5年前……あ、あの隣りの男の子!」
女性が思い出した喜びに黒づくめの男も同じようにうなずく。
「思い出して頂けて何より。あの方からのプレゼントです」
「プレゼントって……あ、今日、私の誕生日だっけ……」
引っ越す前には懇意にしていたが、もうその出来事は5年も経っていた。
こちらは自分の誕生日すら今思い出したというのに、その少年は今も自分の誕生日まで覚えていてくれていたとは。
「どしたのー?」
後ろから掛けられた同僚の声に振り向く。
「あのね、朝一番に誕生日プレゼントもらっちゃった! ……ってアレ?」
言いながら前を向いたが、すでに黒づくめの男の姿はどこにも無かった。
「へぇー、良かったじゃん。大きい箱だね~」
「あ、うん!」
箱に興味津々な同僚に微笑めば、黒づくめの男の印象は不思議と消えてしまう。
「何だろうね~」
「想像つかないな~」
などと楽しげな女性二人を少し離れたところで眺める、少年と黒づくめの男の姿は誰も気付いていなかった。
「なぜアレを彼女に?」
視線は前に向けたまま、黒づくめの男は呟く。
「別に彼女の誕生日にって訳じゃない。今日は僕が死んだ日だから」
少年は、意気揚々と保育園に戻る女性二人を見送った。
「彼女も共に?」
男の胸に差した薔薇が風に揺れる。
「……そう、かも……一番……真っ直ぐ見てくれたから」
風に合わせて小石を蹴る真似をすると、少しだけコロコロと転がった。
「これは心中とでも言うんですかね?」
男にしては感傷的な言葉のように思えた。少年はその言葉に少し笑い、口を引き締める。
「いや、怨恨だよ。僕を見放したから」
言って少年はまっすぐに彼女の姿を見ていた。
「それに死ぬほどの威力じゃない傷になるだけ」
彼女を見ながら少年はつぶやく。女性のその優しい顔がどう変わるのか。
「この箱の威力なら、その傷は一生モノでしょうね」
だから何だ。だから、
「尚更良い」
少年は薄く唇を歪めた。
「朝の準備よーし!」
園児を迎え入れる用意を整え、指を差して確認する。
「あとは登園を待つだけ。もうちょい時間あるかな」
ふぅと息をつくと、同僚がワクワクと寄ってくる。
「じゃぁさ、あの箱、開けてみたら?」
「え? あ、うん。って、楽しみにしてるのアナタじゃないの?」
同僚はやだぁと言いながら手を振り寄ってきた。
「まぁまぁ。で、そのプレゼントの主は引っ越す前の……?」
「うん。引っ越す5年前に住んでた家のお隣りさん。まだ小さかったお子さんが居て、よく勉強教えてたりしてさ」
一抱えの白い箱を大切に持ち上げた。
「彼女には言えるはずもなかったけど、あの頃は親父の会社が荒れてて、本人もその憂さを僕や母さんで晴らしてた。
だから自宅は地獄、隣りは天国。だから、よく遊びに行ってた」
「結構その子の頭が良くてさ、オセロとか全然勝てなかったなぁ。でも、勝ったのに嬉しくなさそうでさ」
「勝つたび、終わるたび、家に帰る時間が進んだのかって滅入ってた」
「何度かお泊りにも誘ったんだけど、向こうのお父さんが『うちのが迷惑かけるでしょうから』って断られて。なんかちょっと怖かったな」
「あの人が何より嫌がったのは、僕と母さんの傷やアザが外でバレる事だったから」
「それで、こっちが引っ越す日ね、お隣りさん全員で見送りしてもらってさ。なんかその時のあの子の目、今でも忘れられないんだよね……」
彼女の視線がピカピカに磨かれた床に落ちる。
「あぁ、寂しいよーって、泣きそうな目?」
同僚の言葉に顔を振った。
「うぅん。そうじゃなくて」
「絶望かな。もう誰も助けてくれない気がしたんだ」
少年は吐き捨てるように言いながら、当時を思って目を伏せた。
「優しさへの愛情と、別離への嫌悪ですかね?」
そんな小難しい説明されたって当時も今もわからない。
「あの時が箱を送るいまに至ったなんて。それほど『助けて』って心が通じなくて憎かったなんて。
きっと向こうも気付いてないだろうけどさ」
そう言って冷たい目を彼女に向けた。
「何て言うのかなー、なんか『裏切ったな』っていう目してた」
「え?」
思わず少年は声を漏らす。
「それから、お父さんの方をチラリと怖そうに見て、こっちにすがるように見ててさ……」
「…………気付いてた?…………」
やっとのことで出した少年の声は少し掠れていた。
「え?……それって家庭内暴力あったって事?」
同僚が食いついてくるが、彼女は頭を振る。
「分からない。見える範囲でアザとか見た事なかったし。けど、お父さんが一番怖くて、頼れるのが私しかいなかったのかな……とか少し思ってた」
同僚はゆっくりと頷いた。
「あー、だから『僕を見捨てるの?』っていう目か……」
「うん。今でも不意に思い出しては後悔してる」
「覚えてらしたみたいですね」
黒づくめの男の声がやけに脳に響いた。
「……とっくの昔に忘れてると思ってた……」
意識もせずに口から言葉が溢れてくる。
「後悔って……?」
同僚の言葉に視線をあげる彼女。
「あの時、私、何か出来る事があったんじゃないかな、って……」
その手は箱を抱きしめている。
「いやでも、アンタもその時学生だったわけでしょ? 未成年が未成年を引き取るとか、いくらなんでも出来ないでしょう。さすがに」
同僚の言うことは至極正しい。正しいが、
「それでも、あの子に、あの家族に、もっと言える事があったような気がしちゃって……」
へへへ、と弱く笑った。
「………ねぇ」
少年は呆然としながらも元死神に声をかけた。
「はい?」
その緩慢な視線を少年に投げかける。
「……箱の中身って変更とかできる?」
「だからさ、恨まれてても仕方ないかなー、と思ってたから、こんなプレゼントとかすごい嬉しくて……!」
純粋な笑顔で真白い箱に手がかかる。
「ねぇ! 中止できないの!?」
声を荒らげるが黒づくめの男の表情は変わらない。
「それはムリです」
顔を振ると胸元の薔薇がゆっくりと揺れる。
「なんでさ!!」
一歩踏み出すと、男も少年に向き合った。
「契約は結んでしまいましたから。破棄は出来ません」
「元気にしてたんだねぇ」
同僚も箱を見てしみじみとうなずく。
「最近の事件とか重ねて見てて、ちょっと怖かったんだぁ」
彼女は儚く笑った。
「鬱屈した若者の暴走とかね〜」
同僚も乗って言い出す。
「そう、そういうの」
そうではなくて本当に安心したとうなずいた。
カリカリと桃色の爪でセロテープを引っ掻く。
「止めろ!! 爆発させたくない!!」
少年は黒づくめの男に掴みかかった。
「多少の変更は利きますが……」
ここへ来ても男の表情は変わらない。
「ならやって!!」
ドンと男の胸を叩いた。
「その場合、代償が倍額になりますが……」
男が最後の忠告だと言うように注意するが、少年は
「そんなの――」
そんな事一切構わなかった。
ボンッ!!
「きゃぁっ!!」
大きな破裂音と悲鳴と共に少年はその場にずるずるとヘタリ込んだ。
「……………」
ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。
赤いモノやピンク色のモノが床のあちらこちらに散っていく。
部屋に一気に広がるむせかえるような濃厚なにおい。
「………ウ、ア…………」
声を出した彼女の頭の上には真っ赤な一つの花が乗っていた。
未だに数個の赤とピンクの小さな塊がゆっくりと床に落ちてくる。
呆然とした二人がようやく箱を見ると、中にはぎっしりと赤とピンクのミニバラが詰まっていた。
「す、すごい仕掛けね……」
同僚が声を掛けるが、コクコクとしか頷けない。
それでも一つ小さな花を掬い、はにかむように笑った。
「……かなり、嬉しいかも」
「このような感じで宜しいでしょうか?」
男が呟くと少年はコクリと小さく反応した。
「………………………………………うん」
その呆然とした少年の様子に、男は視線を落としそのまま喋る。
「あと、元の箱の底にあったアレはそのままにしておきましたので」
マトモな反応がないのを理解しつつ男は静かに言い切った。
「………………………………………………………うん」
立ち上がることもできず、ただ頷くしか出来ない。
「あれ? 底の方、色が違うんじゃない?」
同僚はふと、覗いた底に何かを見つけた。
「ホントだ……バラじゃない……よね?」
ハコの奥の奥に一つのアオイロ。
女性が拾い上げて見ると、それは小さな、
「ワスレナ草………」
ボ ク ヲ ワ ス レ ナ イ デ ネ
それは箱に残されたただ一つのメッセージ。
そしてただ一つの願い。
五年前の彼女の引っ越しの日、彼女を睨みながら僕は一つ手渡したものがある。
親や同級生なんかに向けていた恨みの中で伝えたかった。
当時幼い身で用意するのは大変だったけど。
それでも必死の思いで手に入れて、彼女に渡した一輪の花。
青色の忘れな草。
僕を、こんなちっぽけな僕を忘れないで欲しかった。
貴方だけは僕を決して忘れないで欲しかった。
それを忘れているだろうと思ったから。
覚えてないだろうとおもったから。
思い出してほしかった。
伝えたかった。
沢山の感情を。
言いたかった、
ありがとうって。
呆然とした少年の腕を取り立たせようとするが、力は全く入っていないようだった。
それでもようやく立たせ、今度は本当の死神が待つ事故現場に、少年を引っ張っていく。
事故現場はさほど時間は立っておらず、少年の遺体があった。
遺体は血にまみれていたが、スーツが汚れるのも構わず父親が抱きかかえ、少年を呼ぶとも分からない雄叫びを上げている。
いつもは冷静に対処する人なのに、今は混乱の極みというように泣き叫んでいる。
誰かが呼んだのか母親も近くにへたり込んで泣いている。周りが心配しているようだが聞く耳を持てない様子だ。
母親は、ただ茫然と父親と少年を見ていた。普段では考えられないほどの動揺っぷりだった。
少年はぼうっとその、普段見たこともない両親の様子を見ていた。
そして少年の遺体と父親の傍に、見たことがある生徒が泣いて突っ立っている。あれは以前に助けた、いじめられっ子か。
いじめられっ子はいじめられている時でさえ、見せたことのないくらい泣いていた。
少年は不思議そうに三人を見比べていた。
「……なんで……」
半ば茫然自失に唇に上った言葉だった。
「……なに、やってんだよ……」
誰に言っている言葉かは分からない。黒づくめの男は足元に何か落ちるのを見る。少年の涙だった。ボツボツとその量は増えていく。少年の顔はクシャクシャになって涙にまみれていた。ぬぐってもぬぐってもそれは量を増していく。
しばらくして少年が何かを呟いた。
「生きた……かった……っ」
少年が消え入るように呟く。
生きていれば何か変わっていたかもしれない。
「死に……たくない……っ」
死ななければ何か変えられたかもしれない。
出会った最初の頃には、少年はそれを望む声を上げていた。だが今は真反対の言葉を言っている。
それを黒づくめの男は苦々しく噛み締めた。
こんな時にかける言葉などない。ただその隣に立つことしか許されていない。
男の片手の中には小さな赤いカケラが二つ握られていた。
それを使ってでさえ、この場に望む奇跡は起こせない。
事件現場の傍には黒服の本物の死神がおり、それは少年をまっすぐに見ている。
胸元の薔薇はその嗚咽にゆるりと揺れるしか出来なかった。
「これ、掃除しないとね」
同僚が呆れながらアハハと笑った。
一抱えの箱に入っていたはずなのに、床の辺り一面ミニバラで埋まっている。
相当ぎゅうぎゅうに押し込められていたのか。
「だねぇ。一仕事だ」
女性は頭の上のミニバラを振り払いつつ、掃除の算段を立てていく。
「それと」
同僚が人差し指を立てた。
「ん?」
振り向くとちょんと目尻を優しくつつかれた。その拍子に目尻から何かがこぼれた。
女性はそれが涙と自覚するまで時間がかかった。
「ちゃんと彼にお礼言わないとね」
そして同僚が肩をさすってくるので、涙で潤みながら微笑んだ。
こういう時、同僚も立派な保育士なのだと実感する。
「うん、ありがとうって伝えないと」
そういう同僚の目もどこか潤んでいる。
涙にじむ目尻をこすりながら笑った。
言うんだ。彼に。
覚えてて、
ありがとうって。
その薔薇はアンティークのテーブルの上でため息をついた。
「いつも思うけれど、後味の良いカケラが欲しいわ」
茎は小さな植木鉢に刺さり、フヨフヨと葉を揺らせて赤いカケラを転がす。
「いつだって死は甘いだけじゃ済まないものさ」
男はテーブルに椅子を寄せて座った。
「別に我がままを言うつもりじゃないのよ、グレイ」
薔薇は一つ赤いカケラを掲げて、その透明度を見やる。
「わかっているさ。君はそのカケラの大切さを知っているもの、ローズ」
テーブルには幼児が描いた家のような立方体と四角錐の小さな箱。
「コクリ、コクリ、ご馳走様」
手と思しき二枚の葉を器用につかって、カケラ二つを花弁に飲み込ませていった。
「美味しかったかい?」
男は指で箱をつつくと蓋が開き、小さなレコーダーに変わり、音楽を奏で始める。
「えぇ、生意気な少年のカケラにしては」
薔薇はふるりと音楽に合わせて揺れて見せた。
「ならよかった」
男はそう言って柔らかく笑った。
破裂しそうな思い 神連木葵生 @katuragi_kinari
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