僕はもう知らない

双葉ゆず

 生徒玄関に降り、日が暮れて真っ暗になった外を見ると、吹奏楽部は運動部に近いとされる所以が何となく分かる。夏休みの真っ只中、こうも遅くまで部活動に励む文化部は他にない。ある意味では長時間労働のそれを苦痛に感じたことはないけれど、絶対的に人との付き合いを上手くやらなければならないのは正直なところ面倒だった。

 

 帰宅しても僕の両親は仕事で不在。寄り道しようが怒られない訳だが、吹部の誰かにコンビニやら何やらに付き合わされるのは好ましくない。先輩だと特に気を遣うし断れないのだ。

 ここは出来るだけ早く学校を離れるべきである。そう結論付ければ善は急げ。下駄箱から出した靴を雑に履いて、ひとり足早に帰ろうと地面を蹴った時。

 

「あっ、望月もちづき。この後ちょっと付き合ってくんね?」

 

 噂をすれば何とやら、と言うには少し違うだろうか。足を止めて振り返れば、同じ吹部の同級生がいた。その後ろには見知った顔の奴が二人。

 まだ断る余地はあるとみて僕は口を開いた。

 

「僕、早く帰りたいんだけど」

「そこを何とか頼む! どうしてもお前に来て欲しいんだよ!」

 

 今日じゃなくてもいいだろ、とか反論はいくらでも出来た筈だ。しかし三人に両手を合わせて自分しか頼れないのだと懇願され、意思の弱い僕は目的地も碌に聞かないで了承してしまった。それを後々、深く後悔することも知らずに。


 *


 近所の山にある小さな祠に幽霊が出るらしいから見てみたい。そのちょっとした肝試しの為に、何処からか聞いた『望月は幽霊が得意』という――恐らく『霊感がある』と言ったのが脚色されただけの噂を信じて誘ってきた。

 そんな言い出しっぺどもは今、山道を歩きながら僕の背中に張りついている。各々が懐中電灯を握り締めて異常なまでに周りを警戒していた。

 

「もう帰ろうよ」

 

 提案するも、全員揃って首を横に振った。まだ目的の祠に辿り着いてもいないのに生まれたての子鹿みたいに足を震わせて、一体何をしに来たんだか。思わず溜め息を零す。

 木々に囲まれた周辺は確かに薄気味悪いが、聞こえるのは虫の音だとか風がそよぐ音くらいだ。平常心を保てない程の恐怖を感じる要素なんて一つもない。

 

 歩くの早すぎんだろ、などという文句は右から左へ流し、さっさと歩を進めていると開けた場所に出てきた。僕らを見下ろすかのように高く聳える大樹の下に、想像通りの小さな祠が鎮座している。近づいてみると表面は苔まみれで、破れかけた紙垂の奥に見える固く閉ざされた扉が僕の好奇心を刺激した。神様が祀られたこの中を暴くつもりは毛頭ないが、それでも少し気になってしまうものだ。

 

「ねぇ、祠見れたし帰ろ」

「は? こっからが本番だぞ」

 

 恐怖に震え上がっていたのが嘘のように、僕の背中から離れた彼らは通学鞄から徐に何かを取り出す。

 ……トンカチだった。小型だが紛れもない鈍器の登場に、その用途を察してしまい声が出なかった。

 

「最近流行ってんだよ、祠壊す動画。知らねえの?」

 

 僕は眉を顰める。生憎と、電子の海に潜り動画を漁る趣味はない。

 

「知らないし、聞いてないんだけど」

「黙ってたからな。望月は真面目だから言ったら絶対止めるだろ」

「それは当然。だって犯罪じゃん」

 

 祠を破壊すれば器物損壊罪で逮捕される。その程度の罪意識も彼らには無いのだろうか。……いや、有る上で実行するつもりなのだ。好奇心に任せて流行りに乗ろうとしている。中学生にもなって、なんとまあ幼稚な思考なんだろうと、僕は他人事のように彼らを見つめた。

 

「何があっても知らないよ?」

 

 忠告を受けてなお醜い欲に塗れた瞳たちは、自分にどうこう出来るものではないと悟った。不機嫌そうな表情のまま、スマホを片手に録画し始めたのを見届けて踵を返す。

 

 僕はもう知らない。いっそあの馬鹿どもにバチが当たってしまえばいい。変な道草を食わされたのは腹が立ったが、次の部活の時にジュースでも奢らせてチャラにしようと思いつく。

 遅い時間ではあるが夕飯のメニューを考えながら、また森林に足を踏み入れた――瞬間だった。


 

 ドッと心臓が波打つ。夏場にしては冷たい突風にひゅっと喉が鳴り、全身から変な汗が吹き出る。後方から気持ち悪い気配が嫌でも感じられて、ゆっくりと首を回した。

 半壊した祠の狭い扉から伸びた十数本の生々しい腕が、いつの間にか気絶している三人に触れようとしていた。

 

「最悪……!」

 

 本物のバチが当たってしまった。このままでは全員連れて行かれる。逡巡の間に身体は動いていた。祠を目指して全速力で駆ける。いい気味だと笑い飛ばして自分だけ逃げるまでの最低な性格は持ち合わせていなかった。深く関わりたくなくて、あらゆる人間に冷たくあしらってきた僕にだって良心はあるのだ。

 

 距離が離れていたのが仇となり、祠の前まで来た頃には三人とも腕の群れに囚われていた。細い蒼白なそれらを両手で掴んで引き剥がそうと試みるも、ビクともしない。

 

 諦めずに暫く腕を引っ張っていたら、腕が扉の中に吸い込まれ始めた。更に力を入れても地面の土が抉られていくだけ。いつの間にか僕も手首を拘束されてしまっていて後がない。やめろ、離せ、制止の言葉はどれも当然ながら聞き入れてくれなかった。

 適当に話をつけて帰ってしまえば、こんなことには――何もかも考えても今更だ。

 

 三人は既に呑み込まれた。助けようとして助けられなくて、そのまま犠牲になってたまるか。僕は足元に体重をかけて必死に抵抗する。しかし抵抗虚しく、少しずつ扉の奥に入れられていく。もう目の前にある其処はブラックホールみたいに真っ暗で、どろどろの汚濁のように見えて気持ち悪い。

 

「い、やだっ、誰か……!」

 

 情けない掠れた声が喉を突いて出た。助けを求めたところで誰も来ないことなんて自分が一番分かっている筈なのに、一縷の希望に縋る。ふと幼馴染の笑顔が頭に浮かんで、よりによって走馬灯に出てくるのお前かよと、つい笑ってしまった。

 

 人付き合いが苦手だからと突き放しても、一緒に遊ぼうと強引に手を引いて、ずっと傍にいてくれるアイツ。お節介野郎め、と何度悪態をついたか分からない。

 

 いよいよ真っ黒な空洞に顔からダイブする、終わりを確信した時だった。


 バチバチと首元から全身へ電流が走ったような衝撃に襲われ、気付けば腕の拘束から逃れていた。勢い良く尻もちをつき、すぐさま祠を見上げた。電気で麻痺しているのか、腕たちの動きが止まっている。

 状況を飲み込めないまま後退りつつ、思い当たる節があって制服の襟元をまさぐると、こっそり身に着けていたネックレスの勾玉がひび割れていた。鮮やかな翡翠色のそれは本来の輝きを失っているような気がした。

 

 このネックレスは僕がまだ小学生の頃、お守りだからずっと持ってて、と幼馴染がくれた物だ。言われた通り入浴時以外は四六時中着けていたけれど、何より本当に御守りとして機能したことに目を白黒させた。

 

 危険を回避し安堵するのも束の間、痺れも収まってきたらしい腕たちはじりじりと僕の方に伸びてくる。その諦めの悪さに舌打ちを一つ、背中を向けないよう一定の距離を保ちながら後退する。突然ギュンと速度を上げ僕の顔を迫ってきて、反射的に目を瞑る。

 

 今度こそ終わりだと、そう思った。

 

「散れ」

 

 怒りの感情を帯びた低音に一瞬、別人かと疑った。間違いなく知っている声。するとバサッと何かがはためくのと同時に、鈴の音が聞こえた。



 騒々しい音が消え、おそるおそる瞼を開くと、大幣を持った幼馴染が立っていた。そういえば神社の一人息子だったなと思い出す。Tシャツに長ズボンという至って普通の服装なのが何だかチグハグだけれど、今はそんなことに首を突っ込んでいる場合ではない。

 

「マツリ、くん」

 

 名前を呼んだ後、どうして此処に、と僕が訊くより先にしゃがんだ彼が手を出した。

 

「おりゃ」

「いっだい……!」

 

 不意にデコピンを食らい、額に強烈な痛みが走る。じくじくと痛む箇所を両手で押さえていると、マツリが顔を覗き込んできた。

 

「もちくん、大丈夫?」

「お前のせいだし……その呼び方やめろ」

「えー? じゃあ、つきくん」

想也そうやでいい。普段からそうでしょ」

 

 ぶっきらぼうに言うと、口角を吊り上げるマツリ。

 

「……何」

「いやぁ、あんなに邪険だったのに今では心許してくれてんだなって」

 

 腕を組み、感慨深そうに頷く。何故か自慢げなのに対して僕は無性に苛立ってきた。人との交流を出来る限り忌避していた自分が、彼の善性に丸め込まれたことが未だに信じられない。

 

「よし、帰ろうぜ想也。夕飯まだなら、うちで食べて帰んなよ」

「じゃあ、お邪魔しようかな」

 

 僕は差し出された手を迷いなく取って、二人で立ち上がる。自分より頭一つ分大きいマツリを見上げ、ところでさ、と話を切り出した。

 

「えっ、忘れたの? オレが祠を見に行きたいって言ったら想也がついてきてくれたんだよ。そしたら急に中の奴が暴れ出しちゃって間一髪、オレが一時的に大幣で抑えといたってワケ。祓除というか後処理は仲春なかはるさん――父さんの知り合いに任せるから心配すんな」

「……そっか」

 

 マツリに経緯を聞いても上手く思い出せない。記憶そのものに靄がかかっているようだ。思えば額を弾かれた辺りから頭がふわふわする。部活が終わってから水分補給していないし、軽い熱中症だろうか。

 

 帰路に向かって一歩踏み出すと、足元でバキッと何か割れる音がした。懐中電灯で照らして見れば、液晶画面に数え切れない程の亀裂が入ったスマホが落ちていた。カバーのない青色のモデルは僕の物でもマツリの物でもない。


  

 ……どうしてだろう。何か大事なことを、忘れてしまっているような。そんな気がする。


  

「想也さーん、ぼうっとしてたら置いてきまっせ!」

 

 呼び声に顔を上げると、マツリは僕より数メートル先に進んでいた。片手で数えられるくらいの歩数ですぐに追いつく。

 

「何その口調キモ」

「助けてあげたのに酷いなぁ」

「最初にマツリくんが連れて来たのが悪いんだよ」

「行くって言ったのそっちじゃんか……まあ早目に駆除できたし、いっか。想也のこと都合よく利用する奴なんて要らないもんね!」

「それって誰の話?」

 

 僕が訊くと、マツリは立ち止まって身体ごと此方に向いた。

 

「祠の中にいた、祟り神の話」

 

 そう告げた彼の濁ったような瞳に既視感を覚える。空に浮かぶ満月を背にして怪しげに笑うものだから、少し不気味だと思ったのは内緒にしておいた。

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僕はもう知らない 双葉ゆず @yuzu_futaba

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