ジジイが好きな和菓子を買いに
広河長綺
ジジイが好きな和菓子を買いに
梅田駅は駅というより、迷宮と考えた方がいい。
増築を繰り返し複雑になった通路のせいで、近年では迷子どころか遭難者すらでるようになってしまった。
しかし、遭難するならまだいい。いつかは家に帰れる。
遭難よりも最悪なのは、複雑に入り組んだ通路の一本が偶然魔法陣を描いてしまい、いつからか裏世界と接続する道が出現するようになった場合だ。
無限ループ梅田駅現象。
その道を踏んでしまったものは、無限にループする梅田駅を歩くようになってしまう。
しかも最悪なのは、「無限ループ梅田駅にとらわれた人間」と「一般通行人」は、お互いを視認できるということだ。無限ループ梅田駅を歩く人から、声をかけることすらできるらしい。まるで普通に隣を歩いているかのように。
しかし、重なっていてもズレているのが裏世界。
隣には平和な日常を送る人がいるのに、自分だけ梅田駅から出られないという地獄が発生してしまう。
こうした事態に対応すべく、国が雇った呪術師の手を借りて、「いつも梅田駅をご利用いただきありがとうございます。こちらの放送は無限ループ梅田駅の中にいる人にのみ聞こえるようにしています。まずは1134番出口へ向かって歩いて下さい」というように脱出案内が駅のアナウンスが流れるようにしたという国土交通省の対策は有名だ。
というか国が政策として広めているので、オレですらYouTube広告で見たことがある。でも、オレは無限ループ梅田駅現象につて、それ以上のことを調べたことはない。
梅田駅とは縁のない人生を送ってきたし、今後も梅田駅の構内アナウンスを聞くことは絶対に無いなと思うからだ。
具体的に言うと、オレが住んでいるのは梅田から80キロメートルも離れた和歌山の田舎だし、家に目を向けても都会的に洗練されているとは言い難く、中は散らかっていて汚い。
梅田駅を歩くこぎれいなサラリーマンと比べることすらおこがましいほどに。
そんな家の汚さの90%は、一緒に住んでるジジイ由来だ。
例えば今朝も、目を覚ましたオレが自室から1階に下りると、和室の畳の上にジジイのよだれが小さな水たまりを作っていた。
これからダルい高校に行こうという朝に、不潔な物を見せられるのはたまったもんじゃない。しかし両親は医者で仕事に行くのが早く、朝は家にいない。
オレがジジイの相手をするしかなかった。
オレは「あーあ」とクソでか溜息を漏らし、家の奥を覗き込んだ。
ジジイの認知症の症状には波があるが、今日は悪い日らしい。和室でよだれを垂らすだけでなく、和紙に筆で何かを書いている。畳に座り習字をしているというのは、一見すると風流で大変結構なことだが、書いてる内容が最悪だ。
紙に「家の前でうるさい工事をやめなさい。その騒音のせいで、孫が一年以上家に帰ってこない。そのお詫びとしてR屋の和菓子を買ってこい」と書いていた。
書くだけならまだ良い。
あろうことかジジイは、その紙を持って家から出て行こうとしていた。
「お前の孫は今ここにいるオレで毎日帰ってきてるし、工事の音なんてオレの耳には聞こえねぇよ。いい加減にしろ!!!」みたいな意味をこめた怒号をジジイに浴びせそうになったが、寸前で思いとどまった。
下品だし、どうせオレの主張は認知症のジジイに伝わりやしない。
かわりにオレはジジイのためにR屋の和菓子を買いに行くことにした。
ジジイがこういう意味不明なキレ方をするときはとりあえず希望を一部でも叶えればいい、というコツを身に着けていたからだ。
調べてみるとR屋は梅田駅にしかないようなので、もちろん学校はサボる。
オレは『今からお前のために梅田駅まで行ってやる』と書き置きを残し、家を出て電車に乗り、梅田駅へ行った。
人生初の梅田駅。
オレにとっては、信じられないほどの店の多さが印象的だった。
和食洋食ラーメン屋。ドラッグストアの隣に高級腕時計を扱う店があったりした。
当然ながら、それらの人気店の行き方情報はグーグルで検索すると出てくる。
つまりスマホさえ使えば、梅田駅の狙いの場所へ入る分には意外と簡単なのだった。
食虫植物の罠の中にハエが招かれるように。
オレが梅田駅に着いてから和菓子のR屋に行こうとした時も、グーグルマップの案内に盲目的に従うことで、拍子抜けするほどスムーズに到着し和菓子購入できた。
通路には「2番出口行き」のような形で番号が振られているので、6本の道に枝分かれする交差点だろうと、エスカレーターの裏に隠れた細い階段だろうと、「2番出口行き」→「18番出口行き」→「135番出口行き」というあらかじめ調べておいた数字だけを辿れば、目的の場所へ着く。
それはちょうど、算数ができない子供が答えを丸暗記している様に似ていた。
始めは対応できても、時間が経つとボロがでる。
梅田の地下街を歩く場合も、時間とともに「目印」を見失う。
案内表示の矢印がどの方向を指しているかわからなくなることもあるし、そもそも「案内表示その物」すら一度目を逸らすと二度と目にすることができなかったりする。
今回のオレの場合は和菓子屋に行くまでは良かったが、帰る時にはもう、目印が消失していた。
グーグルであらかじめ調べた12個もの目印は、30分間もたず、オレは迷子になったのだった。
迷子になったと自覚してからも2時間はとにかくがむしゃらに歩き続けてみたのだが、次第に右足が悲鳴をあげ始めた。一歩足を進める度に、にぶい痛みが足首を貫く。
でも本当に恐ろしいのは、体に蓄積したダメージではない。
こんなになるまで足を動かして、ひたすら真っすぐ歩いているというのに、同じ道を何回も繰り返し通っているという事実だ。
6周目あたりから気合だけじゃどうにもならないと理解して、適当なサラリーマンを尾行したりもしたが、何も解決しない。
何度やってもスーツの背中を見失いオレだけが元の場所に戻ってきてしまう。
強情なオレでも、さすがに認めるしかない。
ただの迷子じゃなく、無限ループ梅田駅に入ってしまったと言う最悪な状況を。
だが、無限ループ梅田駅現象には1つだけありがたい特徴がある。隣を歩く無限ループ梅田駅の外の人が見えて、話しかけることも可能ということだ。
なりふり構わず助けを求めるしかない。
都会のサラリーマンに助けを求めたくない、といったコンプレックスと僻みが混ざった感情をこらえて、オレはサラリーマンに話しかけた。
なぁオレは今無限ループ梅田駅に迷い込んでるみたいなんだよ。脱出方法について何か知らないか?‥‥
という風に言いたいことはたくさんあったが、オレは口を動かすのが下手なので「えぇ」とか「あぁ」といったうめき声を出すことしかできない。
ただでさえセカセカ歩き去っていくサラリーマンが、可哀そうアピールが下手なオレのために足を止めるはずがなかった。
結局オレは自力で状況を打開することも、助けてもらうこともできず、完全に詰んだ。
梅田駅に着いたのは昼頃だったはずなのに、段々と夕方の帰宅ラッシュが始まっているようで、人流が増えていき、オレの存在が通行の邪魔になってきた。
行き交う人の波から離れた道の端で、障害物のオレは立ち尽くした。
目の前を様々な人々が通り過ぎていく。
仕事終わりの飲み会に向かうサラリーマン。学校から家へ向かっていそうな女子高生。買い物袋をゆっくりと運ぶ高齢者。
オレが人ごみを眺めていたそのタイミングで、ふいに背中をつつかれた。ちょんちょん、といった軽いタッチで。
やさしく触れられた感じだったのだが、オレは滑稽なほどにビクッとなった。
突然だったというのもあるが、何よりオレは駅の壁際に背を向けて立っていたからだ。
オレの背後に人が立つスペースがあるとは思えず、振り返っても誰もいないというホラーなことになるんじゃないか、という疑念から振り返ることができない。
かといって「後ろを確認せずに走り去る」みたいな思い切りも出せず、数秒間の無の時間の後に覚悟を決めて振り返った。
梅田駅の壁表面は無機質なタイルが無限に規則正しく並び、ところどころが汚れている。所々に広告が貼られ、中にはタレントの顔、新商品のキャッチコピー、そして、見慣れない自然の風景が印刷されている。
そんな広告ポスターの下辺あたりに頭がある、小さい少女がオレの背後に立っていた。
オレの背後に人が立つスペースなどないと思っていたが、なるほど、これくらい小柄なら立てる。
年齢は6歳くらいだろう。
陽光のように揺れる金髪。
こちらを見つめる翡翠の双眸。
そんな美しい少女が、不思議そうに首を傾けてオレを指さした。
それから耳の横で上下に手のひらをヒラヒラと動かした。
聴覚障害者を表すジェスチャー。少女は手話を用いてオレに【聴覚障害者なのか】と質問していた。
オレはうなずいた。
――今後も梅田駅の構内アナウンスを聞くことは絶対に無いなと思う
――工事の音なんてオレの耳には聞こえねぇよ
――どうせオレの主張は認知症のジジイに伝わりやしない
――言いたいことはたくさんあったが、オレは口を動かすのが下手なので「えぇ」とか「あぁ」といったうめき声を出すことしかできない。
今日ここに来るまでのことを思い出しているオレを見つめて、少女は【今、無限ループ梅田駅に入ってしまった人への放送が行われています。耳が聞こえないあなたのため、脱出口へ私が案内しましょうか】と手話で問いかけた。
しかも【タダではない。今あなたが持っている和菓子全部と引き換えだ】という宣言を追加した。少女の瞳は、まるで俺の心を覗き込んでいるかのようだった。
和菓子を渡すか、無限の梅田駅にいるか。選択肢は2つに1つ。
俺は、ただただ沈黙するしかなかった。和菓子一つで動けなくなる自分が情けなかった。素直になれない自分が、本当に嫌になる。
認知症になり、手話の使い方も、そもそもオレに聴覚障害がある事実すら忘却したジジイ。
色々な記憶を失っていくジジイのこれまでの人生で、この和菓子は何かの思い出だったりするのだろうか。
認知症のせいで手話を忘れて意思疎通すらできなくなり、ジジイの記憶の中からオレの存在は急速に薄れている。
いまのジジイの中では、オレよりも和菓子の方が大事なんじゃないか、と思う。
【いやだ。和菓子は渡さない】
という手話で、オレは拒否の意を示した。
少女は手話もせず、そっけなく首を縦にふり、消えた。きっと無限ループ梅田駅の中に住む、人じゃない存在だったのだろう。
誰もいないのに壁の方向いていても変だなと思い、振り返ったオレの目には、無限の先まで続く梅田駅の通路が映る。
絶望的な風景。
オレは再び足を引きずり、和菓子を抱えて歩き始めた。昔、ジジイが手話を使用できて、2人で楽しく遊ぶことができていた日のことを思い出しながら。
そんなオレの横を、サラリーマンたちが無感情に通り過ぎていった。
ジジイが好きな和菓子を買いに 広河長綺 @hirokawanagaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます