第47話 帰還の儀(The Rite of Return)
湾岸の研究区画が、まるで呼吸をするように揺らいでいた。
深夜の空は青白く、風も音も失われている。
ミネルヴァの声が響いた。
「アストリアス、出現します。」
天井が割れたように、上空がひときわ強い光に覆われる。
空気が捻れ、建物の外に、幾何学的な陣が形成されていった。
光は螺旋を描きながら降下し、中心に影を宿す。
それは人の形をしていた。
しかし、衣のようなものは輪郭を結ばず、
声だけが幾つもの重なりで響いた。
「呼び声を聞いた。赦しを乞う者たちよ。」
その声に合わせて空間の粒子が震えた。
ローレンスはただ息を呑み、
リンは震える指で机の縁を掴んでいた。
しずが小さく呟く。
「……これが、アストリアス……?」
暁人は何も言わない。
ただ目を細め、光の中心を凝視していた。
アストリアスの手が静かに伸びる。
椅子に拘束されたマークの額に、指先が触れた。
次の瞬間、空間が一変した。
青い火花のような光粒が、彼の頭部から噴き出して舞い上がる。
ホログラフィックな映像が天井に広がり、
そこに“過去”が映った。
36年前の、まだ小さな研究棟。
若い杏璃がターミナルの前に立っている。
彼女の腕に幼いしず。
そしてその背後――
時の裂け目のような、歪んだ光の渦。
アストリアスの声がその光景に重なる。
「彼女は罪ではない。時そのものの“贖い”だ。」
暁人が身を乗り出す。
「杏璃!」
光の奥から、懐かしい声が返った。
「……あきと、もういいの。」
全員が息を呑む。
マークは涙をこぼし、頭を垂れた。
「神は……見放さなかった……」
アストリアスの目が、まっすぐ杏璃を見つめる。
「形を選べ。時を越えた“私”を、どの姿で帰す?」
杏璃の声が答えた。
「答えは決まってる。」
彼女の輪郭が光に溶け、ゆっくりと再形成されていく。
その中で誰もが、彼女がどんな姿で戻るのかを悟らないまま、
ただ見守ることしかできなかった。
アストリアスの輪郭が淡く揺れる。
「時は……裁かない。」
その言葉を残して、
光が一気に収束していった。
そして――
光の中心に、ひとりの女性が立っていた。
落ち着いたマダムの姿で、静かに微笑んでいた。
暁人の目が見開かれ、息を呑む。
杏璃が、確かにそこにいた。
光が静まり、空気がひと息をつくように揺れた。
そこに立つのは、年相応の、穏やかな微笑をたたえた女性。
白銀の髪に、落ち着いた群青のコート。
その瞳はかつてのまま――杏璃だった。
暁人が、喉の奥で何かを飲み込みながら近づく。
「……杏璃、なのか」
杏璃は少しだけ眉を上げて、口元を歪めた。
「どうしたの、そんな顔して。若い奥さんが欲しかった?」
暁人が詰まり、しずが吹き出しそうになるのをこらえる。
リンは目を潤ませたまま、思わず小さく笑った。
「やっぱり、おばあちゃんだ……」
しずが駆け寄る。
「お母さん……!」
杏璃が両腕を広げる。
「ずいぶん背が伸びたわね。もう私より大きいじゃないの。」
しずが泣きながら顔をうずめる。
「やっと、帰ってきてくれた……!」
リンも横から抱きついた。
「おばあちゃん……おかえり……!」
その温もりの輪の外で、アストリアスが静かに光を散らす。
「時間は再び流れ出す。赦しは果たされた。」
マークがその場に膝をつき、ぼんやりと口を動かしていた。
「……神は……沈黙したのか……」
ローレンスが低く答える。
「いや、今のが答えだ。」
杏璃が振り返り、彼を見下ろす。
「時は裁かない。人が人を赦すの。」
その言葉を最後に、アストリアスの姿が完全に光へと変わり、
朝焼けの中へ溶けていった。
しばらくのあいだ、誰も動けなかった。
ただ、朝の風が頬を撫でていく。
マークは壁にもたれ、虚ろな瞳のまま何かを呟き続けている。
その声は意味をなさず、まるで夢の名残のようだった。
暁人が杏璃の肩に手を置く。
「……おかえり。」
杏璃は静かに頷いた。
――そして数時間後。
クロノブリッジのリビング。
柔らかな陽が差し込み、テーブルの上に湯気が立っている。
杏璃、しず、リンが並んでソファに腰を下ろしていた。
杏璃がふと笑う。
「あなたが見ていた韓流ドラマ? っていうの、見てみたいな。」
しずが顔を上げる。
「お母さん、任せて。一緒に見ましょう!」
リンがすかさず身を乗り出す。
「わたしも! わたしも!」
しずが眉を上げて笑う。
「あなた、最近の子はこういうの見ないんだよ〜って前に言ってたわよね。 」
リン:「おばあさまと一緒に見るんで見なかったんだよ!」
三人の笑い声が、リビングに柔らかく響いた。
その後ろで、モニター越しにミネルヴァが小さく呟く。
「帰還、確認。……青空、再接続完了。」
カメラがゆっくりと上昇する。
窓の外、湾岸の空が淡い金に染まり、
海面が反射してきらめいている。
杏璃としずとリンの影が、
朝の光の中で、ひとつに溶けていった。
🌅――第一章・完
(次章「臨界の門」は、ただいま準備中です)
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クロノブリッジ ~AIがちょっとだけ人間を理解するお話~ ほしわた @hoshiwata_novel
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