第4話花嫁、弟子になる
翌朝、莉緒は妖精の笑い声で目を覚ました。キャッキャという声が木霊する中、彼女は寝惚けたまま辺りを見渡す。
(えっと・・・。ああ、そうか。あの人に保護されてここにいたんだった)
呆けていたまま伸びをする。するとそのワイシャツで隠された胸が強調される。その光景を部屋の入り口で見ていたシルフィアが半目で自分の胸を押さえる。莉緒はシルフィアに気づくと何をしているのかという目を向ける。数分立った後、シルフィアがズーンと落ち込み、泣き出しそうになった。
「⁉ わ、わあー! 大丈夫、大丈夫だから! 小さい分、私以上に綺麗だから! 可愛いから! 泣かないでお願いだから!」
地味にフォローしているがそれ以上にメンタルを粉砕された。とうとうシルフィアが崩れ落ちて顔を覆って体を震わす。莉緒はそれを見た瞬間、オロオロと慌ててどうすればいいか分からず、フォローしたくても、また傷つけたらどうしようかという恐怖でできなかった。
「もう朝ごはんだろう? 早く降りてきなさ――あれ? どうしたんだい?」
(救世主来たり‼‼)
莉緒は内心ガッツポーズをしていた。彼女は様子を見に来たフィーリアスに全てを任し、心の中でエールを送る。
「シルフィア、どうしたんだい? 大丈夫かい?――ああ、そういうことか」
理解した彼が言葉を連ねる。
「大方、莉緒の胸部を見て落ち込んでいるのだろう? 大丈夫、君には君の魅力がある。たかが(・・・)胸部のサイズの違いじゃないか。気にすることないよ。姉のとは正反対になってしまったが、まあいいじゃないか。まぁ、僕としては自分のことを受け入れることが大切だと思うなー」
ビシィッ‼‼と空気が凍った音がした。何事だろうとフィーリアスが莉緒を見れば、燃え尽きたかのように真っ白になり、目は(終わった・・・)と語っていた。するとその時シルフィアがスクッと立ち上がりフィーリアスの方を向く。いまだに理解出来ていない彼を見据え彼女は、腕を振りかぶった。
その行動でフィーリアスも理解ができた。
「ああ、なるほど。怒らせちゃったかな?」
楽しそうに言う彼にシルフィアは完全に、キレた。振りかぶった腕をそのまま思いっきりフィーリアスの腹へ撃ち抜かんとしていた。咄嗟のことで思わず目を瞑る莉緒。とてつもない速さで彼に突き刺さった――ように見えた。
『⁉』
「・・・え?」
その拳が当たる直前、フィーリアスが消えた。いや、シルフィアからは分からなかったが、端から見ていた莉緒から見れば、そのパンチを受け流すように一回転。勢いを利用してシルフィアの背後に立った。
「簡単には殴れないよ。仮にも僕は王だからね」
「でも流石に彼女がいたたまれないような・・・」
「まあね。でも王としての威厳があるから、威厳が」
シルフィアは涙目になりながら、頬を膨らませ部屋を出ていった。それを見た莉緒は半目になりながらフィーリアスをジーッと見る。しかし、彼は首を傾げるだけだった。
数分後、朝食の鐘がなった。莉緒とフィーリアスは階下へと向かって行く。ダイニングに行くと、そこのテーブルにはクロワッサン二つと質素なポタージュが置かれていた。
「へ?」
「おやぁ、機嫌損ねたようだねぇ。どんまい」
「どういうことです?」
「いつもなら、もうちょっと豪華なんだけど。機嫌損ねたら一週間コレ」
「そうなんですか・・・。でも私、それよりも気になることが・・・」
「ん? 何だい? 言ってごらん」
「フィーリアスさん、なんで栄養ゼリーだけなんですか」
「えっ? あっ、シルフィア‼ コレ研究室のものじゃないか! まさか今日の朝食はこれなのかい⁉」
シルフィアは彼の言葉にプイと顔を背け、キッチンへと戻った。フィーリアスはガーンとショックを受けた。莉緒は知らないとばかりに朝食を食べる。
朝食が終わると莉緒はフィーリアスに呼び出された。何やら話があるらしい。何の話かは大方予想がつくが、話を聞かないという選択肢は莉緒の頭の中にはなかった。
(これは私の問題。どうにかしてケジメをつけなきゃならない。それに弟や妹たちが心配だ。何とかして彼らには手を引いてもらわなきゃ)
そう思いながら、フィーリアスの部屋の前に立つ。ドアノブに手をかけ、覚悟を決めた。
「莉緒です。失礼します」
莉緒は真剣な表情で、中に入っていき咄嗟に自分の意見を話そうとする――
「カーカッカッカッカ‼ この屋敷も久しいのう! どれ、一杯儂らと飲まんかや? うまい酒を持ってきたが故、この再会を祝おうではないか‼‼ カーカッカッカッカ!」
「こら! 朝から酒などいけません! しかもこれ、極東の『鬼殺し』じゃないですか! しかも人工ではなく天然物の極めて度数が高いやつ・・・! 貴方、暇なときはいつもこれ飲んでるんですか⁉」
「いんや。『龍殺し』の天然ものや、『ジン』、『バーボン』、『スピリタス』、『エバークリア』とかが多いのう」
「大半が度数高いものばかりではないですか! 何を飲もうがいいですけど、書物に臭い付けないでくださいね‼‼」
――こともなく真剣な空気を思い切りぶち壊された。
「・・・・・・は?」
莉緒は状況が状況に全く頭が追い付いていなかった。いま目の前にはフィーリアスの他に二人。どちらも彼女は見たこともない。一度見たら忘れるはずもないと言えた。
一人は刈り上げた黒髪の男。その顔は整っているが、どこか野性的な雰囲気を感じた。浪人のような破戒僧のような服の上に、女物の振袖を羽織った奇人だった。さっきから笑っていて騒々しい。
もう一人は白と黒の燕尾服を着た男。こちらも顔は整っており、その髪は鮮やかな栗色だった。傍らには本を携え、頭を抱えていた。その首には一つの古いかぎが引っかかっていた。
「おお、これが件の花嫁かや? なんとなんと! 健気で可愛いではないか! カーカッカッカッカ‼‼」
「あ、え、えっと」
「あ! 申し遅れたのう! 儂はシェドー・カラクニという。お主と同じ、日本人じゃ。よろしゅうのう」
「え? 日本人なんですか?」
「そうじゃよ。儂は数少ない不明王の眷属じゃ。本名も空國志道じゃ」
わざわざ紙に書いて見せてくれた。ただ酒臭い。それにぐいぐい来るので莉緒としては少し苦手意識が残る。そんな彼を押しのけて、もう一人挨拶してきた。
「まったく・・・。あ、申し遅れました。私、オウリア・ベルガと申します。不明王の眷属にして大全不明図書館の副館長をしております。重ねて、フィーリアス様の執事であります」
「あ、どうもご丁寧にありがとうございます。柊莉緒です。初めまして」
「あれ⁉ 儂の時と対応違うのではないかのう? なあ、なあってば!」
オウリアにシェドが絡み始める。そんな彼をオウリアは簡単にいなした。
そんな光景を見たフィーリアスがおもむろに立ち上がって、パンパンと手を叩く。
「はい、そこまで。莉緒、今日僕は出かける予定がある。だから不在の間だけ彼らが君を守ってくれるよ」
「一緒に行くんじゃないんですか?」
「別についてきてもいいけど。そんなに孤児院の子たちに会いたいかい?」
莉緒は目をキラキラさせ、コクコクと頷く。それを見たフィーリアスは
「よし! じゃあ綺麗に着飾らないとね? というわけでオウリア、シェドは帰ってくれて構わないよ」
「「はあ⁉」」
「シルフィア! 莉緒に綺麗な服を。可愛らしくおしゃれにしてあげなさい」
「い、いや私はそんな――」
彼女は音もなく莉緒に近づき、羽交い絞めに。そのまま彼女を連行した。連行された先では、莉緒の羞恥が入った声が聞こえてきた。
『ちょ、ちょっとシルフィアさんやめてください! え? もう少し豪華に? いやいやいやいいですって! むしろ平凡な感じでいいですから! 胸大きいから強調した方がいいとか余計なので! あっ、ちょ、そこはっ・・・。だ、だめ・・・・・・や、ちょっ~~~~~~~~~~』
言葉になっていない悲鳴が聞こえてきた。オウリアは額に手を当ててやれやれと首を振り、シェドはばつが悪そうに頭に手を当てて、フィーリアスは肩を震わしながらクスクス笑っていた。
「まったく・・・・・・」
「これはこれは・・・儂でも困るのう」
「ははは。初々しいねぇ。正直羨ましいよ。」
「しかし主様。帰ってくれても構わないとは?」
「その言葉のとおりだけど?」
「・・・それなら納得できんのう。儂らもつれていけ」
その言葉に、フィーリアスは首を横に振る。そして申し訳なさそうに言った。
「ごめんよ。これは僕の問題だ。ついてきてはいけない。決してね」
「しかし、これでは我らのメンツが!」
「・・・・・・」
「そうじゃ、主様よ。少なくとも一人だけ傍に付いた方が――」
「君たち」
たった一つの言葉だけで二人の男が委縮した。ゾッとした。背筋に悪寒が走った。オウリアとシェドは顔を青くしながら、その場を動けずにいた。
「これは王命(・・)だよ」
王命――それは二十の王が持つ、絶対的な力。彼らはこの力を使い、眷属たちの自由を縛り、王の命令に背くことを許さない。全てにおいて絶対的で絶望的な呪いである。
その単語が出てきた瞬間、彼らはフィーリアスに向かって膝をつき、深々と頭を下げる。ましてや呼吸もまともにできない今では「逆らったら終わり」という言葉が脳内を駆け巡る。ただただ恐ろしいと彼らは思った。思考だけではない。本能も皮膚も髪も魂も。さらには、彼らを形成する細胞や魔力に至るまですべてが目の前の王に畏怖し、尊敬し、敬神のごとく崇拝し、そして何より恐ろしかった。何年、何十年、何百年かかったとしても、勝てないと感じた。
シェドは落ち着きを取り戻すため、ゆっくりと、長く息を吸い、吐いた。
「我が主よ、王命なのであれば仕方ないと思うが、なぜそうなるのか訳を話してはくれんかのう」
「まあ、それもそうだね。――彼女は孤児院育ちだ。よって今から孤児院の責任者と僕で彼女をどうするか決めようと思う。一人でと約束していてこれからなんだ。莉緒の姿を見たいっていうから、彼女だけはつれていってほしいと自ら望むのであればと思ったから同行を承諾したんだよ」
「・・・・・・本音は?」
「彼女を育てた奴がどんなに面白いやつなのか見てみたい!」
それを聞いた途端、オウリアは頭を抱えた。シェドは「ああ、またか・・・」と言いたげな表情を浮かべた。
フィーリアスの本音は一種の癖のようなものである。彼は退屈を何より嫌い、普通を卑下する。しかし逆に、未知という言葉に過敏であり、面白いことや刺激を誰よりも欲す。さらには普通ではないことを「素晴らしい‼‼」というほどだ。明らかに狂人である。
しかし何故こうなのかと聞かれれば答えは一つしかないだろう。それは、彼が不明王(・・・)だからである。年齢不詳、攻撃パターンも分からず、本当の姿を見たものもいない。見た目や声音から男だと言うものも多いが、明確な事実がない以上不明である。
つまりは不明ということに執着し、異常なまでの退屈に対して毛嫌いし、未知を、不明を欲望という形に変え、世に顕現しているのがフィーリアス・アルディバートという存在である。
今回も、柊莉緒という少女をどうやって育てたのか、どんな面白い奴が育てたのか知りたいという不明王として、フィーリアス・アルディバートという存在としての探求心である。
「また癖ですか・・・。やれやれ、面倒は起こさないでくださいよ。後処理が面倒です」
「儂も面倒事は嫌じゃのう! 満足に戦うことができやせんからな!」
「・・・君たちは僕を何だと思っているんだい?」
「「面倒事を持ってくる狂人」」
「ちょっ、君たちねぇ・・・‼」
「・・・まあいいです。今に始まったことではないのでね」
「! じゃあ――」
「ただし・・・! 今よりも社会的な地位を落としたらいけませんよ⁉」
「アハハ、落ちない落ちない」
「過去に何回も落ちかけたことがあるから言ってるんでしょうがあああああああああああ‼‼」
フィーリアスの胸ぐらをつかみ、ブンブンと前後に振るオウリア。逆に彼はアハハと笑いながら、首が勢い余って折れそうなぐらいガックンガックン揺れていた。
暫く経って、シルフィアが戻ってきた。一人で。眷属の二人は、「?」と首を傾げる。そんな彼らの代わりに、フィーリアスが彼女に聞く。
「シルフィア、莉緒はどこだい? まだ着替えているのかい?」
『いえ、すでに着替えは終了しています。主(マスター)の要望どおり、可愛らしくおしゃれな感じにしました』
「なら何故出てこないんだい?」
『恥ずかしがっているだけです』
彼女は部屋から出ると、莉緒のもとに行ってしまった。途切れ途切れだが、莉緒の声が聞こえる。
『し、シルフィアさん私やっぱり駄目です! こんな恥ずかしい服着られません! 恥ずかしがっていないでさっさと行け? 恥ずかしさで死にます! ただでさえクスクス笑っている人といると惨めに思えてきます! 自分が!』
「・・・・・・なんか貶されておらんか? 我が主様よ・・・・・・」
「アハハ。気にしない気にしない。王たちからは貶されることは日常茶飯事だからね」
「そう言いながら、少し涙目です」
数分後、莉緒が顔を赤くしながら入ってきた。白く薄い布地の爽やかなスカートに紺色がベースとなったチェック柄の襟付き長袖Tシャツ。その上からはベージュ色のストールを羽織っていた。
「「「・・・・・・・・・・・・」」」
「そ、そんなに見ないでください・・・」
赤くなりながら、モジモジと恥ずかしがる。そんな彼女にフィーリアスは撃ち抜かれたかのようによろめく。オウリアとシェドは近づきながら、
「よく似合っていますよ。素敵です」
「うむ。なんとも雅じゃ。可愛いのう。惚れることはないが・・・。初々しいのう」
「い、いえ。そんな・・・・・・」
「主よ、可愛らしいぞ。そう思うかや?」
一斉に振り返る。すると書斎の机で悶絶していたフィーリアスがいた。その顔は包帯と眼帯で隠されているが、若干赤い。照れているような雰囲気を醸し出しながら、赤くなっている。
「「「・・・・・・・・・」」」
「・・・あれ?」
「・・・あんな王、見たことないな・・・?」
「ええ。さすがは王の伴侶の資格を持つものです。王にとってはその存在自体がある意味女神にも見えているのでしょう」
「ええ・・・」
悶絶から立ち直ったフィーリアスが一回咳払いをし、莉緒のもとに来る。未だに顔が赤いのはご愛嬌だろう。包帯越しでもよく分かった。
「オウリアの言う通りだよ。僕ら王の花嫁は一般人から見ればただの【超が付くほどの美人】という枠組みに入る。でもね、僕たちにとってはその認識は関係ないんだ」
「というと?」
「衝動的なんだよ。僕らは外見だけでなく内側も見る。魔力のオーラ、神々しさ、質、心そのものの清らかさ等々をね。それも外見と一緒に見えてしまうものだから、美しさや魅力は通常の倍になる」
「なるほど。だから主(あるじ)様(さま)はあんなに・・・」
「あくまで僕の理論上の仮説だ。確証はないよ」
そう言いながら、玄関へ向かって行く。玄関には槍にも見える黒い杖が置かれていた。それは禍々しく、炎のように靡いているように見えた。彼はそれをくるりと回し、床にカツンという音を響かせながら杖を置き、
「門よ、繋げよ(ゲート)」
超短文の詠唱を唱え振り返る。そこには、かすかな笑みを浮かべたオウリア、シェド、シルフィアの姿があった。莉緒はフィーリアスがこちらに手招きしたのを見て、彼の近くに小走りで近づいていく。
「準備はできたかい?」
「はい」
「なら行こうか」
そう言うと、彼は莉緒の腰に手を回し、自分の方に抱き寄せた。
「⁉」
「門をくぐるからね。はぐれないための処置と考えてくれないか」
「は、ハイ」
二人の後ろには、オウリア達三人が膝をつき、頭を下げていた。
「ご武運を」
「達者でな‼」
『また会いましょう?』
「皆さん、ありがとうございます」
「じゃあ、行くよ!」
二人は光り輝く門に歩いて入っていき、その姿を消した。しばらく経つと、門そのものも消えてなくなってしまった。
「行きましたね」
「ああ、行ったな」
『そうですね。でも・・・』
「「『あれは絶対連れて帰ってくるな』」」
確証を持ちながら、三人はやれやれという風に同時に言った。
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