漆、包み焼き河童もどき

 陰陽殿おんみょうでんくりやにて、芒と捌は集まる予定となっていた。

 早めに到着した芒は、食材が干してある台の隙間に腰かけて捌を待つ。

 彼は魚名と面会してから来ると言っていたから、もう少しかかるだろうか。

 そんなことを思っていると、勢いよく勝手口が開かれた。思わず肩を揺らしてしまう。


「ごめんっ! 遅くなりましたっ!」


 冷えた空気と共に現れた捌は素直に頭を下げた。それに対し、芒は首を振る。


「全然待ってませんよ。それに『空腹は最高の調味料』と言いますから、これくらいなら余裕です」

「そう言ってもらえて助かる~。ちょっと色々あって面会後に一回部屋戻ったりしたから心配だったんだ」

「部屋に戻ったんですか? どうして?」

「あー、その、顔当てが汚れちゃったから」


 そう言われると、捌の顔当てに注目してしまうのは当然のことだろう。じっと見つめていると、


「い、今はきれいだからね……?」


 と、念を押された。別に汚かろうが構わない。

 芒が視線を外すと、捌は安堵したように息をついた。そんな彼に向かって芒は口を開く。


「……魚名様は、どうでした?」


 被害者であるという理由から、芒には面会の許可が下りなかったのだ。その代わりとして捌に獄舎ごくしゃまで行ってもらったのだが、一向にその話が出ないためこちらから話題を振ることにする。

 すると、捌は意味のない音を何度か発しながら、法衣ほうえにたすき掛けを施した。


「まぁ、うん。少しやつれた感じはあるけど、体調を崩したりとかはなかったよ」

「それ以外は?」

「い、色々お話してきました……」

「その色々の中身を知りたいんですけど」

「ちょっとまだ話すには早いかな~って……」


 どうやら、どうにかしてお茶を濁したいらしい。

 そこまで隠したいのなら、あまりしつこく聞くのもよくないだろう。おそらくは、何かしら理由があるのだから。


「わかりました。今回は物分かりがいい振りをしますよ」

「ま、誠に感謝っ!」


 手を合わせて頭を下げる彼に対し、「その代わり――」と芒は言葉を続ける。


「――『河童の左腕』、おいしくしてください」


 そう、今日この場に集まったのはこれが理由なのだ。

 芒はたしかに魚名の目の前で「河童の左腕」を食べた。しかし、食べ切れなかったのだ。……不味すぎて。

 腐った生魚のような味と香り、ぐにゃりとした慣れない触感。食材としては最悪だった。

 「河童の左腕」の息の音を止めるという意味ではあの場で食べた数口で十分だったが、しっかり祓うには完食するしかない。そのため、妖は傷みにくいという利点を活かし保存しておいたのだ。捌に調理してもらい、おいしく食べられるようにするために。

 ちなみに、今回「河童の左腕」を食べるのは芒だけだ。捌には調理の方で腕を振るってもらうことになっている。

 おいしくしてくれという芒の頼みに、捌は大きくうなずいた。


「それについてはまっかせて! というか、今回私それしかできないからねっ!」


 捌は床下の簡易氷室ひむろから木箱を取り出す。

 その中には、大きな口で数回ほど噛み千切られた「河童の左腕」が眠っていた。相変わらず赤黒く変色したままである。

 その腕をさらっと洗いまな板の上に乗せると、捌は切り付け包丁を構えた。そして、切り身を複数作るように斜めに包丁を入れていく。

 指の辺りは関節部分で細かく切断。一口ほどの大きさになった。その上に塩を振る。雪のようにきらめく塩が身の上に薄く積もった。


「これでしばらく置いておきます。さて、次はっと……」


 捌はそう言うと、一番近くにある棚からきのこの束を取り出した。

 様々な種類のきのこが一緒になっているらしく、大きさも色もばらばらだ。厨内に、きのこ特有の土の香りが充満する。これだけで、芒の口内に涎があふれた。

 先ほどとは打って変わって、きのこは念入りに洗うらしい。土をしっかり落とすと、捌は素早い指捌きで石づきを取り始めた。

 思わず、その姿に見惚れてしまう。指が長いなとか、思っていたよりも手首が太くて男性らしいなとか、そんな浮かれた感想が芒の脳内を埋め尽くした。


「よし……相棒、そっちの棚から大きめの葉を出して水で濡らしておいてくれない?」

「――んぇ⁉ は、はいっ!」


 完全に上の空だった芒は、裏返った声で返事をする。

 指示された棚まで行き、中から大きめだと思う葉を数枚取り出した。それを水に浸した後、滴る水滴を揺らして落とす。


「捌殿、葉の準備できました」

「ありがとっ。そんじゃ、このきのこちゃんたちと『河童の左腕』に醬油をかけたら、濡らしてもらった葉で包みまして……と」


 小ぶりな壺に入った醤油がつうっと美しい線を描いて葉の中へ落ちていく。次いで、開いてしまわないよう葉先を丁寧に畳み込んだ。そして、捌の方で準備していた底が浅い鍋に、包んだ葉ごと優しく乗せる。

 しばらくそのまま待機していると、葉の隙間から湯気があふれ始めた。鍋から熱が伝い、葉の中にある食材たちに火が通ったのだろう。


「あとは適度に裏返したりして……」


 捌は鍋専用の木製しゃもじを使い、器用に表と裏を引っくり返す。湯気の量が増えてきた。それに比例するように、焦げた醤油の香りが厨中に広がる。もう唾液が止まらない。

 芒は無意識に喉を鳴らした。

 どれほどそうして待っていただろうか。芒にとって凄まじいほど長く感じた時間が、「うん、そろそろいいかな」という捌の声で終わりを告げた。


「――これにて『河童の左腕』を使った『包み焼き河童もどき』完成でっす!」




 葉を開くと、ぶわりと濃い湯気が昇る。それと共に、焦げた醤油と焼き魚のような香ばしい匂いが芒の鼻腔をくすぐった。

 視界に広がるのは、よく煮えてくたくたになったきのこたち、それから火が通って赤黒さが控えめになった「河童の左腕」だ。

 高鳴る胸の音を聞きながら、芒は両手を合わせ捌の方を向く。


「いただきます……!」

「はい、どーぞ。めしあがれっ」


 微笑む彼につられ、芒の口角も上がってしまう。

 箸を持って、まずは「河童の左腕」をつまんでみた。弾力があるのかと思っていたそれは、思いのほかほろりと崩れる。

 ほくほくと昇る湯気を観察し、一口ほどの大きさに崩して口元へ運んだ。


「……あっふ!」


 舌の上に乗せた瞬間、あまりの熱さに声をあげてしまう。しかし、本能的にすぐ咀嚼を始めた。この醤油と塩がしみ込んだ最高の一品を早く味わいたいのだ。

 噛めば噛むほどあふれ出る旨味。この旨味が含まれた汁を茶碗いっぱいに入れて飲みほしたい。

 塩っぽい香りが鼻を抜けると同時に、ごくっ、と音を立てて芒は嚥下を終えた。


「……う、」

「う?」

「うんまぁぁぁぁぁ……!」


 心の底、いや、腹の底から出た言葉。すぐにじゅわっと唾液があふれ出す。

 二口目、三口目、四口目と芒の手は止まらなかった。それほどまでにおいしいのだ。

 そんな中、何口目の嚥下を終えたころだったか。芒の脳内に少女の声が響く。


 ――お父様、寒いです。ここからは、庭も見えないのです。お父様。……お母様。

 ――痛い。どうしてお父様は私に暴力を振るうの? あんな左腕、無くなってしまえばいいのに。

 ――きっと、私は忘れないのでしょう。あの日、重たい灰色の空、白い息、指先は冷えていて、鼓動は速く、痺れた脳は、たった一人を思い描く。

 ――あぁ。彼女の名を口に出すだけで、こんなにも胸が高鳴ってしまうのです。

 ――彼女の名を呼ぶに相応しい者となりたいのです。


 芒は全てを聞き終え、目を閉じた。

 流れてきたのは魚名の声だ。彼女の感情だ。

 魚名について思うことを挙げ始めればキリがない。自分だって、彼女のことは好ましく思っていたから。

 ――だが、食べてしまえば消化される。

 芒にとって、食べ切ってしまえばどれも終わりなのだ。

 以前は、その終わりを名残惜しく感じていた。食べ物が無くなることは悲しい。満腹になれないのは辛い。

 でも捌といると、その終わりも悪くないのかもしれないと思う。

 自分が食べることで断ち切れるものが何かしらあり、大江たいこう星熊ほしぐまのように何かを繋ぐこともできる。それに、新しいことだって知った。

 芒は隣にいる捌を見上げる。


「ん? どしたの? おかわり欲しいの目?」

「違います」


 こうやって、一緒に食べてくれる人がいることを知ったのだ。

 食べ切ることは、決して悲しいだけの終わりではない。


「捌殿」

「うん?」

「これから先も、あなたが作る料理を一番に食べるのはわたしでありたいです」

「――ぶッ⁉」


 吹き出す捌を、芒は真面目な顔で見つめる。彼はそんな芒を顔当て越しに一瞥し、ふいと反対方向を向いた。


「……あ、あのさ、それ、すっごい口説き文句なんよ」

「はい、口説いてますからね。やっとお気づきになられましたか」

「ぐっ……」


 潰れた蛙のような声が芒の耳朶を打つ。このような声は珍しく、何だか得をした気分になった。


「……あ、相棒もさ、あの日魚名様が言ったこと聞いてたでしょ? ほら、『私と同じです』って彼女も言ってたじゃん。どう考えても何か裏がある奴だと思わん? しかもそれを隠してるわけだし……」

「別に今の捌殿とは関係ないんで。その裏というのが気にならないって言ったら嘘になりますけど、あなたが話してもいいと思えるほどわたしに心を寄せてくれたときに聞くことにします。将来の楽しみが増えましたね」

「じょ、冗談もほどほどにして……」


 冗談?

 その一言を理解した途端、腹の底に存在していた熱が燃え上がった。それによって生まれた感情の名は、苛立ちである。


「……捌殿。わたし、相棒って名前じゃないです」


 だから、仕返しに少しだけ困らせてやりたくなった。


「――すすきです」


 刹那、音が消える。

 息遣いすら聞こえなかった。


「この名前、呼ぶに相応しい権利とかそういうものは一切ないので、気軽に呼んでください」


 そう告げた瞬間、捌が芒の方へ勢いよく顔を向ける。


「――ちょ、ちょっと!」

「はい?」

「はい? じゃないよ! な、名前を教えるってそれ、どういう意味か知らないわけじゃないでしょ⁉」

「はい、わかってるから教えました」


 貴族の娘は真名を異性に告げることはない。もしも真名を教えたならば、それは婚姻を申し込むときである。

 もちろん、芒はそのつもりで名を告げた。今さらやっぱりなしと取り消すつもりは毛頭ない。


「わたし秋生まれで、芒のように大きく実って欲しいという両親の願いによって名づけられたそうです」

「大変すばらしい名前ですッ! 貴殿に似合う素敵な名前だとも思いますッ! でもさ! でも……うあッ――」


 芒が捌の胸ぐらをつかむと、彼は情けない声をあげた。お互いの息がかかるほど近くに、顔を突き合わせる。


「――ここまできたら覚悟してください。わたし、全力で捌殿のこと婿むこにもらう気ですから」

「――ッ⁉」


 捌は魚のように口をぱくぱくとさせるだけで声が出せないようだ。顔当てから覗く耳や首はかわいそうなほど真っ赤に染まっている。

 それがかわいくて、同時に格好良くもあって、芒の心臓は速度を増した。


「ねぇ捌殿」

「…………」

「芒って、呼んでくれません?」

「ま、まだ残ってるから、いい子に食べてください……!」

「呼んでくれたらいい子に食べます」


 自分でも、相当甘えていると思う。でも、共に酒を飲もうという誘いの返事もまだ待っているのだ。これくらいの我が儘は許されるのではないだろうか。

 捌の薄い唇を、じっと見つめる。呼んでくれと念を込めて。


「……す、」


 捌の口から出た一文字目の音。

 ――そのまま一気に呼んでくれ。

 そう思っていると、彼は顔を背けながら丁寧に音を紡いだ。


「……芒、さん」


 少しの間、芒の思考が止まった。

 ――さん。呼び捨てではなく、敬称つき。……これは、一周回ってありである。

 次いで、じわじわとこみ上げる名を呼んでもらえたうれしさと、彼への愛しさで、思わず真顔になってしまった。


「……捌殿」

「…………はい」

「口吸いしてもいいですか」

「呼んだらいい子に食べるって言ったじゃん!」


 真っ赤な顔で声をあげる捌の言い分を無視し、芒は顔を寄せたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

奇人姫の鬼食い役 福島んのじ @torinomadmax

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画