写真の中の少女

二ノ前はじめ@ninomaehajime

写真の中の少女

 数年前、近所で殺人事件があった。

 被害者は少女だった。詳細は語りたくない。しばらく児童の集団登下校が続いたのを覚えている。

 花屋の娘だった。よく店の手伝いをしていた。その眩しい笑顔を覚えていて、両親が悲しみに明け暮れて店を閉めたとき、きっと彼女は寂しかっただろうと勝手に思った。

 小さな青い花が咲く季節、新入生が黄色いランドセルを揺らして通学路を駆け抜けていった。防犯ブザーの着用を義務づけられていることが悲惨な事件の名残なごりと言えるかもしれなかった。

 風景写真を撮ることが趣味だった。一眼レフのフィルムカメラをたずさえて、草木を撮影した。銀杏いちょうの木、スノーフレーク、菜の花。不審に見える行動はつつしまなければならなかった。例の凶悪事件が暗い影を落とし、住民の心底しんていに今もぬぐえない警戒心が根差していたからだ。

 あえて人通りの多い場所で活動した。人気ひとけが少なければかえって疑いの目を向けられるからだ。春一番が桜並木を散らしていた。生来がひねくれ者なのだろう。枝で満開に咲く桜の花より、花弁となって地面を色づかせる景色が好きだった。まばらな葉桜の下で、まだ瑞々みずみずしさを残す桜色の並木道を撮影した。

 自宅にこしらえた暗室で撮影した写真のフィルムを現像した。張り巡らした暗幕などで光をさえぎり、セーフライトの赤い光の中で作業をした。露光した印画紙を現像タンクに入れて、秒数に気をつかいながら、発色現像や漂白定着などの作業を行なう。仕上がりを確認するとき、奇妙な違和感を覚えた。

 葉桜の下に散らばる花弁を裸足はだしで踏みつけて、並木道に黒い影が佇んでいた。引き伸ばし機にかける際、ネガに不自然な点はなかったはずだ。露光などの作業に不手際があったのだろうか。失敗の原因を探るために破棄はきはせず、水で薬剤を洗い流して仕上がりを確かめる。洗濯バサミで干された写真の中の黒い染みは、華奢きゃしゃな人影に見えた。

 髪が長く、細い肩を剥き出しにしたキャミソールドレスを着ている。まだ年端としはも行かない少女だろうか。その黒く塗り潰された背格好に既視きし感があった。生前によく目にした、殺人事件の被害者によく似ていた。

 これは、ぞくに言う心霊写真というものだろうか。

 並木道の人影を見つめて、反応に困った。少女の顔は黒々くろぐろとしていたけれど、どうしてか口だけは映し出されていた。口角が上がり、笑みをかたどっていた。

 その片手はおどけてピースサインを取っていた。



 時折、その黒い少女とは写真の中で遭遇した。

 彼女と趣味嗜好が近いのかもしれない。本来は園芸で栽培さいばいされるキンギョソウを野生で見つけたとき、物珍しさから一眼レフカメラを向けた。写真を現像すると、名前の由来ともなった花の膨らみの前でしゃがみこみ、黒い指先でその鼻をつついていた。

 また、老婆が誰もいない場所で笑いかけているのを目撃した。まるで幼子おさなごに接する態度で、何かを受け取る素振りをした。その胸元に目をやれば、一輪のチューリップがしわがれた手に握られていた。

 生前が花屋の娘だからだろうか、町中で花を配って回っているらしい。その対象は老人や子供に限られた。どうやらこの年代の人たちは、彼女の姿が肉眼で見えており、きっと写真で見る黒い外見ではないのだろう。人物を写真に収めることはないため、そのやり取りは想像するしかなかった。

 悲惨な死を迎えた少女の魂が、今もこの町を彷徨さまよっている。ただ不思議と悲嘆ひたんを感じさせない。暗室には風景写真に混じって、少しずつ黒い少女をとらえた写真が増えていた。杜若かきつばたの紫色をした花畑で、彼女が楽しそうに舞い踊っている。顔は塗り潰されていても、その口はいつも笑みを浮かべていた。

 彼女は、自分の境遇をどう思っているのだろう。未来をたれたにも関わらず、世の中を恨む雰囲気は全くない。むしろ自然を謳歌おうかしていた。あるいは、自らの死を理解していないのかもしれない。

 洗濯バサミで干された黒い少女の写真を前に、自分はどうするべきか考えた。おそらくは正しいり方ではないのだろう。寺の住職にでも頼んで、おはらいをしてもらうべきだろうか。ただ彼女の居場所はわからず、いつも現像する写真の中に紛れこむばかりだ。

 こうして死んだ人間の魂が現世に留まっているのを目にしても、霊験れいげんだとか霊媒れいばいといったものに頼る気にはなれなかった。それだけ写真の中の彼女は自然で、是が非でも成仏させなければならない存在には思えなかった。

 迷った末に、何もしないことに決めた。



 噴水広場で子供たちがたわむれている。青々あおあおとしたメタセコイアの木々に囲まれ、高く噴き上げる水の周りを駆けている。ベンチに座ってよくよく観察すれば、その動きはどこか奇妙だ。誰もいない場所に向かって手招きをして、笑い合っている。

 首から一眼レフのカメラをげたまま、その情景に目を細めていた。

 良いではないか。あの子は、これから何十年も続くだったはずの人生を奪われたのだ。せめてこの瞬間だけでも、永遠であればいい。

 普段なら人物を撮影することはない。だから子供たちにカメラを構えるのは、これが最初で最後だろう。噴水と戯れながら子供たちの輪の中にいる、見えない少女に向かってピントを合わせた。

 そっとシャッターを切った。

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