第8話エピローグ:最後の質問
エピローグ:最後の質問
彼女が消えてから、一ヶ月が経った。
部屋はがらんとして、あの奇妙な日々が嘘のように静かだ。クローゼットの扉を開けても、そこにあるのは俺のくたびれた服だけで、おびただしい数の首輪は跡形もなく消えていた。
全ては、夢だったのかもしれない。
俺は、コンビニ弁当を無心でかきこんでいた。あの日の手料理の味を思い出すと、どんなものも味気なく感じてしまう。
ふと、テーブルの隅に置かれた一枚の写真立てに目が留まった。
俺の、家族写真だ。父さん、母さん、結婚して家を出た姉貴、まだ実家にいる弟。俺が上京する時に、母さんが持たせてくれたものだ。
その時、ゾッとするような疑問が、背筋を駆け上がった。
あの最後の晩餐。
あの料理の食材は、まともだった。普通の、スーパーで売っているような食材の味がした。
でも、彼女は買い物をしない。
じゃあ、あの食材は、一体どこから来たんだ?
俺は、まるで何かに導かれるように、スマホを手に取った。
履歴の奥底に眠っていた『降霊マッチング【コクリ】』のアイコン。もう二度と起動することはないと思っていたそれに、震える指で触れる。
アプリは、まだ生きていた。
『マッチングは終了しました』という無機質なメッセージが表示されている。
だが、その下に、小さなボタンが一つだけ残されていた。
【最後の質問】
押すな。絶対に、押してはいけない。
頭の中の警報がガンガン鳴り響く。これ以上、あの世界の理不尽に触れるべきじゃない。
だが、俺の指は、意思に反してそのボタンをタップしていた。
画面が切り替わり、一枚の画像が表示される。
それは、俺のスマホのカメラが起動し、インカメラで俺の顔を映し出しているようだった。
そして、その画面の隅に、半透明の彼女の姿が、ぼんやりと浮かび上がった。
最後の別れの時と同じ、儚い姿。
画面の下には、文字入力のウィンドウが開いている。
これが、本当に最後のコミュニケーション。
俺は、ごくりと唾を飲み込み、震える指で文字を打ち込んだ。
『あの日の食材は、どこから?』
送信ボタンを押す。
すると、画面の中の彼女が、ゆっくりとこちらに指をさした。
いや、違う。俺じゃない。俺の背後。
俺の部屋にある、あの家族写真を。
指先が、写真の中の人物たちを、ゆっくりとなぞっていく。
父。母。姉。弟。
「……え?」
意味が、分からない。
まさか。まさか、そんな。
俺の家族は、みんな元気なはずだ。昨日も、母さんから「ちゃんと食べてるの?」ってLINEが来ていた。
俺は、必死に頭を働かせた。そうだ、彼女は言葉を厳密に解釈する。きっと、何か別の意味があるはずだ。
例えば、「あなたの家族が買ってくれたお金で、私が食材を召喚しました」とか。そういう、平和的な解釈が……。
俺は、最後の望みをかけて、もう一度文字を打ち込んだ。
『まさか。俺の、家族を、手に掛けたのか?』
送信した瞬間、後悔した。
聞くべきではなかった。知ってはいけない真実だった。
画面の中の、半透明の彼女が、俺をじっと見つめている。
その表情は、やはり何も読み取れない。
だが、俺が育ててしまった「心」を持つ彼女は、最後の最後に、俺の質問に、嘘偽りなく答える義務があった。
彼女は、ゆっくりと、そして、はっきりと。
こくり。
と、頷いた。
次の瞬間、俺のスマホがけたたましく鳴り響いた。
画面に表示された着信名は、『110番』。
俺は、その着信に出ることができなかった。
ただ、床にへたり込み、意味もなく自分の両手を見つめる。
この手で、俺は食べたのだ。
父を。母を。姉を。弟を。
俺が「美味しい」と言ったから。
俺を喜ばせるために、最高の彼女が、最高の食材を、用意してくれたのだ。
『あなたにぴったりのパートナーを“呼び出し”ます』
アプリの説明文が、脳裏で嘲笑うようにリフレインする。
ああ、そうか。
俺は、ただ彼女が欲しかっただけじゃない。
心のどこかで、面倒な家族のしがらみから解放されたいと、願ってしまっていたのかもしれない。
だから、彼女は俺の深層心理にある、最も汚れた『願い』まで、完璧に叶えてくれたんだ。
俺は、もう二度と、誰のことも、何も、「美味しい」なんて言えないだろう。
がらんとした部屋で、俺は一人、静かに壊れていった。
彼女は、こくりと頷くだけ 志乃原七海 @09093495732p
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