11-4
夕映のことを忘れたふりをしようと思ったのは、病室で目を覚ました俺に、両親が会いにきてくれた時だ。
このまま、何事もなかったかのように夕映と接することだってできた。けれど、それだと今までと変わらない。記憶を失い続ける彼女が前を向いてくれるように、俺のほうから何かアクションを起こさなければと思った。俺が事故に遭ったこともきっと何か意味があったんだ。そう信じて、事故で頭を打ったことを逆手にとって、彼女のことを忘れたふりをすることに決めた。
どうしてそんな回りくどいことをしたか——それは、たとえ記憶を失っても、未来は、思い出は、何度でもつくりなおせるということを証明するためだ。
そのためにあえて俺のほうが夕映を忘れたことにする。
それでも夕映と再び向き合って、二人で未来を選んでいけるのだと教えてあげたかった。
きみがこの先、何度記憶を失っても人生に絶望しなくて済むように。
俺がきみの隣で何度でも歩くべき道を指し示すから。
そのことを分かってほしくて、夕映に過酷な試練を与えてしまった。
後でお見舞いに来てくれた澪にだけは、このことを伝えておいた。
中学時代の記憶を思い出した俺は、中学生の時に澪が俺に告白をしてくれたことももちろん思い出していた。そして彼女を振ったことも。だから多少の気まずさはあったし、また澪を傷つけるかもしれないとちょっぴり怖くもあった。けれど澪は俺の夕映に対する想いを聞いたあと、「仕方ないわね」と強がって笑う。
「そんな作戦上手くいくか分かんないけど、生温かい目で見守ってあげるわ」
泣いているような、怒っているような、けれどやっぱり笑いながら彼女が答えた。
そんな澪に感謝しつつ、夕映にまた短歌をつくるように促した。夕映も少しずつまた俺と打ち解けてくれて、前向きに短歌を考えてくれるようになって、嬉しかった。
でも、ある日突然、彼女は俺の元に来なくなった。なんとなく察しはついた。たぶん彼女は、俺との思い出を——おそらく、潮風園芸公園に行った日のことを忘れてしまったんだろう。
俺の胸に鈍い痛みと絶望が襲いくる。彼女のことで、彼女以上に辛いと思わないようにしようと思っていたのに、実際に彼女から俺との思い出がひとつ消えてしまったことを知って、想像以上にショックを受けていた。が、夕映のほうが絶対にダメージを受けていることは、退院日にも顔を見せてくれないことからして明らかだった。
このまま夕映は俺から離れていくんだろうか。
夕映のこと、忘れたなんてつまらない嘘をつかなければよかったんだろうか。
分からない。でも今自分にできることは、彼女がまた俺の元に戻ってきてくれるのを祈ることだけだった。
久しぶりに登校した学校から帰るとき、やっぱり夕映は保健室にも来てくれなかったな、と落胆していた。仕方ないよな。だって忘れちまったんだ。俺と思い出を。もしかしたら全部、忘れてしまったのかもしれない。夕映と過ごした時間はせいぜい二ヶ月弱だ。その二ヶ月間の全ての記憶が消えてしまったなら、彼女の中から俺はいなくなったも同義だ。
もう、夕映とは一生話せないのかもしれない。
暗い気持ちに襲われながら、校門の前で母親の車に乗り込んだ時だ。
「瑠伊!」
声が聞こえた。
間違いなく、夕映の声だった。
はっと顔を上げて後部座席から窓の外を見ると、こちらへ駆けてくる彼女の姿が見えた。もうほとんど反射的に手が伸びていた。車のドアを開けて、彼女と対峙する。
「瑠伊、どうしても話がしたい。今から話せない?」
切実さを孕んだ声が俺の耳に響く。俺は咄嗟に、母親に夕映を乗せてもいいかと聞いた。母親は快くOKしてくれて、彼女を招き入れる。
「話そう。真白湖でもいい?」
「う、うんっ。お願いします」
強張っていた彼女の表情が途端にやわらかくなり、西日が彼女の頬を照らす。
俺と夕映を乗せた車がそこからゆっくりと発車したのだった。
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