11-2
出口の見えないトンネルを一人きりで歩いているようだった。
結局推薦で東京の有名私立高校に行くことは諦め、地元の公立高校へと進学した。幸い中学から一緒のメンバーは数えるほどしかおらず、俺をいじめていたやつらとは離れることができた。……とはいえ、記憶を失っている俺は、その「俺をいじめていたやつら」が誰なのか自分では分からなくて、幼馴染の向井澪から聞いただけだ。
この先の高校生活でもまた差別をされるのかもしれない。中学の記憶は抜け落ちていたが、差別をされたという心の痛みだけは健在だった。小学校の時も軽い差別を受けたことがある。高校でもまた同じことの繰り返しになったらどうしよう——臆病な俺は高校生になって教室に行くことができず、保健室に通うことになった。
澪から時々LINEで「大丈夫?」と連絡を受けたが、俺はひたすら「大丈夫」とそっけなく返すだけだった。他人に気を遣う余裕がなかったとはいえ、心配してくれる彼女に対して失礼な態度だったと思う。澪は「そう」と、まだ心配そうな返信を寄越すのだけれど、俺の様子を見に保健室に来るようなことはなかった。きっと彼女にも思うところがあったのだろう。彼女の不器用なやさしさが、その時の俺にはありがたかった。
そして、忘れもしない五月三十日のこと。
俺はSNSで記憶障害に悩む女の子——夕映のつぶやきを目にする。
当時俺はSNS上では明るく振る舞っていた。そもそも、本来の自分は結構お調子者なところがあって、いじめのことがなければ飄々と生きているような人間だった。だから中学時代の記憶を失った俺は、ただ目の前の日々を脳天気に消費していこうと思っていたのだ。
【怖い。私、記憶喪失になっちゃったみたい。でもあまりに特殊すぎて、親にも相談できない。明日が来るのが怖い。また大切な記憶を失くしちゃうから】
胸のうちを晒すその投稿を見て、自分の今の気持ちを言い当てられたようだと感じた。
誰にも相談できない辛さ、明日が来るのが怖いと思う気持ち。記憶を失くしてから、人知れず悩んでいたことを、彼女の投稿が俺に気づかせてくれるようだった。
気がつけば指が勝手に動いて、返信を打っていた。
【初めまして。突然のリプ失礼します。俺も、同じ記憶喪失の症状に悩まされている者です。辛いですよね。自分が過去に何をしたのか分からなくなるのって。俺でよければ、話聞きますよ】
俺でよければ話を聞きますよ、なんて気障なセリフを吐いたけれど、本当は逆だった。
俺が話を聞いてほしかった。
誰でもいいから、俺の過去を知らない誰かに、俺と痛みを共有できる誰かに、ぶちまけてしまいたかった。
突然リプなんかして変に思われないだろうか、不快だと思われたら大人しく引き下がろう——そう考えていたのだが。
【初めまして。リプありがとうございます。自分だけが悩んでいると感じていたので、共感していただけてとても嬉しいです】
彼女からきた返信に、ドクンと一回、大きく心臓が跳ねた。
ああ、やっとだ。
やっと俺は誰かに悩みを打ち明けられる。
家族にも、小学校からの友人にも誰にも言えなかったことを、この人になら話すことができるのだと安心した。
それから俺は、その「ゆえ」というアカウントの彼女と友達になったのだ。
初めて彼女と対面した時には心底驚いた。
実はSNSで約束をして会う以前に、一度真白湖で彼女と少し会話をしたことがあったのだ。SNSのつぶやきの雰囲気からして、もしかしたらあの時に真白湖で出会った彼女かもしれないと野生の勘がはたらいたのだ。カマをかけてみたら本当にあの時の子だった。制服も、俺が通っている学校、長良高校のもので、同じ学校に通う同級生の子だと分かった時は舞い上がりそうになった。だけど、俺のほうは私服だったし、保健室登校をしているということが情けなくて、瞬時に同じ学校だとは打ち明けられなかった。
綿雪夕映という美しい名前の彼女は、ぱっと見明るくて教室ではクラスの中心にいてもおかしくないような可愛らしい見た目をしているのに、纏っているオーラはどこか悲しげだった。だから俺は彼女を見た瞬間に、SNSでつぶやいていた悩みが本当なのだと実感する。
俺は、本来の明るくお調子者の自分を演じながら、彼女に自分の記憶喪失について伝えた。友達がいなくてまいってると言うと、彼女はほっとしたような顔つきになった。
ああ、同じなんだなと分かって、嬉しくなった。
それから夕映が打ち明けてくれたのは、想像もしていなかった彼女の記憶喪失の症状だ。俺とは違い、過去の記憶がランダムに失われて、代わりに未来の記憶が見えるという特殊な症状に悩まされていた。最初話を聞いたときには、にわかには信じがたい話だと思ったが、真剣に語る彼女を見て嘘をついているのではないと分かった。それに、症状は違えど、同じ記憶喪失という悩みを抱えている彼女の胸の痛みを否定するようなことは言いたくなかった。出会ってすぐなのは間違いないけれど、俺には彼女と自分に通ずるところがあると感じたんだ。
その後、俺は彼女に記憶障害のことを家族に打ち明けて、病院に行くように促した。彼女の場合、過去に大震災に見舞われて親友の優奈を失ったことが特殊な記憶喪失の原因だと分かった。
俺は、記憶喪失に悩む彼女に、テスト勉強を一緒にしようと誘った。それから、テストが終わったらデートをしたいと持ちかけた。名目上は同じ痛みを分かち合える者同士協力していこうぜ! という雰囲気を醸し出していたが、単に彼女ともっとお近づきになりたかったのだ。
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