5-3

「瑠伊は絵を描く人だもんね。でもどうして、コンクールに? 趣味でも描こうと思えば描けるでしょ?」


 純粋な疑問をぶつけた。コンクールに出さなくたって、描きたいものを描けばいいんじゃないだろうか。現に、真白湖で初めて彼を見かけたとき、瑠伊は真白湖の風景を描いていた。


「理由は、一つしかない。夕映と、二人で一つの作品を作りたいから」


「私と……?」


 意外な理由に目を剥いた。心臓の鼓動が早鐘のように鳴り響く。

 私と瑠伊が二人で一つの作品を作る。そんなこと、うまくできるのだろうか。不安で仕方がない。でも、瑠伊のまっすぐな瞳に射抜かれて、気持ちは確かに彼と一のものを作りたいと叫んでいた。


「夕映と俺、どっちも違うかたちで記憶を失ってる。欠陥だらけの俺たちだけどさ、二人なら強くなれると思うんだ。それにほら、このテーマ見て」


 瑠伊の視線を追うようにして、短歌絵画コンクールのテーマが書かれている箇所に視線を落とす。


「テーマは『未来』……」


 未来、という単語に胸が震えた。

 まさにいま、私の頭を悩ませる未来の記憶のことがぶわりと湧き上がってきて鳥肌が立つ。ゆっくりと瑠伊に視線を戻すと、「どう?」と彼の紺碧色の瞳が訴えかけてきた。


「俺たちにぴったりだと思わない? 未来ってさ、俺たちで描けるものだろ。過去の記憶がなくても、俺は絵を描くことで未来をつくれる。夕映も、失った過去の記憶の代わりに、未来をつくってみないか。その、俺と一緒に」


 最後の言葉は、どこか緊張を帯びているかのように揺れていた。聞く人が聞けばプロポーズのように聞こえるそのセリフを、瑠伊は一生懸命私に伝えてくれた。だから私も——私も、瑠伊の気持ちを真正面から受け取る。


「うん、つくりたい。私も、未来を自分で選びたい」


 記憶障害になってから、未来の記憶を見るのが怖かった。

 だけど、この間瑠伊と一緒に優奈の家を訪ねて分かったことは、未来は自分で選ぶことができるということだ。逃げるのも立ち向かうのも、自分の選択次第。どんな未来が訪れるのか確証はないけれど、自分の行動によって、良くも悪くも変えられるものなんだ。


 決意した私の言葉を聞いた瑠伊の瞳が、ぱっと大きく膨らんで、やがてやわらかく細められた。


「ありがとう。じゃあ、決まりだな」


 朗らかな彼の声がすとんと胸に落ちる。


「うん。よろしくお願いします」


 短歌絵画コンクール。初めて挑戦するものだけど、瑠伊と一緒なら不思議と勇気が湧いた。


「そうと決まれば、まずは絵を描く場所に行かないとな」


「どこかあてはあるの?」


「それなんだけどさ、前にテストが終わったら行こうぜって言ってた公園があるだろ?」


 瑠伊にそう聞かれて記憶を手繰り寄せる。

 そうだ。テスト勉強に必死になりすぎてすっかり忘れていた。


「潮風園芸公園?」


「そうそう、そこ。デート、行ってくれる約束したよな?」


「う、うん」


 改めてデート、と言われるとなんだか背中がこそばゆい。見ると、瑠伊も耳を赤らめていた。


「さっそく今度の日曜日とかどう? 何か予定ある?」


「いや、大丈夫。日曜日にしよう」


「よし! じゃあ、決まりだな」


 彼がスマホの画面を切り替えて、カレンダーアプリを開く。そこに、「デート」とでも打ち込んでいるのか、真剣な面持ちで画面の上で指を滑らせていた。


「カレンダー使ってるんだ」


「え? ああ。夕映は使わないの?」


「大した予定がないから、特に使ってなかった」


「そうか。便利だぞ。特に夕映、記憶が抜けちゃうことあるなら、使ってみたら? 日記をつけるのもよさそうだぞ」


「日記……か」


 言われてみれば確かにそうかもしれない。カレンダーアプリより、日記のほうがより詳細に日々の出来事を残せそう。


「やってみようかな、日記。慣れないけど」


「おう。夕映の日記を俺で埋め尽くしてやるからな」


「……っ!」


 恥ずかしいことを臆面もなくさらりと言ってのけるものだから、びっくりして戸惑った。遅れてやってくるドキドキッという鼓動に、正気を保っていられなくなる。


「もう、瑠伊のばか……」


 初めて彼のことがちょっと小憎らしいと思った。けれどそれはもちろん、「好き」の裏返しであって……。

 ……って私、いま何を考えたの!?


 一人でわたわたと慌てふためく私に、彼はきょとんとした顔で頭上に「?」を浮かべている。

 

「と、とにかく日曜日ね! 忘れないでね」


「それは俺のセリフだって」


 くつくつと笑う彼に、私はぷうと頬を膨らませる。

 つい一ヶ月前まで、友達をつくらないと固く誓っていたはずなのに。今や、すっかり冗談を言い合える友達ができている。しかも異性の。人生、何が起こるか分からないものだ。

 

 吹き始めたばかりの夏の風が、庭園の草木を揺らし、私たちの頬を撫でる。生温かいそれは、くすんでいた私の胸の中のもやを振り払うみたいに、颯爽と吹き去っていった。


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