5-2

「夕映が言いたいこと、なんとなく分かるよ。小学生の頃から一緒の友達がいるなら、保健室登校じゃなくてもいいんじゃないかって言いたいんだろ」


 心の中を言い当てられて、先ほどひりついた胸がさらにやけどしたみたいに痛かった。


「俺のことをまったく知らない人間と、小学生の俺のことも中学生の俺のことも、全部知ってる人間のどっちが怖いかって話だよな」


「どっちが……」


 彼の言葉に、思わず飼い主に叱られた子犬のように黙り込んだ。

 そっか。そうだよね……。

 怖いよね、だって自分のことを知っていてくれている人との思い出が一部分、抜け落ちてるんだもの。私だったらその人とまともに顔を合わせられないだろう。

 だから瑠伊は保健室登校をしているのだ。


「……とまあ、ちょっと暗い感じの話になっちゃったけどさ、今のこの通学スタイルはそれなりに気に入ってるんだ。いずれは俺も、教室に戻らなくちゃいけないって分かってるんだけどな」


「そっか。私は、瑠伊が良いと思える方法で学校に通うのがいちばんだと思う」


 そっと答えると、瑠伊は安心したようにほっと息を吐いた。


「ありがとうな。じつはちょっと、夕映に本当のことを伝えるのが怖かったんだ。いや、怖いというより恥ずかしかった。だからわざわざいつも私服に着替えてから待ち合わせ場所に行ってたし、もう少しの間、バレないと思ってたんだ。まあ、あっけなくバレちまったんだけどなあ」


 くつくつと笑う彼は、いつもの朗らかな瑠伊そのものだった。

 もし彼が教室に登校していれば、クラスで人気者になるだろう。だって瑠伊はSNSでも明るいし、弱音も吐かない。記憶がなくなっていることなんて微塵も感じさせないぐらい爽やかな少年だ。

 私とはちがう。瑠伊にはきっと、教室にも居場所がある。だから今の状況はちょっともったいないとも思う。


「私は、誰にも言わないから安心して」


 瑠伊が保健室に登校していること。

 瑠伊のことを知ってる向井さんにも、他の誰にも、簡単に彼のプライバシーについて触れたりしない。


「私がきみの居場所を守るよ」


 気がつけば、頭で考えていたことが口から漏れていて、はっと口を噤む。

 私いま、なんて恥ずかしいことを……。

 顔が、耳までカッと熱くなりちらりと窺うようにして彼の目を控えめに見つめる。瑠伊は目を大きく見開いて、それから照れたように頭を掻いた。


「本当にありがとうな。夕映」


 考えてみれば、こんなふうに同じ学校で彼と話せることが幸せでたまらない。

 私、瑠伊とこれから学校の外じゃなくても会えるんだ。

 もちろん、彼はあまり校舎の中でうろうろしたくないだろうから、私が保健室に訪ねるかたちにはなると思う。でも、塞ぎ込んでいた私を励まし、勇気づけてくれた人がすぐ近くにいると分かって心の底から嬉しかった。


「あのさ、夕映。ちょっとお願いがあるんだ」


「お願い? なに?」


 改まった表情で背筋をピシッと伸ばして言葉を発する彼に、私は首を傾げる。


「これなんだけど、一緒に、やってみない?」


 彼が「これ」と言って私に見せてきたのはスマホの画面だ。じっと目を凝らしてみると、そこには『短歌絵画コンクール』という大きなタイトルがあった。


「短歌絵画コンクール……?」


「ああ。俳句や短歌、詩集に強い出版社と、旅行会社がタイアップしてやってるんだって。『あなたのおすすめの場所や好きな場所の絵を描いて、その絵にぴったりな短歌を詠んで応募してください』って書いてあるだろ」


「本当だ」


 彼がスクロールする指先の文字を目で追いながら、コンクールの主旨を眺める。


「夕映って、前にSNSで『小説が書けない』って嘆いてなかった? 小説書く人なんだって感心した記憶があるんだ」


「あ……うん。たしかに、つぶやいたことある」


 驚いた。たった一度だけ投稿しただけの内容を、彼が覚えていてくれたなんて。

 私は中学生の頃、優奈と一緒に文芸部に所属していた。小説を読むのも書くのも好きで、将来は小説家に……なんて、ほんのりと考えていたこともあった。

 でも、優奈が亡くなって、さらに記憶まで消えるようになってからは、一度も小説らしいものを書いていない。書こうとしても、設定を考えている時点で記憶がなくなったらもう書けないんじゃないかという恐怖に駆られるから。


「だろ? 小説じゃなくて短歌だけど、短歌なら短いし、設定を忘れちゃうみたいなこともないんじゃないかって思って。俺はさ、絵を描きたいんだ。なんか、そうしないといけないような気がして。なんだろう……記憶を失くした俺が唯一、昔のように頑張れることだからかな」


 瑠伊の気持ちは痛いほどよく分かる。記憶を失って、自分のことまで見失いそうになって。そんな中、これまでの自分がやっていたことを続けられるなら、元の自分のアイデンティティを守れるんじゃないかって思う気持ち。瑠伊はきっと、自分を守りたいんだ。


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