3-4
【今日、病院に行ってきたよ。放課後、よかったら会えない?】
遅れて行った学校で、五時間目と六時間目の合間の休み時間に、瑠伊にLINEを送った。
どこからか視線を感じると思ってふと顔を上げると、教室の真ん中の席で向井さんが友達と話しながら、横目で私の方を見ているのが分かった。さっと彼女から視線を逸らす。昨日、彼女に瑠伊のことを聞かれたり、ネットの友達について馬鹿にされたりしたときの嫌な気持ちがまだ、お腹の中にこびりついていて離れない。
向井さんとはできるだけ関わりたくないな……。
無意識のうちに、彼女の視線を避けようとしている自分がいた。
再びスマホに視線を落とすと、早速瑠伊から返信が来ていた。
【了解。待ってる】
待ってる、という一言に、胸がキュンと跳ねたのはきっと気のせいじゃない。
待っててくれるんだ。
こんな私でも必要としてくれる人がいるのだと思うと、泣きたいほど嬉しかった。
放課後、雨上がりの空の下、いつものように自転車を漕いで真白湖までの道を急ぐ。昨日とは違って足取りが軽い。心なしか、ペダルも軽く感じられて苦笑する。そんなはずないのに。ただ瑠伊と会えるというだけで心が躍っているせいだ。
「遅くなってごめんね」
瑠伊は先に湖畔で待っていてくれた。昨日と同じ私服姿だった。学校終わりに家で着替える時間があったということは、私よりも近くの学校に通っているのかもしれない。私を見つけた彼は子犬のように屈託のない笑顔を浮かべて大きく手を振った。
「待ってないよ。ここで湖眺めてるの好きだし」
「そっか。なら良かった」
本当なのかどうかは分からないけれど、彼の優しさをじかに受けてとって、心はほんのりと温もり始める。
「それよりどうだった? 病院」
近くのベンチに腰掛けると、早速瑠伊が本題について切り出した。
「うん、ちゃんと診断してもらったよ」
私は、両親と病院で医者から聞かされた話をそのまま瑠伊に伝えた。
「トラウマやストレスが原因ね。うん、俺とはちょっと違うな」
「そうなの?」
「ああ。俺の場合は頭をぶつけたことが直接の原因だから」
「そうだったんだ……」
瑠伊から記憶喪失の原因について初めて聞かされて、素直に驚いた。
「頭をぶつけたってことは、事故か何か? あ、覚えてないか」
「ん、聞かされた話だと——そうだな。まあ事故みたいなもん」
今、少しだけ彼が渋い顔をして言い淀んだ気がしたのは気のせいだろうか。
だがすぐに「夕映は」と私に話を戻した。
「トラウマが原因ってことは、それがなくなれば治るかもしれないってことだろ?」
「うん、まあそうだね」
「よかったらそのトラウマについて聞いてもいい? 俺も、夕映の記憶が戻るようにできることは協力したいって思ってるから」
「瑠伊……」
瑠伊が協力したいと言ってくれるのはとても嬉しかった。でも、出会ったばかりの彼にトラウマの話をするのは少し憚られる。
私が迷っていると、彼が「あ、ごめん。無神経だったな。嫌なら無理して話さなくてもいいよ」と優しく言ってくれた。だから逆に、彼になら話しても大丈夫かもしれないと思った。
「話すよ、私のこと。聞いてくれる?」
決意した私を見て目を丸くした瑠伊だったが、すぐに優しげに表情を弛緩させる。
「ああ、もちろん」
湖を眺めながら、優奈との思い出を話し始めた。
大丈夫、大丈夫。
何度も自分を鼓舞しながら、優奈と過ごして最高に楽しかった中学時代と、震災に遭って彼女を失ったことをゆっくりと言葉にして紡いでいく。今でも目を逸らしたくなる過去。言葉にして語るのには胸に鋭い痛みが何度も駆け抜けた。
でも、瑠伊は私の話を聞いて、一度も笑ったり嘘だろうと疑ったりすることはなかった。
私の気持ちに寄り添うように、「うんうん」「それは……」「つらかったな」と逐一相槌を打って、緊張をほぐしてくれた。彼が頷いてくれるたび、私の胸に刺さっていた棘が、一つずつ抜けていく。
「……だから私、もう二度と友達はつくらないって決めてたの。でも、瑠伊とはもう一度、友達になりたいって思ったんだ」
彼の目がはっと大きく見開かれていく。
真白湖に降り立つ鳥が、水面に足を滑らせて波紋をつくるのを見ながら、さらに言葉を紡ぐ。
「同じ痛みを分け合えるあなたとなら、私、変われる気がしたから」
嘘じゃない。
きみに会えて、私は少しだけ、前を向けているような気がする。出会ったのは昨日で、たった二回しか顔を合わせてないはずなのに。ここまで彼に心を開けているのは本当に自分でも不思議なのだけれど。
でもやっぱり、この真白湖で出会ったきみに、どうしようもなく惹かれている自分がいるんだ——。
「夕映……」
雨上がりの空は曇天のままで、だけど時々雲の切れ間から覗く陽光はやっぱり美しい。
「俺、夕映に出会えて良かったよ」
ふっと頬を緩めて笑う、きみの笑顔がまぶしすぎて。
今まで、ひとりきりで膝を抱えて塞ぎ込んでいた日々の暗い記憶が、嘘のように消えていくようだった。
「私も」
こんなふうに、素直に、他人と心をつき合わすことができたのはいつぶりだろう。
中学一年生の教室で、優奈と出会った頃以来かもしれない。
「夕映、あのさ。期末テストが終わったら、俺と遊びに行かない? あと、それまでテスト勉強一緒にしたりさ、つまりその……もっと、夕映と一緒に過ごしたい。ダメ、か?」
瑠伊の提案に、驚かなかったかと言われれば、答えはNOだ。
心底びっくりした。でも同時に、ドクッドクッと心臓の動きがどんどん速くなるのを感じて、顔が熱くなる。
私いま、さらっとデートに誘われた……?
初めてできた男の子の友達と、デート……。
しかも学校の外で出会った人だ。こんなこと、今まで一度もなかった。ふだん、同じ枠の中で過ごしている人じゃない。それってなんか、すごく、ドキドキする。
それでいて、めちゃくちゃ……嬉しい。
頬や耳が赤くなっていないか、気になって仕方がない。
私は、瑠伊の紺碧色の瞳を見つめながら、「うん」と頷いた。
「よっしゃー! 嬉しい〜! ありがとう、夕映」
素直な気持ちを隠すことなく全力でガッツポーズをする瑠伊がおかしくて、思わずふふっと笑みがこぼれる。
私とデートに行くことを、そんなに喜んでくれるなんて。
自分という存在を肯定してもらえているようで、胸が温かくなった。
「夕映、どっか行きたいところある?」
「うーん、そうだね……」
じっくりと考えて、思いついたところがあった。
「
潮風園芸公園は、私の住んでいる県にある随一の大型公園だ。
海沿いにあるので、“潮風”という名前がついている。その名の通りたくさんの花が見られることで有名らしい。
「おお、いいね! 俺も最近行ってなかったからちょうど良いかも」
瑠伊はすぐに賛同してくれた。提案して良かった、とほっとする。
「じゃあ、夕映とのデートを楽しみに、テストも頑張らねえとな。いや、頑張れそうだ!」
元気に声を上げる瑠伊を見ていると、自分と彼が記憶障害を抱えていることなんて、忘れそうになる。
「うん、一緒に頑張ろう」
高校に入ってから、こんなふうに喜びや痛みを分け合える人物に出会えるなんて思ってもみなかった。ふと、これは優奈への裏切りなのではないかという小さな罪悪感のようなものが芽生える。
違う、優奈のこと、忘れたわけじゃないもん。
優奈はずっと私の胸の中で生きているんだから……。
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