第四章 未来の記憶

4-1

 翌日から、宣言通り放課後に瑠伊とテスト勉強をすることになった。

 待ち合わせ場所にしていたのは、私たちの町の図書館。こじんまりとしていてそれほど大きくはないが、自習室が備えられているので、気兼ねなく勉強できる。

 瑠伊はいつも通り、私服姿で図書館に来ていた。


「遅れてごめん、待った?」


「いや、今来たところだから大丈夫。早く入ろうぜ」


 図書館前で落ち合った私たちは二人で並んですっと中へ入る。瑠伊と出会ってまだ三日目なのに、自然と彼の隣を歩いていることに私がいちばん驚いていた。


「瑠伊の学校って、期末テストどんな感じ? いつテスト?」

 

 自習室の大きなテーブル席についた私たちは早速参考書類を広げ始める。


「テストは——六月二十五、二十六、二十七日」


「え、そうなんだ。じゃあ私の学校と同じ」


 偶然だね、と笑うと、彼はぴくんと肩を揺らして、「そうみたいだな」と曖昧に微笑んだ。

 期末テストの日程なんてほとんどの学校で同じようなものだし、丸かぶりしていてもまったく不思議ではない。これなら、どちらかが先にテスト勉強から解放されるということもないし、最後まで一緒に勉強できそう——って私、瑠伊とテスト直前までずっと一緒に勉強しようって考えてない!? さすがにずっとは……彼だって迷惑なんじゃないか。

 

「どうしたの、夕映」


「な、なんでもない!」

 

 心の中で考えていたことを見透かされたような心地がして、しゅんと身体を縮こませる。

 今はとにかく目の前に勉強を頑張らないと!


 まずは数学ⅠAから。期末テストの範囲は主に図形と確率だ。どっちもひらめきタイプの問題が多いので私にとっては苦手な範囲。聞けば、瑠伊も同じ範囲らしい。


「俺、数学は比較的得意だから任せて」


 ドーンと胸を張って答えてくれた瑠伊が頼もしく、きらきらと輝いて見えた。

 彼が言う通り、瑠伊は数学が得意だった。

 分からないところを教えてもらうとき、こう言っちゃなんだが、学校の先生より分かりやすくて驚く。


「瑠伊、すごいね。勉強得意なんだ」


「全部得意ってわけじゃねえよ。数学はなんか、パズルみたいで楽しいから、家で趣味で解いたりしてる」


「え、趣味で……? うわ、それは変わってる。変態だー……」


「おい、変態って言うな!」


「ふふ、ごめんごめん。でも、すごい趣味だね。心強いよ」


「こんな趣味でも、夕映の役に立てるなら嬉しい」


 私にはその気持ちが嬉しいよ。

 瑠伊みたいに素直に口に出しては言えないけれど、心の中でそっとつぶやく。


「あれ、ここ……」


 数学の問題集を解いていた手が止まったのはその時だった。

 箱の中から一つずつ色違いの玉を取り出して並べる問題。

 “赤と青の玉が両端にある並べ方は何通りか。またその確率を求めよ”という問いに、目が眩んだ。


「どうした?」


 突如動きを止めた私を不審に思ったのか、瑠伊が私の顔を覗き込む。


「これ、一週間前ぐらいに習った問題……のはずなのに、思い出せない……」


「思い出せない? 復習してないと忘れても仕方ないんじゃない?」


「いや、そうじゃなくて……。復習をした記憶はちゃんとあるの。なのに、習った時の記憶がなくて……。復習した内容まで思い出せない。どうやって解くの……?」


 そんなに難しい問いではないはずなのに、考えれば考えるほど、頭に熱が上っていくようにくらくらとめまいがした。


「夕映っ!」


 図書館にふさわしくない、瑠伊の鋭い声が響く。


 やだ、まただ。

 また、アレが起きる。

 パチパチパチッ、と目の前の光景が白く飛んで、一つの映像が流れ始めた。



『優奈が死んだのは、夕映ちゃんのせいだわ』


 

 薄暗い部屋の中で、優奈のお母さん両手で顔を覆って泣いている。お坊さんがお経を読む声が嫌に大きく響く。これは……一周忌の記憶? 優奈が震災で亡くなったのは一年前の六月十六日。ということは、もし私が一周忌の法要に弔問に行けば、優奈のお母さんから責められる——。


 ズキンという胸の痛みを感じて、そこで映像が弾け飛ぶ。


「ハァ……ハァ……」


 気がつけば荒い息が口からも鼻からも漏れて、心配そうな瑠伊の顔がすぐそばまで迫っていた。


「夕映、大丈夫か……? うなされてるみたいだったけど」


「ごめん……。いま、未来の記憶が見えた」


「え!? 未来の記憶って、例の?」


「うん……。優奈の弔問に行ったら、おばさんに怒られちゃった。『優奈が死んだのは、夕映ちゃんのせいだ』って」


「そんな、ひでえ……」


 瑠伊がびっくりしたように目を丸くして、それから悲痛な声を上げた。


「で、でも! 絶対に訪れる未来じゃ、ないから」


「それでも、そんな悲しい未来の可能性の映像なんて見ちまったら、苦しいよな」


 瑠伊の声が、萎れた花のように切なく胸に響く。

 ああ、私。だめだな……瑠伊に、たった一人の友達に、こんな顔させるなんて。

 出会ったばかりの彼に、これ以上心配はかけたくない。


「だ、大丈夫。ごめん、突然だったから取り乱しただけっ」


「さ、この問題教えて!」と気を取り直したふうを装って彼に聞いた。でも、瑠伊は私の頼みには首を縦に振らずに、真剣なまなざしで私を見つめ返す。

 そんな顔されたら……動けなくなるよ。

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