メイビー・ヒューマン

蒔文歩

メイビー・ヒューマン

君は、もう人間じゃない。


三重苦、手足の神経障害、発達障害、他臓器機能の麻痺。

それらの症状を全て背負って来た患者がいる。彼は、十二歳の少年だった。

「こんにちは。本日が、初めての来院ですか?」

「………」

「す、すみません。この子、耳が聞こえなくて。」

少年は、美しかった。幼い顔つきと大きな目が特徴的だ。だけど、肝心な瞳は空っぽで、何もない壁をただずっと眺めている。盲目なのだ。

「構いません。それで、要件とは。」

「………この子の。」

母親が、少し戸惑ってから告げた。

「この子の体の、全身移植をお願いしたいのです。」


まあ、色々な場所で機械化が進められてきた。農業や工業、労働力まで機械で代替できる時代になって。移植用の臓器までもが、ロボット機械で作れるようになった。

臓器移植には、さまざまな障壁がある。人間の臓器であれば、当然拒否反応が出るものもある。ドナーが見つかるまで数年、数十年単位で待ち続け、気がつけば病状は取り返しのつかないくらい悪化している。そんな患者を、何人も見てきた。

ロボット臓器の開発によって、その障壁はぐんと低くなった。個人で適応する臓器を開発することができ、問題はお金だけ。金銭面の問題がクリアできれば、誰でも臓器の移植をできる時代になった。

「お金ならあります。どうか、息子の体に、臓器を移植してください!」

母親は懇願し、深々と頭を下げた。息子の方は、さっきと変わらない無表情。

「………わかりました。では、入院と手術の手続きを行いましょう。」


一回目:両腕

少年は起き上がって、目を大きく見開いた。感触を確かめるかのように、ロボット義手を上下に動かしている。拳を作って、手のひらを出して。声は出さないものの、太陽のような笑みを浮かべていた。初めて見る笑顔だった。

「先生、本当に、ありがとうございました………!」

母親は、狂ったように涙を流し、感謝を口にした。私も喜びを隠せない。

「次は、脚ですね。」


二回目:両脚

移植は、何の問題もなく成功。ベッドから降りた瞬間、弾みで転んでしまったらしい。私が起こそうとすると、彼は「大丈夫」と言わんばかりに首を振った。どうしても、自分の足で歩きたかったのだ。………楽しそう。ただ、歩いているだけなのに。


ここまでは、ロボット臓器に抵抗が現れないか調べる準備期間とも言える。次からは、移植の難度が一気に高くなる。


三回目:眼球

「見えますか?」

耳の器官の移植はまだだから、会話はできないけれど。少年は初めて私の目を見て、こくりと頷いた。ほっと胸を撫で下ろした。眼球は繊細だ。移植の難度も、手足と比べて段違いに高い。

手術は三週間に三回、連続で続いた。私たち医療中医者の休みも少ないが、一番大変なのは、本人だ。移植には、膨大な体力を使うはずなのに。

移植が始まってから、彼はずっと笑顔だった。だから、私も彼の気持ちに応える。


四回目:耳の主要器官

この器官の移植方法が確立されたのは、最近のことだ。もしかしたらこれが、初めての試みかもしれない。

「聴こえる?」

「………う。」

彼が小さな声を出して、頷いた時。その場にいた医療従事者全員が、拳をあげて喜びの声を上げた。彼は初めての音の世界に戸惑っているようだったけど、徐々にその喜びに加わってきた。


移植はこれからも続いた。肺、胃、肝臓などの臓器を順番に移植していき、その期間で、彼は少しずつだけど、言葉を覚えていった。今なら、私と簡単な会話くらいなら難なく交わせるようになった。


「次の日は、心臓の移植ね。体に負担がかかるし、危険な手術でもあるから。体調が悪くなったら、いつでも私に言ってね。」

「………はい。」

おや、と感じた。今まで、移植の前日は決まって嬉しそうな表情をしているのに。今日は何だか、虚ろな目をしている。

「………大丈夫?何か、あった?」

「………せんせい。」

覚えたての、拙い言葉遣い。

「ぼくは、人間ですか?」

急なことだった。喉に潜んでいた心臓が、急な脈撃ちをしたようで、吐きそうになる。

「………え、なに言ってるの?あなたは」

「ぼくに移植しているのは、ロボットの臓器なんでしょう?」

言葉を遮られ、何も言えなくなる。

「この手も、この足も、この目も。全部、ロボットでできているんでしょう?本当のぼくは、動けないし、見えないし、聴こえない。無力な『人間』でした。」

恐ろしかった。私たちが、彼にしてきたこと。彼のためにしてきたこと。否定されたら、終わりだと思った。

「………ぼくは、せんせいに言い切れないほどの感謝をしています。だから、大好きなせんせいを否定したくない。だけど、怖くなったんです。」

「………」

この、手術が終わったら。

君は、君じゃなくなる。


心臓の移植は、無事に終わった。手術が終わっても、彼は笑顔を見せなかった。次が、最後の移植だ。

「………脳の移植で、君の全ての手術は終わり、普通の人間と同じような生活を送ることができます。………ただ。」

脳の移植が、終わったら。避けられない後遺症が残る。

「君は移植を終えたら、これまでの記憶を、全て無くします。」

自分の声が冷静であることに、嫌悪感を覚えた。これは全て、医療従事者側の都合だ。最も危険な脳の移植を最後に行うことで、それまでに受けた簡単な移植手術の費用は確実に受け取れるようにする。そんな、貪欲で醜い都合だ。

「………でも、これで、ぼくは、治るんですね。」

「………はい。」

でも、彼は、私を忘れてしまう。

「怖い。」

「………」

「ぼくは、せんせいを、忘れたくない、けど、普通に生きたい。もう、嫌だ、辛い。ぼくは、これが終わったら、人間じゃ」

その先を聞くのが、嫌だった。だから、ベッドの上の彼を、優しく抱きしめた。

「………大丈夫。」

「………!」

「どんな姿になっても、君は『君』だから。」

そんなこと、思っていない。まだ、答えなんて出ていない。だけど私は、無責任な言葉を並べた。彼は泣いた。私は泣かなかった。ロボットで作られた瞳からも、異常なく涙は流れる。声も出る。


次の日。麻酔を入れて、私は、子守唄を歌った。この唄も、彼はこの手術が終われば、忘れてしまう。これは、ただの私の自己満足だ。

「ありがとう、せんせい。」

これが。最後に聞いた、「彼」の声だった。


季節のない病室の中。カーテンが暴れた。風が強い。柔らかで暴力的な日差しが、じっとりと彼の顔に降りかかっている。

名前を呼んだ。でも、この名前を、彼は覚えていない。


瞼が震えていた。「彼」の瞳が開いて、まもなく涙が流れ出した。



君はもう、人間じゃない。

君を「君」にしたのは、私だった。

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メイビー・ヒューマン 蒔文歩 @Ayumi234

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