第4話 絶体絶命の罠――救世主はポメラニアン?

 

 昼休みが明け、五限の授業が始まっても――教室の空気は鉛のように重かった。

 黒板に走る数式も、教師の声も、誰の耳にも届かない。


 だが、鉛みたいなのは、もしかすると――俺の胸の奥かもしれない。


 生徒たちの関心は、ただ一つ。


『沢井の限定カード盗難事件』だ。


「マジで盗まれたらしいよ」

「ロッカーの鍵とかどうなってたんだ」

「九条じゃね?」


 スマホを覗きながら、憶測と好奇が飛び交う。

 DMで拡散した噂は、もはや生き物だ。

 尾ひれをつけ、真実をねじ曲げながら膨らんでいく。


 ……誰かがこっちを見た。


 ほんの数秒の視線なのに、不快さが肌にまとわりつく。


 気づけば、俺の名前もその渦に巻き込まれていた。


(……面倒なことになったな)


 ため息を噛み殺し、机に肘をついた瞬間――チャイムが鳴る。


 カララ、と扉が開いた。

 担任の志藤先生が現れる。黒縁メガネに柔和な笑み。


 だが今日は違った。

 顔色は悪く、目の下には濃い影。笑みも形だけで、声に張りはない。


 ……疲れている、のか?

 それとも――何かを背負ってる顔のような気もした。



「……皆、落ち着いて聞いてほしい」


 その一言で、教室の空気がぴしりと張り詰める。


「急だが、六限は通常授業を取りやめる。各クラス、ホームルームに切り替えることになった」


「えっ!?」「マジで!?」「何それ……」


 ざわつく生徒たち。

 唐突すぎる対応に、俺の背筋が冷たくなる。


 ――まるで、すべてが仕組まれていたかのように。


 志藤先生はクラス委員に進行を任せると、ゆっくりと俺を見た。

 優しいはずの眼差しが、どこか苦しげに揺れている。



「……九条、悪いが来てくれるか。少し話があってな」


 その声は、教師のそれだった。

 けれど、一瞬だけ――何かを訴えるように、揺れているように感じた。



 その声を合図に、教室の空気が変わった。


 一斉に視線が突き刺さる。


「……九条くんが犯人?」

「やっぱりそうなんじゃ……」


 スマホを握る指がせわしなく動き、噂はさらに肥大化していく。


 志藤先生はもう一人に目を向けた。

 花咲みのり――明るく優しいクラス委員。


「花咲も一緒に来てくれ。沢井の件で……彼を支えてやってほしい」


 みのりは戸惑いながらも、小さく頷いた。


 廊下に出る。向かったのは二年フロア中央のロッカー群。


 そこには、青ざめた沢井と、腕を組む生活指導の松尾先生。

 ――そして、最悪の面子が揃っていた。


 兵頭、安田、赤井。


 ついこの間「制裁」を加えたばかりの不良トリオだ。

 兵頭は、何も言わずに薄く笑っていた。その沈黙が一番いやらしい。



(……そういうことか)


 胸の奥で冷たいものが渦を巻く。

 ――俺に濡れ衣を着せるために仕掛けてきやがったな。


 静かに歯を食いしばり、俺は奴らを睨み返す。



「関係者が揃ったところで……まず事件の経緯を説明しておこう」


 志藤先生が淡々と語り始める。


「昼休み直後、沢井が購買部で限定のカードセットを受け取る。

 その後、彼はロッカーに保管し、施錠して教室に戻った。

 ……だが、昼食後に開けた時には、カードセットは忽然と消えていた」


 張り詰める沈黙。


「その後、五限の授業中にロッカーを調査したところ……九条のロッカーから、破られたカードセットの包装が発見された」


 ……言葉の意味が、すぐには頭に入ってこない。


 一瞬、鼓動の音だけが大きくなった。

 フロアのざわめきが遠のく。 

 まるで俺だけ、別の空間に閉じ込められたみたいだった。


「……くっ!」


 俺は、拳を強く握りしめ、鋭く奴らを睨みつける。


 兵頭は視線だけで勝ち誇り、安田はニヤつき、赤井は鼻で笑う。

 胸の奥で何かが軋む。

 その音に重なるように、奴らの笑いが耳にざらついた。


「さらに兵頭たちは、昼休みに九条がロッカー付近で“挙動不審な様子”だったと証言している」


「……以上が現時点での経緯だ」


 短い沈黙が場を包む。


 それを破るように俺は低く言い放つ。

「……やってねぇ。そいつらが嘘ついてるだけだ」


 だが、兵頭が鼻で笑い、一歩前に出た。

「見てたぜ、九条。お前、ロッカーうろついてただろ。証人は三人もいるぜ」


「証拠も出てんのに往生際わりぃな」

 安田がニヤつき、赤井は鼻で笑う。


 ――揃いも揃って、汚い嘘ばかり。


 頭の中がぐつぐつと煮え立っていく。


「だがな……物的証拠がある。施錠された君のロッカーから、カードの包装が出てきてる」


 生活指導の松尾先生が、冷たい視線でビニールの証拠品を掲げる。


「……これをどう説明する?」


「そいつらが俺のロッカーに仕込んだに決まってる。濡れ衣だ」


「おいおい、俺らがどうやってお前のロッカー開けるんだよ?

 ダイヤル式だぜ? 番号なんか知らねーっての」


 安田が嗤う。


 確かに、解くのは難しい。

 ――それを口にする時点で、お前らが何か仕掛けたんじゃないのか?


「素行も悪い。金に目がくらんだんだろう、九条」


 松尾先生の冷たい言葉に、吐き気が込み上げる。

 大人までもが、不良どもの芝居に踊らされている。


 そのときだった。


「あ、あの……!」


 怯えながら声を上げたのは――花咲みのり。


「話が、九条くんを犯人だと決めつける方向に進んでますけど……

 九条くんの話も、ちゃんと聞くべきじゃないでしょうか?」


 その声は震えていた。

 でも――確かに、場の空気を揺らした。


 かすかな風みたいに、重い沈黙をほんの少しだけ。


 だが――


「ああん、証拠も証言も出揃ってんだよ。なぁ、沢井。お前もそう思うよな?」


 兵頭が横目で合図すると、


 沢井は――震えながらも、頷いた。


 その瞬間、何かが、ゆっくりと崩れていく音がした。


「……は、はい。九条くんに、以前トレカの話をされたことがあります。

 今日の入荷を知ってたと思います……」


 その声は脅された子どものように小さく

 ――それでも、“証言”としては致命的だった。


「……これで決まりだな。九条、職員室へ来い」


 松尾先生の冷たい声が落ちた、その瞬間――



「ちょっと待ってください!」



 透き通るような声が、場の空気を切り裂く。


 全員が振り返る。その視線の先には――


「はぁ、はぁ……っ」


 息を切らせながら駆け込んできたのは、銀髪の少女――白雪ことは。


 そしてその足元には、クリーム色の毛玉――くーちゃん。



「……ふふ! 探偵登場、って感じですね!」


 その瞬間、空気が弾けた。


 張り詰めていた空間に、光が差し込むみたいに。


 ことはは満面の笑みを浮かべて、ビシィッ! と誰もいない空間を指さした。


 ……いや、指さしポーズが絶妙にずれてて決まってないが、勢いだけは完璧だ。


 追い打ちとばかりに、くーちゃんも「きゅーん」と楽しげに鳴いた。


 2人の声が、重かった空気をひっくり返す。


 まだ何もわかっていない。

 だが――ここから逆転が始まる。


 そんな予感だけが、胸に灯っていた。

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