4話 「何かが違う」

 通学路を急いで走って行くと、そこには見知った三人の後ろ姿が目に入った。走りながら近付けば、足音で接近していることに気が付いたのか、三人の内の一人が振り向いた。


「お、来た来た。おっす誠。遅かったな?」


「おはよ、竣也。綾瀬さんも」


「おはよう神代君」


 言うまでもなく竣也と夏蓮、そして愛莉の三人だった。

 誠が竣也と夏蓮の二人にしか挨拶をしなかったので、愛莉は少し不満げに誠に視線を送っているが、誠は愛莉の不満げな表情を特に気にする様子もなく、普通に愛莉の方を向いた。


「おはよ。おまたせ」


 そういえば愛莉にだけは朝の挨拶をしていなかったと思い出し、愛莉に向けても挨拶をする。すると、愛莉は満足げに前を向き直り、夏蓮と隣り合って前へ進んで行く。


 学校に着いてすぐに校庭の使用許可を取り、朝と昼、放課後に軽くではあるが徐々に練習していくことになった。ひとまず今日の朝練習は、運動部が使用していないスペースで、二人三脚の練習をするらしい。


「俺、二人三脚用の紐持って来たぜ! 本番は結んだ足が痛くならないようにマジックテープのバンドらしいけど、とりあえず練習はこれな」


「準備いいね、竣也」


「流石にマジックテープのバンドが手に入らなかったのが非常に悔しい」


 竣也の持って来た紐のおかげで十分な個人練習になり、竣也と夏蓮、誠と愛莉でわかれることになった。


 誠、愛莉グループは、走る前にとりあえず歩く練習からすることになり、互いの片足ずつ合わせて紐を結んでいく。誠としては、この違和感が晴れない限りは出来るだけ愛莉との接触を控えたいと思っていたのだが、元々が距離の近い二人なので、今更故意に離れれば当人たちよりも周りが騒ぎ出すに違いない。周りに変な不安を与えないためにも出来るだけ普段通りに過ごそうと思うのだが、思うのと実行するのでは大いに違う。


 そんな愛莉に対しての違和感を拭えないまま行った結果、初めての二人三脚練習は散々なものに終わったのだった。


「珍しいな! あんなに息合わないの。やっぱり二人でも難しかった?」


 練習が終わり、体育着から着替えている時に竣也が心なしか嬉しそうに笑いながら誠に話しかける。竣也としてはあまりにも息が合わない誠と愛莉をバカにしたいとか、そういう考えで笑っているのではなく、ただ単にこの二人にも出来ないものがあるんだなあという、安心から生まれた笑顔である。誠もそのことには気付いているので特に何も言うことは無いが、周りに誰かいる際には竣也が誤解されないかが心配なところである。


 二人三脚の練習では、いつもの誠と愛莉はどこに行ったのかと部活をしていた生徒たちまでがザワつく程に二人の動きがぐちゃぐちゃで、それは意図的に動きを合わせていないのでは、と思ってしまうほどだった。なので誠と愛莉の顔や手足には、至る所に絆創膏やガーゼなどが貼られている状態だった。普段ならうるさいくらいに飛び交う黄色い声援も、今日限りは空気を読んだのか飛び交うことはなく、代わりに嘆きの声が囁かれていた。


「うーん。難しい、というか……」


 表情を硬くしながら竣也の問いの答えを探す誠に、竣也は何も言うことはなく、ただただ首を傾げた。何も言わないけど何か悩みがあるなら話は聞いてやる、ということらしい。誠はその意味がわかったようで、硬くしていた表情を崩して小さく笑うと、いつになく真剣な表情へと変えた。


「竣也は、愛莉のことどこかおかしいと感じなかった?」


「琴宮さん? あー、まあいつもの琴宮さんらしくはないよな。彼女運動神経も良かったはずだし、誠との息を合わせるなんて難問解くより簡単そうなのにな」


 竣也の言うとおり、確かに愛莉は誠よりは多少劣るものの、運動神経は良いほうだった。更にはほぼ一緒にいる誠と息を合わせるなど、息をするのと同じレベルだとでも思っていてもおかしくない。実際誠も、この体育祭の練習で誠と愛莉の二人三脚の練習が一番必要ないと思っていたほどだ。なのに、蓋を開けてみれば愛莉が誠と息を合わせるのにこんなに苦労するとは、当人含め周りの誰も思っていなかった。


「だよね。愛莉の雰囲気とか外見とかは変わったとかって思うことはない、よね」


「琴宮さんの外見? いつもどおり美人だなーとは思うけど、特に変わってないと思うけど」


「ごめん、変なこと聞いた」


 琴宮邸を出る前に聞いた春への質問を竣也に聞いても、返ってくる答えはやはり行動がいつもと違った、というだけで、外見などはいつもと変わらないという。誠は春の時と同じように、硬い笑顔を貼り付けたまま、落ち込んだ声色で竣也に短く謝り、素早く着替えたのだった。

 ホームルームに間に合うように教室に向かえば、そこには既に夏蓮と愛莉がいて、珍しくクラスメイトたちに囲まれて何か話しているようだった。


「琴宮さん怪我大丈夫?」


「ええ。ちょっと慣れないことをしたから転んでしまっただけなの」


 いつもはその近付きにくい雰囲気から遠巻きに干渉されがちな愛莉が、クラスメイトに囲まれていること自体珍しいことなのだ。その愛莉が下手な愛想笑いを浮かべて話しているところを見た誠と竣也は、思わずクラスを間違えたと思い、一度教室を出て確認したほどだった。

 普段話せない愛莉と珍しく話せるということで、遠巻きに見ていた他のクラスメイトも便乗して愛莉を囲み、ホームルームが始まるギリギリまでその賑わいは治まることはなかった。


「びっっっ、くりした。俺の見間違いかと思った」


「うん、俺も思った」


「皆近付きづらい琴宮さんと話してみたかったんだろうな。そりゃこの期を逃すかと必死にもなるわ」


「本人はもっと話しかけて来て欲しいしもっと友だち欲しいらしいんだけどね。人見知りだから……」


 誠は朝琴宮邸で愛莉の姿を見た時から、違和感を抱いていた。それは春や竣也のように行動がいつもと違うことで抱いたものではなく、その姿を見た瞬間に思ったことだった。


 愛莉だと誠以外の他の人に認識されているその少女の姿が〝琴宮愛莉〟だとは、誠にはどうしても思えなかったのだ。見た瞬間にそもそも髪の色が違った。愛莉は吸い込まれるような漆黒に対して、その少女の髪はブロンドにも見える茶色だった。

 誠はまず琴宮邸の人間が誰一人としてそのことに気付かないことに疑問を抱き、春に質問した。するといつもと変わらないと言われてしまった。琴宮邸の人間だけなのかもしれないと思い、竣也にも聞いてみたけれど、答えは春と全く同じものだった。その時に誠は気付いてしまった。目の前にいる〝愛莉〟が〝愛莉〟に見えていないのはおそらく自分だけだということに。


 十中八九この〝愛莉〟は誠の知っている〝琴宮愛莉〟ではない。だけど、この事象に気付いているのは誠ただ一人。となれば、危害を加えないともわからないので、この愛莉を監視して正体を探る必要があった。

 朝練習では正に〝琴宮愛莉〟でないことの証明のようなものだった。誠との呼吸がこんなにも合わない愛莉の姿は見た事がないと周りが騒ぐほどだった。


 一限では愛莉が密かに苦手に思っている数学だった。確か基礎は出来るのに応用になると頭がこんがらがると眉間に皺を寄せていたのを思い出していた誠だったが、そのときこの〝愛莉〟は出された応用問題をクラスの誰よりも早く解いてみせた。

 三、四限は連続して家庭科の実習授業だった。家庭科は愛莉が一番といっても過言ではないほど苦手としている教科だ。裁縫も料理も近くで見るにはあまりにも怖すぎて針も包丁も持つなと思うほどだったはずだ。今日の実習は自身のエプロンを作るというありふれたものだったのだが、いつもの愛莉なら眉間に皺を寄せながらミシンを睨み付け、夏蓮に応援されて苦戦を強いられながら作っていたことだろう。だが、今日の〝愛莉〟は難しい顔すらせずにエプロンを作り、刺繍まで入れてみせた。


 これのどこが〝琴宮愛莉〟だというのか。


 そして昼休みに入り、誠はいつもの竣也たちとの食事を断って愛莉を屋上へと呼び出した。目的はもちろん、真相を問いただすことだった。屋上へ先に来たのは誠で、数分の内に愛莉も来たことで誠は簡潔に、ストレートに聞く。


「君は、誰? 俺の半身、返してほしいんだ」


「何言ってるの、誠?」


 朝に琴宮邸で会った時から半日、ずっと様子を見ていた。他の人には愛莉そのものに見えているようなので誰かと確認が出来なかったが、明確に愛莉とは違った。外見はもちろん、仕草や言葉遣い、クラスメイトへの接し方など、普段の愛莉からは想像できないものだった。

 クラスメイトたちは愛莉の雰囲気が変わって柔らかくなっていると言っていたが、実はそうではない。そりゃ別人なのだから雰囲気は違うのも無理はない。


「君は、愛莉じゃないよね。他の人には愛莉に見えてるようだけど、俺には君が愛莉にはどうしても見えないんだ」


「……やっぱり、違いますね」


 〝アイリ〟は思う。卑屈にでは無く、ただ淡々と事実を頭の中に述べていく。持たざる者は、いつだって持たざる者で、持ってる人から奪おうだなんて、出来るはずないのに。


 ――〝琴宮愛莉〟は持っている者だと思う。


 今日一日過ごしてこんなにも彼女は周りから愛されていた。さらにはこんなにも不利な状況下でホントウを見つけてくれる人がいて。私には、何も無いというのに。


「もう一度聞いて良いかな。君は、誰?」


「……私は、アイリ。アイリ・ソニードと言います。私は所謂、パラレルワールドの琴宮愛莉さんです」


 誠は耳を疑った。自分が聞き間違いをしているのかとも思った。それともこのアイリが冗談を言っているのかとも思った。だけど、彼女の表情は寂しそうにしながらも真剣な表情をしていて、冗談で言っているとはとても思えなかった。


「……ソニードさんはなんでこっちの愛莉になってるか、知ってるの?」


「はい。私が、原因ですから」


 誠が聞けば、愛莉は小さく頷いた後、ゆっくりと言葉を紡いでいった。アイリから出た言葉に、誠が何も思わない訳ではなかった。むしろ何をしてくれたのだと怒りを爆発させてしまいたいと思ったほどに、憤りを感じていた。だけど、アイリの顔を見た誠は、どうしてもアイリに怒ることなどできるはずもなく、ただ言葉を飲み込んだのだった。


 アイリは悲しそうな、苦しそうな、それでいて申し訳無さそうな表情をしていて、深く反省していることが伝わってくる。いや、反省というよりは、後悔、だろうか。


「これは私が発動した黒魔術。パラレルワールドの自分と同じ存在と存在を入れ替えることができるんです」


 パラレルワールドの自分と同じ存在と入れ変わる、ということは、誠の探している愛莉が何も伝えずに一人でどこに言ってしまったのかは今のアイリの言葉だけでも十分過ぎ得るほどだった。


「ということは、今愛莉はパラレルワールドにいるってことで、いいかな」


「つまりは……そういうことになります」


「そっか……。じゃあ、迎えに行ってやらなきゃ」


 パラレルワールドということは、現状愛莉は誠が立っている地球上の何処にも存在しないということと同義である。だというのに、愛莉の存在を諦めないどころか、むしろ自らパラレルワールドに行きそうな誠に、アイリは信じられないという目を向けていた。


「……どうしてですか?」


「なにが?」


 思っているだけのつもりだったのに、気付けばその質問はアイリの口からこぼれ落ち、誠の耳に届いてしまっていた。それを誠は不審に思うこともなく、ただ単純に聞き返してくる。何かおかしいところがあるかと言うかのように。


「どうして、行き方も分からない場所にいる他人を、助けに行こうと思うんですか? もちろん私が悪いのはわかってます。でも、普通は諦めるものでしょう……!?」


「愛莉がそこにいるなら、俺はどこにでも迎えに行くよ。俺はあいつで、あいつは俺。俺達は子どもの頃からそう言い合ってきたから」


 誠が当然のように述べる。その表情になんの迷いも感じることはない。誠の中で、離れた場所に愛莉が行ってしまったなら、そこに行くのが当然なのだ。誰に指示されるわけでもなく、自分の意思で、彼は違う世界の自分の半身を迎えに行こうとしている。それが他人から見ればどれだけおかしなことをしているかなど、誠にとっては関係の無いことだし、実際おかしいなどと思ってもいないのだろうことが、誠を見れば瞬時に分かる。


「あ、そうそう。誤解しないで欲しいんだけど、俺は愛莉を〝助けに〟行くんじゃないよ。〝迎えに〟行くんだ。あいつは俺がいなくてもなんとかなるし、黙ってその場で蹲ってるような性格もしてない。なにより、あいつは囚われのお姫サマって柄じゃない」


「……え?」


「――愛莉は、強いからね」


 誠の言葉にぽかんと呆けていたアイリは、自信満々に答える誠の顔を見て、思わず吹き出してしまった。おもしろいからではなく、呆れからくる適わないという自虐の笑いだった。


「パラレルワールドに行くの、私がお手伝いします。私も琴宮さんに存在を返したいですし。……なにより、私本当は最初からわかってたんです。なんとなく、こうなるんじゃないかって」


「わかってたって、俺が愛莉じゃないことに気付くことが?」


「はい。黒魔術で存在を入れ替えても、強い絆の強がりに魔術は勝てません。琴宮さんの記憶を見た時に貴方がいて、これはきっと勝てないって、心の底ではわかってたのかもしれません。けど私は、私じゃないものになりたかった。……ごめんなさい、私の勝手に、巻き込んでしまって」


「まあ……謝ってくれたしもういいよ。愛莉もきっと気にしない。ところでパラレルワールドに行くのってどのくらいかかるもの?」


「そう、ですね。今から準備するなら半日あればなんとかなりそうです」


「そんなに早いんだ? じゃあ早速放課後に行こう。任せてもいいかな、ソニードさん」


 謝罪を述べるアイリの真摯な姿に、実際当事者でない誠は既に怒る気にもなれず、もう謝罪は必要ないと促した。実際誠も言っているように、愛莉本人も今回のことはおそらくあまり気にいないだろうし、無事戻れればそれでいいと言う愛莉の姿が容易く想像できた。


 アイリはというと、誠に聞かれて魔術の構築式を頭の中で描いて魔術の完成時間を逆算してくれたらしく、魔術の事を一切わからない誠の予想よりも幾分か早い完成時間を叩き出してくれた。アイリの態度から見ても本当に協力してくれているのが分かるため、誠はアイリを信頼してパラレルワールドまでの行き方を全て任せることにしたらしい。アイリの手を握り、優しく声をかけた。するとアイリはいきなり握られた手に驚き目を見開きながらも、誠の目をしっかりと見て答えたのだった。


「もちろんです」

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