3話 「違和感」

 昨日の約束で愛莉が異常な程にテンションを上げていたのを思い出して、誠はいつもよりも少し早く家を出て愛莉の家に迎えに行った。過去の経験からして、わくわくした愛莉はその日の夜はあまり眠れないことが多く、早く起きては迎えに来た誠に遅いと言い出すのだ。それを見越して早めに迎えに行けば、琴宮家の様子がおかしいことに外からでも気付いた。


 誠は首を傾げながら琴宮家の呼び鈴を押し、いつものように愛莉の世話を焼いているメイドの春を呼び出した。


「ま、誠様。おはようございます、もうそんなお時間ですか?」


「昨日愛莉がやけにテンション高くしてたので早めに来たんですが……。愛莉はもう起きてるでしょう?」


「いえ、あの、はい。起きてはいらっしゃるのですが、今日は突然の雪が降るかもしれません」


 いつもの淡々とした態度の春を知っているからこそ、ここまで狼狽えた彼女の姿は誠も初めて見る。


「愛莉がどうかしたんですか?」


 彼女のあまりにも狼狽える姿に不思議になって誠が聞けば、春は目を泳がせ、明らかに多い瞬きを数回した後、誠の耳に小声で耳打ちした。


「お嬢様が、朝自分で起きて支度をして、更には自分の朝食を作ってしまったんです」


 春の話す内容に思わずそれは小声で話す意味はあるんですか? と聞きそうになるのをぐっと堪え、次の瞬間には驚きを露わにした。


「……愛莉が、料理を?」


「誠様、韻など踏んでふざけている場合ではないのですよ?」


「いえ、ふざけてません。偶然の産物です」


 ふざけているのか真剣なのかわからないやり取りを終え、とりあえず琴宮邸の中に入って行く誠。琴宮邸は子供の頃から来ることが多かったので、誠からすれば勝手知ったる第二の我が家である。そんな琴宮邸を普通なら案内するはずのメイドの春を後ろに戦陣を切って歩く誠。行き先は愛莉が朝食を食べているであろうダイニングである。


「愛莉?」


 ノックはせずに、その名前を呼びながらダイニングへと繋がる扉を開ける。

 すると、そこにはいつものように朝食を食べている愛莉の姿があった。だが、誠は愛莉を見た瞬間、若干顔を顰めて軽く首を傾げた。そのことに気付かなかったのか、愛莉は名前を呼ばれたことで誠の方を向いた。


「あら誠。おはよう」


「……珍しいね。自分で起きて料理までするなんて」


「私だって自分で起きることだってあるわ。それに、昔じゃないんだから料理の腕だって上達したの」


 愛莉からの挨拶を受け、誠は少し考えるようにしたあと、普通に笑って言葉を述べた。それは褒め言葉というよりは若干馬鹿にした様に言われていたが、愛莉は特に気にすることもなく黙々と自身が作ったという朝食を食していく。皿を見れば残りはもう僅かで、朝食にかかる時間はもう長くないようだ。


「ところで、誠はこんなに早くにどうしたの? いつもより三十分は早いじゃない」


「今日は体育祭の練習するから早めに学校行くんでしょ? 愛莉ならまた無茶言うと思ったから早く来たんだけど」


「……あら、誠にしては気が利くのね。じゃあ行きましょうか。は、ハル、明日は私フレンチトーストが食べたいわ。お願いしてもいい?」


 朝食を終え、ダイニングテーブルから立ち上がると同時に置いてあった鞄を手に取り、扉の方へ歩いて行く。そして扉のドアノブを掴んだまま後ろ振り向き、背後一メートルの位置に立っている春に向けて声をかけた。春はその言葉に珍しく嬉しそうに微笑みながら、頭を下げた。


「かしこまりました」


「それじゃあ行ってきます。今日は誠もいるしここで大丈夫」


 通常時は玄関で待っている誠の所まで春と愛莉の二人で歩いてから玄関にて誠と合流して登校するのだが、今日は誠が家の中にいるので、愛莉は玄関までの見送りは不必要と判断したらしい。春がそうはいかないと口を開きかけた瞬間、誠が手を前に出して春を制止させた。


「行ってきますね、春さん」


 珍しい誠の行動に呆けている間に二人はダイニングから出て行ってしまい、春の目の前には閉じているだけの扉があるだけである。目を伏せながらなんだか二人が親離れしたような気持ちになってしまって寂しいな、などと思っていると、今しがた閉じられたダイニングの扉が開かれる音が春の耳に届いた。

 反射的にぱっと顔を上げると、そこには仕えている主人の愛莉ではなく、誠が立っていた。


「……誠様、どうされました? 何か忘れ物ですか?」


「すみません、春さんに聞きたいことがあって」


「私に、ですか?」


 誠が戻ってきたのは、既に琴宮邸を出てからだった。通学路を少し歩いて、後ろを振り返っても琴宮邸が見えなくなったことを確認してから、愛莉に忘れ物をしたと言って来た道を引き返して来たと言うわけだ。何故そんな面倒くさい方法を取ったのかといえば、偏に愛莉に春との会話を聞かれたくないからだった。


「ま、待って下さい、誠様? 私はお嬢様付きのメイドであって、誠様とそういう関係にはなれないんですよ?」


「あの……、何か誤解してますけど、そういう話じゃないです」


「あら残念」


 愛莉に聞かれたくない話をすると春に言えば、春はわざとらしく頬を染めながら軽く誠の肩を手で押した。誠が表情も変えずにむしろ呆れた様子で否定を口にすれば、染めていた頬もスッと色を変え、いつもの飄々とした表情に変わっていた。

 どうやらわざとやっていたようなのだが、愛莉の影響なのかこういう悪ふざけは琴宮邸に勤める人間は全力で行うらしい。悪ふざけに遭う側としてはなんとも心臓に悪い。


「愛莉のことなんですけど」


「お嬢様がどうかしましたか?」


「今日、なにかおかしくないですか?」


「ええ、おかしかったですよ。だから私たち動揺してたじゃないですか」


「いえ、まあ確かにおかしかったんですけど、行動じゃなくて、こう……雰囲気とか外見とか」


 誰も愛莉がおかしくないということを言わないあたり、この会話は本当に愛莉には聞かせられない内容だな、と思いつつ、誠は更に春に問いかけていく。


「雰囲気や外見、ですか? いえ、いつものお嬢様だと思いますよ」


「そう、ですか。すみません、わざわざありがとうございました」


 春が答えると、誠は普段しないような固い笑顔を貼り付けたまま、少し残念そうに声をあげて再び琴宮邸を後にしたのだった。

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