第2話 グロタンディーク素数
翌日は英語と理科の返却日だった。二限の理科の返却が終わって解散したあと、御影が話しかけてきた。
「颯クン、〝グロタンディーク素数〟って知ってる?」
「唐突やな。聞いたことはあるで。たしか57のことやろ」
「そうそう。57って3で割れるから素数ではないんだけど、『高名な数学者・グロタンディークが講演中に間違えて57を素数として扱っちゃった』という逸話から〝グロタンディーク素数〟と呼ばれるようになったんだよねぇ。それなんだけどさぁ……」
御影は懐から一枚の紙を取り出した。俺のほうに広げて見せる。
四角い枠囲いの中に「57」とだけ書かれていた。これは——。
「昨日返された数学の答案用紙なんだけどぉ」
「そうみたいやな。答案の二枚目だけ?」
「うん。答案は本来、二枚一組で左上をホッチキス留めされてたじゃん。そのうちの二枚目」
たしかに左上に小さな穴が二つ開いている。ホッチキスの芯が通っていたのだろう。
「この答案がどうしたんや? というかこれってどんな問題やったっけ?」
「問題は『17番目の素数を答えよ』。このあと三者面談があるから、山センがサービス問題として出してくれたやつ」
「山セン」というのは多分「山口先生」の略語だろう。俺は首肯した。
「17番目の素数を答えよ」という問題。素数は小さいほうから順に2、3、5、7……と続き、本来の解答は「59」だ。しかしこの答案には53と59の間の57が記されているわけだ。
「ほんでこの答案がどうした?」
「一限の英語で
「言ってたな」
「私、なんか無性に気になっちゃって、一限終わった直後に二階の多目的トイレに行ってみたんだ」
また意味の分からないことを。ただコイツはいつも意味が分からないので、そういう点では筋が通っている。
「そしたらトイレにこの答案があったんだよぉ。一枚目に名前書く欄あるから二枚目には名前ないんだよね。だから誰の答案なのか当てようと思って」
「そんなもんクラスで聞いて回ったらいいんじゃ……」
俺が言い終わる前に、御影の右掌が俺の口を塞いでいた。
「チッチッ。分かってないねぇ、颯クン。自分の頭で考えるからこそ面白いんでしょーが! 早速職員室に聞き込みだぁ!」
職員室は二階の最奥に位置している。
ここ校舎棟は東西に伸びており、西の端にのみ階段があって、職員室は東の端にある。二階は職員室以外に高2の1組から4組がある。高2は現在新型コロナが蔓延して学年閉鎖中。二階は静まり返っていた。
問題の多目的トイレは職員室のすぐそばにある。多目的トイレだけでなく男女トイレも設置されている。
御影は職員室に意気揚々と飛び込んでいった。俺は高2-1の教室の前——二階の西端——で待機している。
そんな折、三階から誰かが駆け下りてくる足音が聞こえた。
上り階段から現れたのは、転入生の一ノ瀬朔也だった。彼は少し戸惑ったような様子を見せた。
「どうしたんや?」
俺は和やかに話しかける。対する一ノ瀬は目を泳がせた。
「トイレに行きたいんです」
「トイレならあそこにあるで」
俺が職員室横のトイレを指差すと、彼は恐縮したように首をすくめた。
「ありがとうございます。でもその、僕、実は性的マイノリティというやつで、多目的トイレしか使えなくて……」
そういうことか。中性的な見た目だとは思ったけど。現在使える多目的トイレは一階にしかない。
「ほな一階の1年1組の隣のとこが一番近いわ」
俺が教えてあげると、一ノ瀬は何度も頭を下げてきた。
「ありがとうございます。あ、あの、連絡先交換しませんか?」
「ええよ、もちろん。俺の名前は髙﨑颯真や」
「髙﨑君、なるほど」と答えながら彼はガラケーを取り出し、連絡先に「髙﨑」と入力した。
俺は思わず目を丸くしてしまう。
「今時ガラケーの人とかおるんや。メアド言うたらええんか?」
「お願いします。連絡先やりとりしてくれた人、初めてです。学校から生徒名簿すらもらえてなくて何も分からず……」
「マジかよ」
それから二人でメールアドレスを交換した。
俺は単純に疑問に思って尋ねた。
「俺らがテスト返却されてる間、何しとったん? 一ノ瀬は期末受けてへんもんな」
「僕は終業式に向けて、三階の音楽室で校歌の練習をしていました。朝一番に音楽室に直行し、ずっと音楽の
「おけ」
一ノ瀬が階段を駆け下りていくのを見送ると、入れ替わるように御影が職員室から出てきた。こちらに駆け寄ってくる。
「颯ク~ン。有力な情報を得たよぉ!」
「有力な情報?」
「物理の
「ほうほう」
「朝休みにトイレ——多目的トイレか男女トイレかは分からないけど——に入ったのは
矢沢というと、ダーツを趣味としている別クラスの生徒だ。名は体を表すとはよく言ったものだ。
「で、センセが朝休みの途中でトイレに行こうとしたら、多目的トイレのドアの隙間から水が漏れてるのに気づいたらしい。それで覗いてみたらトイレが壊れてたから『使用禁止』の張り紙をしたんだってぇ。それから管理人室に飛んでいったけど、管理人が不在だったからしばらく放置してたんだってさぁ」
「『57』の答案については何て言ってんの?」
「気づかなかったって。扉開けただけだと気づかない死角の位置だったんだよね」
「じゃあお前はなんで気づいたんや」
「そりゃ中に入ったからに決まってるでしょ」
「何やってんねんマジで……」
「ともかく答案を忘れていったのは矢沢クンで確定っぽいから連絡してみようよ」
「ええけど……」
俺は早速矢沢に「この答案、お前のやつ?」とラインした。すぐに既読がつき、三十秒ほどして返信が来た。
『知らないな。俺のじゃない』
スマホの画面を御影に見せると、彼女は目を輝かせた。
「矢沢クンが嘘をついているのか。あるいは使用禁止になってから誰かが答案を置いたのか。今回の謎はそこだね。でも私、もう真相分かったよ」
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