第5話 人形たちの遊び、終わらない悪夢

葉月の生活は、もはや地獄そのものだった。人形たちの「声」は、彼女の脳内で絶え間なく響き渡り、彼女を休ませることを許さない。食事をしようとすれば、皿の上の食べ物が腐った肉片に見え、水を飲もうとすれば、コップの中に人形の瞳が映り込む。


「…まだ食べてるの? そんな醜い体で」

「…眠れるとでも思っているの? 私たちの声が聞こえるでしょう?」

「…あなたには、もう安らぎなど訪れないわ」


人形たちの声は、日ごとにその内容を具体化していった。それは、葉月の過去のトラウマを呼び起こすような言葉だったり、彼女の人生の選択を愚弄するような非難だったりした。

特に、彼女が小学生の頃、友人関係で深く傷ついた出来事や、恋人に裏切られた過去を、人形たちが克明に描写するたび、葉月は悪寒に襲われた。彼女らは、葉月の記憶の奥底にまで侵入しているのだ。


「…あの男、あなたを本当に馬鹿にしていたわね」

「…あなたのことなんて、どうでもよかったのよ」

「…ほら、あの時の顔、見せてあげましょうか?」


葉月の目の前に、鮮明な幻覚が浮かび上がる。それは、過去の自分が、絶望に打ちひしがれて涙を流している姿だった。人形たちは、葉月の心を完全に弄んでいた。


葉月は、ガラスケースの中の人形たちに、もはや憎しみすら抱けなくなっていた。憎しみは、抵抗や反撃の可能性を感じているからこそ生まれる感情。しかし、人形たちは、彼女のあらゆる抵抗を嘲笑い、その無力さを突きつける存在。


彼女は、ガラスケースの前に座り込み、人形たちにひざまずいた。

「お願い……許して……。私を、放っておいて……」


涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、葉月は懇願した。

その時、ロゼッタの声が、部屋に響き渡った。

「…何を言っているの、葉月?」

その声は、ゾッとするほど幼く、無邪気だった。まるで、小さな子供が、遊んでいる途中に邪魔をされたかのような、不機嫌な響きを帯びている。

「…私たちの『遊び』は、まだ始まったばかりじゃない」


そして、ガラスケースの中の人形たちが、ゆっくりと、しかし確かな動きで、一斉に葉月の方を向いた。彼女らの瞳が、暗闇の中で、不気味なほどにキラキラと輝いている。それは、幼い子供が、新しいおもちゃを見つけた時の、純粋な喜びの光。


その光が、葉月の身体を包み込んだ。

葉月は、全身を縛り付けられるような感覚に襲われた。身体が、彼女の意思とは関係なく、ゆっくりとガラスケースの方へと引きずられていく。


「…これから、あなたには、私たちの"『おもちゃ』"になってもらうわ」

ロゼッタの声が、冷酷に告げた。

「…私たちに見捨てられた、可哀想な大人。あなたには、私たちに『飽きられた』全ての人間たちの"記憶を、味わってもらう"の」


葉月は、必死にもがいた。だが、身体は全く動かない。ガラスケースの扉が、ゆっくりと、しかし確実に開いていく。まるで、葉月を迎え入れるかのように。


「…おめでとう、葉月」

別の人形が、楽しげに囁いた。

「…あなたも、私たちの"都合のいい『道具』"になるのよ」


葉月は、ガラスケースの中へと引きずり込まれていった。そこには、彼女の幼い頃から集めてきた、可愛らしい人形たちが、静かに、しかし冷酷な笑みを浮かべて、彼女を待ち受けていた。


彼女の視界が、人形たちの顔で埋め尽くされる。彼女らの瞳が、間近で輝く。その中に映し出されているのは、恐怖に引き攣り、絶望に染まった、葉月自身の顔だった。


「…さあ、遊びましょう、葉月」

ロゼッタの声が、最後に葉月の意識を貫いた。

「…あなたはもう、私たちを『見捨てる』ことも、『壊す』こともできない。永遠に、私たちの"『遊び道具』"として、ここにいるの」


その瞬間、ガラスケースの扉が、ゆっくりと閉まった。

カチン、と音を立てて、しっかりとロックされる。



数週間後。


葉月の部屋の異変に気づいた隣人が、警察に通報した。

警察官がドアをこじ開けて部屋に踏み込むと、そこには、異臭を放つゴミと散らかった私物。そして、リビングの中央には、埃を被ったガラスケースが置かれていた。


ケースの中には、可愛らしい洋風の女の子の人形たちが、静かに、整然と並んでいる。

どの人形も、優しく微笑んでいるかのような表情で、何も異常はないように見える。


ただ、そのガラスケースの前に、変わり果てた姿の葉月が、座り込んでいた。

彼女は、自身の両手で、まるで何かを抱きしめるかのように、何も持たない腕を前に伸ばしている。その顔は、虚ろな笑みを浮かべ、焦点の合わない瞳は、ガラスケースの中の人形たちをじっと見つめている。


「あ…ああ……ロゼッタ……」


葉月の口から、か細い声が漏れた。その声は、まるで幼児が人形に話しかけるような、抑揚のない、だが異常なほど愛おしげな響きを帯びていた。

警察官が彼女に触れようとすると、葉月は奇妙な唸り声を上げ、その場で、まるで子供が人形を抱きしめるように、ゆらゆらと身体を揺らし始めた。


彼女の精神は、完全に破綻していた。


ガラスケースの中の人形たちは、そんな葉月の様子を、ただ静かに見つめているだけだった。彼女らの瞳は、暗闇の中で、どこか満足げに、そして冷酷に、輝いていた。


葉月は、病院へと搬送された。精神病棟の白い壁に囲まれ、彼女は今も、ガラスケースの中にいる見えない人形たちに話しかけ続けている。


「…ねえ、ロゼッタ。今日の、お話はね……」


彼女は永遠に、人形たちに見捨てられた恐怖と、自らの狂気の淵に沈んだまま、人形たちの「遊び」の中で生き続ける。


ーーーーーーー


イギリスのとある個人経営の人形店


「おや?こんな物あったかの?」

老人は商品である人形たちを整理している時、中に人形が多く入った大きなガラスケースに目を止めた。


「また婆さんが勝手に仕入れたんじゃな。一言くれればいいのに」


老人の声を聞いたのか、奥から老婆の声が響き渡る。

「あたしゃそんなもの本当に買っとらんわい!」


「…じゃ、これは何でうちの店にある?まあええわい。値札を付けるか」

老人は、値札の商品名の欄に「ミシェルと仲間たち」と大きく書き、さらに値段も書き加えた。

それをガラスケースの一番目立つところに貼り付けた。


するとカランカランと、音がなりお店の入り口から幼い女の子と母親の二人が入ってきた。


「いらっしゃい。今日もアイラちゃんに人形を?」


「ええ、この子まえのぬいぐるみに飽きちゃって。三歳ってそういう歳なのかしら。あら変わったの入荷してるじゃない」


「また婆さんの趣味じゃよ」


「ふふふ、あなたも大変ね。あら、アイラも気に入ったのかしら?」


アイラと呼ばれた女の子は、ガラスケースの中のビスクドールをじっと見ている。

淡いピンクのドレスをまとった可愛らしいビスクドール。アイラはその見た目だけではない不思議な魅力に引き込まれていた。

ビスクドールの瞳には、金色の髪に白い肌と青い瞳をもつ まるで天使のような姿をしたアイラの姿が映り込んでいた。


「可愛いね」

アイラはその人形に話かけ始めた。老人と母が会話を続けている間も話していた。


その様子に母が気づく。

「アイラ。そのガラスケースの人形が気に入ったの?」


「うん!みんなと"ロゼッタ"が、 アイラも可愛いだって!」


「あらあら、じゃガラスケースごとお買い上げするわ」


「まいどあり!」



アイラはまだ知らなかった。将来、人形たちが彼女を可愛いと思わなくなることを…。




— 完 —

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ホラー - 人形を愛する私は、人形たちに見捨てられていく @shingoK777

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