『7番』
宮本 賢治
『7番』
わたしの右手の甲には、
数字が刻まれている。
アラビア数字。
黒字。
『7』
その数字が意味するものとは···
マヒロちゃんはかわいい。
いつも、エリカちゃんの後をついてくる。
「お姉ちゃん、どこ行くの?」
舌っ足らずの甘えた声。
薄紅色のワンピース。首にはかわいいフリル。
麦わら帽子からはみ出たやわらかそうな髪の毛はゆるくウェーブがかかっている。
5歳の女の子。
わたしは、エリカちゃんと市営プールに行く約束をして、迎えに来たところだ。
小学校最後の夏休み。
夏休み明けに小学校で、平泳ぎ25メートルの試験がある。
屋内プールは、競泳コースもあれば、小さな子どもでも入れる浅い水遊び用のプールもある。
「マヒロちゃん、
お姉ちゃんたちと一緒にくる?」
わたしはしゃがんで、マヒロちゃんに視線を合わせて言った。
マヒロちゃんの顔がパ〜っと明るい笑顔になる。
「あたしも行っていいの♪」
かわいい。
思わず抱きしめたくなるかわいさ。
エリカちゃんが疲れたように、大きくため息をついた。
「今日はダメ!
お姉ちゃんたちは、ガチで泳ぎに行くんだから。
マヒロはお留守番」
エリカちゃんが頭ごなしに全否定した。
それを聞いて、マヒロちゃんがプンプンな顔に変わる。
「何で〜!
マイちゃんは、一緒に行こって、言ってるのに〜!!」
手足をバタバタして、涙目でマヒロちゃんは抗議している。
一人っ子のわたしには、駄々をこねるマヒロちゃんもかわいく感じる。
「マイ、ちょっと先に行ってて、
すぐ追いつくから」
エリカちゃんにそう言われて、わたしは渋々歩き出した。
わたしは、もう平泳ぎで50メートル完泳できるから、マヒロちゃんと小さいプールで遊んでてもよかったのに。
いいな。
わたしもあんなかわいい妹がほしかったな。
ドンッと急に背中を押された。
びっくりして、思わず声が出た。
「お待たせっ!」
エリカちゃんはひどく息を切らしていた。いつもはそんな人を驚かすことなんてしないのに。
ちょっとテンションが変だなと感じた。
プールから帰り、夕ご飯を食べて、食後のアイスを食べていたとき。
うちの電話が鳴った。
お母さんが出た。
電話を切ったお母さんの顔は真っ青だった。
エリカちゃんのお父さんからの電話だった。
マヒロちゃんが行方不明になったらしい。
それを聞いて、お父さんが出て行った。
わたしも着いていこうとしたら、お母さんに止められた。
エリカちゃんのお家の裏手に流れる大きな川。
海へと続く河口に近い川。
その岸辺でマヒロちゃんのピンク色のサンダルが片方見つかったらしい。
小さな女の子がそんなとこに1人で行くかな?
あの川は大きくて危ないし、エリカちゃんもいつも、マヒロちゃんにあそこに近づいちゃいけないと注意してたのに。
1週間後、近くを航行する漁船がマヒロちゃんの遺体を発見した。
お葬式から帰ってきて、着替えてベッドに入った。
お葬式はみんな泣いていた。
エリカちゃんもずっとふさぎ込むように泣いていた。
わたしも体の水分が無くなっちゃうくらいに泣いた。
ベッドに入り、マヒロちゃんの笑顔を思い出して、また泣いた。
哀しみと疲れでウトウトしてるときにふと部屋の中に気配を感じた。
わたしの部屋。
わたし以外いない···はず。
声が聞こえた。
「···行くの?」
女の子の声だった。
小さな女の子の。
潮の匂いがする。
潮風のようなさわやかな匂いじゃない。
重い潮の匂い。
眠れずに暗い部屋で横になっていたので、暗闇に目が慣れていた。
ベッドの前にそれはいた。
床が濡れている。
フローリングの床が水たまりになっている。
びしょ濡れの小さな女の子。
薄紅色のワンピースはまるで違った色に見える。
麦わら帽子はかぶっていない。
濡れた髪の毛が顔にかかっている。床に雫がしたたっている。
サンダル。
片足だけ履いている。
「···お姉ちゃん、どこ行くの?」
か細い小さな声だったけれど、それは間違いなくマヒロちゃんの声だった。
「···お姉ちゃん、どこ行くの?」
マヒロちゃんが繰り返す。
この世のものではない者の声。
わたしは哀しみと恐怖で、胸がギュッと締めつけられた。
「わたし、お姉ちゃんじゃないよ」
涙声でわたしは答えた。
「知ってるよ」
マヒロちゃんではない低く重い声が答えた。
その声を聞き、わたしの体は金縛りにあったように動かなくなった。
そして、また、か細いマヒロちゃんの声に戻った。
「あたし、7番がイヤだった。
だから、お姉ちゃんに代わってもらった。
お姉ちゃんがあたしを川に落としたんだから、当たり前だよね。
でも、お姉ちゃんも7番イヤだって。
だから、マイちゃん。
あなたが7番になって」
マヒロちゃんの右手の甲に
数字が刻まれていた。
アラビア数字。
黒字。
『6』
マヒロちゃんの後ろに人影が現れた。
6人の人影。
全員がずぶ濡れ。
人影がわたしに迫ってくる。
ベッドの上に登る。
わたしに迫る右手。
その甲には『7』の数字。
7の右手の持ち主がわたしに迫る。右手で頬を撫でられた。生ぬるい海水の感触がした。
迫る顔。
エリカだった。
無表情。目の焦点も合ってない。
「代わろ」
エリカはそう口走り、冷たくいやらしく笑った。
了
『7番』 宮本 賢治 @4030965
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます