口は災いの……

藤野悠人

口は災いの……

 「人の口に戸は立てられぬ」「大口を叩く」「後口が悪い」。ことわざにせよ、比喩表現にせよ、口に関する言葉というのは多いものです。


 そういった、口が元で起きるかも知れない体験というのもあるそうで。彼の身に起きたことを一言で表すなら、「口は災いの元」でしょうか。


 岩本いわもとさんというその男性は、親からも友達からも「口から産まれてきた」と評されるほど、お喋りの好きな人だそうです。家族や友達は言うには及ばず、コンビニのレジの人や、銀行の窓口の人、バスの停留所で行き会った人などなど……。


 根が明るく気さくで、初対面の人とでもそれなりに話が弾んでしまう。更に、いわゆる「話し上手は聞き上手」というもので、自分が話すばかりでなく、他人の話を聞くのも上手いと来ている。


 物怖じしない性格もあって、「たまにうるさいほどのお喋りだけれども、話が面白くて愉快な人」というのが、大方の周囲の評判だったそうです。


 しかも色々な人と話すものだから、それだけ他人が経験した面白い話を仕入れるのも早く、それだけ話題の引き出しは多い。頭の回転も速く、ボキャブラリーも豊富で、何よりトークが上手い。


 聞き手に回れば、気持ちの良い相槌と的確な質問で、相手もついつい、話すつもりのなかったことまで引き出されてしまう。他人の面白い体験と言うのは往々にして、そういう「人には簡単に話すまい」と思っている事柄に含まれているものですからね。


 そんなわけで、岩本さんは大方の人からは好意的に思われていたそうですが、そんな彼にもちょっとした欠点があったそうです。


 それが、日常的にちょっとした嘘をついてしまう、ということだそうで。


 嘘と言ったって、他人を騙して面白がったり、人を貶めるための嘘だったりではなく、本当に小さな、無害なものです。


 「話を盛る」なんて言いますがまさにそんな感じで、物事をちょっと大袈裟に言ってしまうとか、人から教わった面白い話、あるいは自分が体験したことなんかを、こう、ちょっと脚色して話したり、そんな程度のものでした。


 誰でもそういうことはしますから、岩本さんが特別に悪いとは言えないでしょう。


 ただ、まぁ、人間とは因果な生き物で、自分でも意識しないうちに行動がエスカレートしてしまうものです。


 今日で禁煙しようと思っても煙草を吸ってしまったり。


 毎朝コンビニでコーヒーを買うのは辞めようと思っても買ってしまったり。


 お酒を飲む量を控えようと思っても、飲み会が楽しくてついつい飲み過ぎてしまったり。


 岩本さんは頭の良い方で、そういう自分の悪癖についても、かねてより自覚はあったそうです。


「そういうことした瞬間はね、“あ、やったな”って、自分でも思うんですよ」


 バツが悪そうな表情で、岩本さんはそんな風に仰ってました。


「でもね、なかなか、こう、止まらないんです。嘘と言ったって小さなものだし、相手を傷付けるわけでもないし。それに、自分がちょっと大袈裟に話をして、それで相手が楽しんでくれると、こっちもついつい嬉しくなっちゃって、歯止めが効かなくなるんです」


 恥じ入るような調子で、岩本さんは続けました。


「今にして思えば、それがね、いけなかったんです」


 話は数年前に遡ります。


 岩本さんは、ある商社の営業マンとして勤務されていたそうです。オモチャ関係の商社だったそうです。


 取引先の方や、お得意様なんかと話すために、当然オモチャの知識や、どうやって遊ぶのかも知らないといけない。これはまぁ、営業マンなら当然のことです。売り物のことを知らない営業マンでは、仕事になりません。


 取引先とも、オモチャについて話すことが当然多い。岩本さんは得意のトーク力と物怖じしない人柄で、どんどん営業成績を伸ばしていったそうです。


 オモチャについて話すときに、「これと似たようなもので子供の頃に遊んだ」「親戚の家の子が、これで遊んでいた」……。こういった話をすることも多かったそうです。


 先ほど述べたように、岩本さんは少々「話を盛る」という癖がありました。例えば、「似たオモチャで子供の頃に遊んだ」と言ったって、実際は数回ほど遊んだら飽きてしまっていたのを、「子供の頃にすっかり熱中して遊んでしまった」と言ったり。


 「親戚の家の子が遊んでいた」というのも、実際は非常に遠い親戚だったのを、「いとこ」と言ってみたり、「甥っ子や姪っ子」と言ってみたり、と言った具合です。余談ですが、岩本さんご自身は一人っ子で、兄弟はおりませんから、甥っ子や姪っ子が出来るはずはなかったそうです。


 時によっては、自分が全く触れてこなかったにもかかわらず、まったくの嘘の経験を話してしまうこともあったようでした。


 初めの頃は、“またやっちゃったな”という後ろめたさはあったそうですが、仕事に打ち込むうちに、だんだんとその感覚は麻痺していったそうです。


 その日も取引先に行き、雑談になった時のことです。取引先の会社の事務所で、いつもの調子で話していた時でした。


 ふっ、と視界の右側の端で、何かがサッと動いたような気がした。「あれ?」と思ってそちらを見るが、別に何もない。見えたのも本当に一瞬だったから、まぁ気のせいかと思って話し続ける。


 しばらく話している。今度は左の視界の端で、何かがサッと動いたように見えた。また「あれ?」と思うけれども、やっぱり何もない。


 あれ? もしかして、この事務所、ゴキブリがいるのかな、なんて思う。けれども、ゴキブリなんて出そうもない綺麗な事務所です。ですから、「最近、外回りも多かったし、会社のデスクに戻ってからの仕事も多かったから、ちょっと疲れ目かな」なんて考え直した。その時は、それでおしまいでした。


 さて、それからなんですが、岩本さんが人と話していると、時折り視界の端で何かがサッ、サッ、と動く気配がするのを、頻繁に感じるようになったそうです。それも、決まって人と話している時です。


 取引先や、会社の同僚と雑談をしている時。ご友人と話している時。ふいと視界の端で、何かが動く。初めは小さな気配だったけれども、気配を感じる回数が大きくなるたびに、なんだか、それが近付いてきている気がする。


 さすがに岩本さんも気味が悪くなり、お祓いを受けたりもしたそうです。


 ある金曜日のことでした。岩本さんは仕事を終えて帰宅し、ご友人と電話をしていたそうです。同じゲームをやっている友達で、オンラインでゲームをしながら、二人で話していました。


 ゲームの合間合間に、仕事の話や、プライベートの話なんかもします。岩本さん、ついつい「話を盛る」癖が出ていた。


 すると、ゲーム画面を見ているはずなのに、やっぱり、例のサッと動く気配を感じる。それも、その時は視界の端ではなく、まるで自分のすぐ近くで動いているような気がする。


「そういえば、最近は仕事はどうなの?」


 ご友人が聞きました。


「順調だよ」


 と岩本さん。


「営業って大変じゃないの? 興味のないことでも、取引先と話を合わせたりしてさ」


「いや、全然。普通に話すだけだし、別に本当のことを話すだけだからさ」


 岩本さんが笑いながら言った刹那、




「 嘘 を つ い た な 」




という声が耳元から聴こえたそうです。悲鳴を上げそうになったそうですが、あんまり驚いて声が出なかったそうです。気配はそれきり、すっ、と消えて、感じなくなった。


 岩本さん、胸を押さえて息を吸い吸い、やっとの思いで


「おい、変な声を出すなよ」


とご友人に言いますが、電話の向こうのご友人は意味が分からないご様子。


「嘘をついたなって、急に低い声で言うからびっくりしたよ」


「は?」


 電話の向こうのご友人、素っ頓狂な声を上げました。


「なに言ってんだよ。俺なにも喋ってないよ。やめろよ、俺がホラーとか怪談ダメなの知ってるだろ!?」


 この件がきっかけとなって、岩本さん、ご自身の悪癖を見直すようになったそうです。もちろん人間、まったくもって嘘をつかずに生活するというのは困難です。時には、適当にお茶を濁して、その場を切り抜けることだってありましょう。


 しかし、自分はその程度では済まなくなっていのだと自覚した岩本さんは、思わず口から出任せで物を言いそうになった時、ぐっとブレーキを踏むようになったそうです。


 その後、オモチャを扱う商社から、今度は電子機器メーカーの企業へ転職なされたそうです。


「いま、思い出すとね」


 岩本さんが仰いました。


「あのサッと動く気配、あれ、私が言う必要のなかった大袈裟な話とか、話の流れとはいえ、そこまで言わなくてもよかった嘘とか、そういうものを口にした時に現れていたなって。でも、オバケって感じでもなくて。言うなれば、私の良心みたいなものが、“そのへんにしときなよ”って、教えてくれていたのかも知れません」


―――


 「嘘も方便」ということわざもございます。人間、いつ何時も馬鹿正直に物を言うわけにはいきません。


 ただ、嘘をつくにしても、程々のところで収めておくのがよろしいのかも知れません。

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口は災いの…… 藤野悠人 @sugar_san010

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