汚してしまったすべての事

縞間かおる

<これで全部です>

 雨音に起こされた私は……抱かれている感覚がいつもと違ってビクン!と体を堅くした。


 うっすら目を開けると

 逞しいけどツルンとした胸に顔を埋めていた。

 そして私は……

 優しいあの人の腕の中にいる幸せを思い出した。


 この幸せを心にカラダにしっかり留めて置こうと固く決心したのに……


“幸せ”はいとも簡単に、私を眠りに誘った。



 雨はいつ止むのだろう


 雨が強い間は


 外には出られない。


 その間は……


 私のオトコも戻っては来ない。


 だからその前に


 私は優しいこの人をここから送り出さなければいけない。


 何も知らないこの人に


 迷惑を掛ける事はできないから。



 さあ! この人が目を覚まさない様にそっと起きて

 どこかの可愛らしい奥さんみたいに朝ごはんを作ろう!


 その事が、この人の記憶にどう残るのか分からないけど……いいえ!そもそも残らないかもしれない。


 けれど私が逢瀬の中で“この人”をこの身に受け入れた様に……ほんの僅かなカケラでいいから!!

 この人の身の中に居たい。


 だからキャベツを刻む時に


 薬指にサクッ!と包丁を入れて


 サラダに私を忍ばせよう


 そうすれば


 くだらないオトコの為だけに血を流したわけでは無いと

 私自身に言えるから


 ねえ

 あなた


 あなたは私のどこが好きですか?


 あのオトコの様に


 私をただのが好きなのですか?


 そうでは無いと思いたい。


 あなたは


 そうでは無いと思いたい。


 そう願いながら私はあなたを部屋に、ベッドに迎え入れた。


 ああ!!

 こんな事を考えてしまって!!


 せっかく身を起こそうとした決心が鈍る……


 このままこの人の腕の中で……幸せに溶けてしまいたいと


 限りなく思う。


 くっ付けている胸の先の疼きが体全体に拡がって


 シーツを濡らすのが涙だけではなくなる。



 この人を起こして

 この人の熱量を

 もう一度この身に!!



 ダメだ!


 そんな事をしていたら

 雨に濡れたオトコが帰って来る。

 修羅場となって

 この人に迷惑が掛かる。



 おそらく……

 いいえ!

 きっと!!

 すべては気のせいなんだ。


 私はこれまで


 こんなに綺麗に見える人には会った事が無く


 優しく抱かれた事も無かった。


 ただ、それだけの事。


 この人はいたって普通で

 これから先

 普通の人に恋をして

 キスして

 抱いて

 結婚して

 いつかは我が子の手を

 伴侶と共に引く。



 ふふふ


 見てみたいなあ


 その時の


“お父さんしている”あなたを……


 あなたがあまりにもはまり過ぎていて

 笑っちゃいそうになるのかな?


 それを覗き見ている私は

 物陰から確かめたあなたの幸福をダシに……

 自分の罪を

 少しだけ荷下ろしして


 オトコに蹴られながら

 尻尾を巻いた犬の様に

 みずぼらしく


「早くしろ! クソ野郎!!」って怒鳴るオトコの後を

 トボトボ付いて行く。


 だけど

 そのオトコとそっくりな顔した

 子供が産まれてしまったらどうしよう!!


 子供には罪がない

 なんて思えない


 あのオトコの子供なんて!!


 そうならない様に

 そこだけは抵抗を繰り返しているけれど


 もしも種が付いてしまったら

 根付く前に摘み取って

 無かった事にしてしまおう!!



 あっ!!

 たった今!

 私を包む腕に力が戻って

 この人の胸の上で

 私のふくらみがやんわりと潰れた。


 あなたが目を覚ます?


 嬉しいな!


 またキスしてくれる?


 まぶたに


 くちびるに


 カラダの……


 そこ ここに……



 ああ!!


 やっぱりダメ!


 そんな事されたら


 離れられなくなる!!


 だから!!


 私から

 うっすら目を開けたこの人のまぶたにキスして


 情念の繭糸を……身をよじって断ち切った。


 そうやって

 愛してしまった人のカラダから滑り降りた時


 その“愛の残骸”で


 シーツを汚してしまっているのに気が付いた。



 心の中でカウントダウンが始まる。


 それはこの人を送り出して

 オトコにバレないよう

 全ての“残骸”を洗い流すのに必要な時間なのか


 それとも


 自ら進んで愛する人取り込んだ結果を

 カラダの中に結ばせる為の時間なのか


 はたまた欺瞞に満ちた……この私と言う“汚れ”をこの世から消し去る為の時間なのか



 まるきり分からないまま


 コマドリみたいな陽気さで

 私は朝食の用意に取り掛かった。





              おしまい

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汚してしまったすべての事 縞間かおる @kurosirokaede

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