墨のにおいは、まだそこに

茶ヤマ

この作品は、以下の淡雪様の短歌を元にして書いた短編となります。


寺子屋の

授業参観

のんびりと

現代の学校も

取り入れて


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 先生の声が教室に響き渡ると、木造校舎の床が小さくきしみ、子どもたちのざわめきが広がった。

「…さて、今日の“おたのしみ授業”の時間です」


 使い込まれた木の床の色合いが優しい風合をともない、セピア色の写真のように見える。開け放たれた窓から、梅雨の晴れ間の匂いが吹き込んできた。


「今日はね、特別に、みんなのおうちの人にも授業を見てもらうよ。…昔の“寺子屋”みたいに、のんびりとね」


 小学3年の息子・優馬が通うこの山あいの小学校は、全校生徒がわずか32人。

 職員室も校庭も小さく、集落の寄り合い所のような温かさがある…もっとも「良く言えばの話」、というような前置詞が付くが。

 過疎が進むこの地域で、「学校をなくさないためにはどうすればいいか」と地域の人たちと考えた末に始まったのが、“現代の寺子屋”プロジェクトだった。


 その一環で、今日は「授業参観」ならぬ「寺子屋参観の日」。

 保護者や地域の人が教室に入り、昔のように縁側に腰かけたり、畳スペースに座ったりして、子どもたちの学びをのんびり見守ることになっていた。


 私——優馬の母・美咲は、少し緊張しながらその教室に座っていた。


「お母さん、来てくれてありがとう」


 教室に入るとき、優馬が小さな声で言った。あの子はあまり感情を表に出さないタイプだけど、今日は少しだけ顔がほころんでいた。


 ——それだけで、来てよかったと思えた。


 先生が配ったプリントには、「今日のテーマ:家のなかにある昔の道具を調べてみよう」と書いてあった。


 子どもたちが、家から持ち寄った「昔のもの」について話し始める。


 火鉢、すずり、ゼンマイ式の目覚まし時計、そして——


「これ、おばあちゃんの持ってたお習字セット。竹の筆箱と、ちいさい墨壷」


 優馬が、小さな包みを広げたとき、思わず息をのんだ。


 ——それは、私の母のものだった。


 母は今、年老いて記憶力もおぼつかなくなっている。かつては書道を教えていた。あの筆箱は、私が小さかったころ、何度も見た。触らせてもらえなかった。触ったら怒られた。…いや、怒鳴られた。金切声での怒鳴り声は、あの筆箱を見た瞬間に頭に刺さるようによみがえってきた。


 優馬は知らない。あれが、私の記憶の中で「母」という言葉を厳しさで満たしていた象徴であることを。


 けれど——その筆箱は、子どもの手の中で、まるで新しい命を得たように、優しくそこにあった。


「これはね、おばあちゃんが使ってた筆箱なんだって。すごく大事にしてたんだよ」


 優馬がそう言った。

 それだけだった。

 それ以上、なにも問わず、なにも強要せず、ただ、彼なりに「家族のもの」として、その道具を教室に持ってきた。


 その姿が、何だか救いのように感じられた。


 私は、母のことが苦手だ。いや、嫌いと言ってもいい。でも、それを背負わせることなく、あの子が「家族の記憶」を引き継いでくれている。しかも、こんなに穏やかに。


 ああ、この場所の「のんびりとした時間」は、私にも少しずつ、何かを取り戻させてくれているのかもしれない。


 帰り道、優馬と手をつなぐ。


「今日ね、楽しかったよ。お母さん、また来てね」


 あの子は、そう言った。

 私は「うん」とうなずくだけで精一杯だった。


 でも、心の中でそっと答えた。


 ——来るよ。何度だって。

 ——たとえ、過去に傷があっても。

 ——あんたが「未来」を見つめてくれているかぎり。


 帰宅して、筆箱をもう一度手に取る。

 墨の香りがまだ、ほのかに残っていた。

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